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翌日。
朝の教室。
「おはよ」
いつもの調子で声をかける。
神代は一瞬だけこちらを見て――
「……ああ、おはよ」
わずかに間があった。
でも、ちゃんと返ってくる。
(……大丈夫)
昨日の黒崎の言葉が、頭をよぎる。
それでも、今はまだ。
こうして会話が成立している。
それだけで、少しだけ安心する。
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昼休み。
「なあ、今日さ」
神代がパンをかじりながら言う。
「昨日言ってたやつ、どうする?」
「……昨日?」
一瞬、言葉が止まる。
「ほら、帰りに寄るって話」
「……あー」
神代は少しだけ考えて、首を傾げる。
「言ってたっけ、それ」
胸の奥が、ひやりと冷える。
「言ってたよ」
「マジで?」
「うん。駅前の――」
説明しかけて、やめる。
神代の顔が、完全に“初めて聞く”表情だから。
「……ごめん、全然覚えてない」
悪びれもなく言う。
でも、その声に嘘はない。
本当に、覚えていない。
(……もう?)
朝、話したばかりなのに。
まだ、半日も経っていないのに。
それでも。
「まあいいや」
神代はあっさり笑う。
「じゃあ今決めればよくね?」
軽い。
あまりにも、軽い。
“失われたもの”の重さなんて、最初から存在しないみたいに。
「……そうだね」
合わせるように笑う。
でも、うまく笑えているか分からない。
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放課後。
「じゃあ、あそこ寄るか」
神代が歩きながら言う。
「うん」
短く頷く。
そのとき。
「……あれ?」
神代が足を止める。
「どうしたの」
「いや」
眉を寄せる。
「なんでここ歩いてんだっけ」
胸が、強く締めつけられる。
「……さっき話したでしょ」
「そうだっけ」
「寄り道するって」
「……あー」
神代は頭をかく。
「悪い、全然覚えてない」
その言葉が、やけに重く響く。
昼よりも、さらに早い。
ついさっきの会話すら、もう抜け落ちている。
(……早すぎる)
黒崎の言葉が、現実になる。
加速している。
確実に。
「……あれ、さっき何の話してたっけ」
神代が、困ったように笑う。
冗談みたいな口調で。
でも、その中身は――冗談じゃない。
「……別に、大した話じゃないよ」
そう返すしかなかった。
それ以上、言葉が出てこない。
喉の奥に、何かが詰まる。
さっきまで確かにあった時間が。
会話が。
全部、なかったことみたいに消えていく。
目の前で。
こんなにも簡単に。
「そっか」
神代は気にした様子もなく、また歩き出す。
何事もなかったみたいに。
隣にいる距離も、変わらないまま。
それなのに。
(……崩れてる)
確実に。
音もなく。
静かに。
でも、取り返しがつかないくらいに。
関係の土台が、削られていく。
それでも――
隣にいる温度だけは、まだ残っていて。
それが、余計に残酷だった。




