6
その日の帰り道。
神代と別れて、一人になる。
さっきまで隣にあった気配が、嘘みたいに消えて。
代わりに、少しだけ冷えた空気が残る。
(……でも)
今日は、違う。
ちゃんと残っている気がする。
あの言葉も、距離も。
全部。
そう思いながら、角を曲がったときだった。
「――興味深いね」
不意に、声が落ちてきた。
足が止まる。
振り向くと、そこにいた。
黒崎。
いつの間にか、道の端に立っている。
街灯の影に半分溶け込むみたいに。
「……何してるの」
思わず、警戒が滲む。
この人は、普通じゃない。
最初から、そう感じていた。
「観察だよ」
あっさりと答える。
まるで当たり前みたいに。
「君を」
その視線が、まっすぐこちらに向く。
逃げ場がないみたいに。
「……やめてよ、そういうの」
「事実だから仕方ない」
黒崎は一歩、近づく。
靴音がやけに静かに響く。
「君、自覚はあるんだろう?」
「……何の」
分かっていても、聞き返す。
黒崎はわずかに口角を上げた。
「“観測から外れている”こと」
その言葉が、冷たく落ちる。
胸の奥が、ざわつく。
「人の記憶に残らない」
「記録にも残りにくい」
「極めて特異な状態だ」
淡々と並べられる説明。
感情のない、分析みたいな口調で。
「……それが?」
強がるみたいに返す。
黒崎は少しだけ首を傾げた。
「変化している」
「何が」
「現象の“速度”が」
一拍置いて。
はっきりと言い切る。
「残留時間が短くなってる」
その言葉に、息が詰まる。
「……どういう意味」
「簡単に言えば」
黒崎は視線を外さないまま、続ける。
「君が“消える”までの時間が、短くなっている」
頭の中で、言葉が反響する。
消える。
時間が、短くなる。
「前回より、明らかに早い」
静かな声で、重ねられる。
確信を持った言い方。
「……そんなの」
否定しようとして、言葉が止まる。
思い当たることが、ある。
今日の神代。
昨日よりも、早く距離が縮まった。
会話も、感情も。
全部が“加速”していた。
でも、それは――
(良いことじゃないの?)
そう思いたかった。
希望だと。
積み重ねの結果だと。
なのに。
「逆だよ」
黒崎が、まるで心を読んだみたいに言う。
「それは“蓄積”じゃない」
「崩壊の前兆だ」
ぞくりと、背筋が冷える。
「情報が定着しきる前に、次の上書きが始まっている」
「だから、感覚だけが先に表面化する」
「だが、それも長くは持たない」
一つ一つの言葉が、ゆっくりと刺さる。
「……じゃあ、どうなるの」
絞り出すように聞く。
黒崎は少しだけ目を細めた。
「いずれ」
淡々と。
「完全に“存在しなかったこと”になる」
その言葉が、静かに落ちる。
周囲の音が、遠くなる。
車の音も、人の気配も。
全部が、薄くなる。
「……そんなの」
受け入れられるわけがない。
やっと。
ここまで来たのに。
少しずつでも、近づいてきたのに。
「信じるかどうかは君次第だ」
黒崎は肩をすくめる。
「だが、データは嘘をつかない」
「君の“残り時間”は、確実に減っている」
残り時間。
その言葉が、やけに現実味を帯びる。
胸の奥で、さっきまでの温かさが、ゆっくり冷えていく。
それでも。
(……それでも)
私は、視線を上げる。
「だったら」
黒崎をまっすぐ見る。
「それでも、やめない」
声は、思ったよりもはっきり出た。
「残るかもしれないなら、続ける」
「少しでも可能性があるなら」
黒崎は、ほんの少しだけ目を見開く。
それから、ふっと小さく笑った。
「なるほど」
「そう来るか」
興味深そうに、呟く。
「ますます観察しがいがある」
「やっぱりやめて」
「検討しよう」
全然やめる気のない声で言う。
そして、一歩下がる。
「まあ、せいぜい気をつけるといい」
「次の“リセット”が、どれだけ持つか」
それだけ言い残して。
黒崎は、すっと人混みの中に紛れていった。
まるで最初からいなかったみたいに。
一人、残される。
夕焼けは、さっきと同じはずなのに。
少しだけ、色が冷たく見えた。
(……残り時間)
頭の中で、その言葉が繰り返される。
でも。
それでも。
さっきの帰り道を、思い出す。
隣にいた距離。
交わした言葉。
あの笑顔。
(……まだ、ある)
全部、消えたわけじゃない。
まだ、ここにある。
だから――
私は、ゆっくりと息を吐いた。
足を前に出す。
止まっている暇なんて、ない。
時間が減っているなら。
なおさら。
使わなきゃいけない。
――残っている、全部を。




