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その日の放課後。
教室に残っている人は、もうまばらだった。
窓から差し込む夕方の光が、机の上をオレンジ色に染めている。
私はノートをまとめながら、ちらりと視線を上げる。
――来る。
理由なんてないのに、そう分かる。
次の瞬間。
「まだ帰んないの?」
声が落ちてきた。
顔を上げると、すぐそばに神代が立っている。
自然すぎる距離。
まるで最初から、そこにいるのが当たり前みたいに。
「……今まとめてるとこ」
「ふーん」
神代はそのまま、私の前の席を引いて座る。
迷いがない。
“たまたま”とは思えない動き。
(……やっぱり)
胸の奥が、少しだけ高鳴る。
昨日までなら、ここに来るまでに、もっと時間がかかった。
話しかけるきっかけを探して。
少しずつ距離を詰めて。
そうやって、何度もやり直してきたのに。
今日は――違う。
「それ、どこのノート?」
神代が覗き込む。
「現文。寝てたでしょ」
「バレてる」
「いつものこと」
「ひどくない?」
「事実」
間髪入れずに返す。
自分でも驚くくらい、自然に言葉が出る。
神代もすぐに笑った。
「容赦ねえな」
「甘やかしたらまた寝るでしょ」
「否定できない」
軽口が、すぐに成立する。
探り合いも、ぎこちなさもない。
最初から、こういう距離だったみたいに。
(……早い)
心の中で、そっと呟く。
明らかに、違う。
昨日よりも。
今までのどの日よりも。
距離が縮まるスピードが、早い。
「なあ、それ貸して」
神代が手を伸ばす。
「いいけど、ちゃんと返してよ」
「信用なさすぎ」
「実績があるから」
「またそれかよ」
笑いながら、ノートを受け取る。
そのまま、ページをめくって。
「……字、意外と綺麗だな」
「“意外と”は余計」
「いや、なんかもっと雑かと」
「どういうイメージ」
「適当そう」
「失礼すぎ」
テンポよく返すと、神代が肩をすくめる。
その仕草さえ、どこか見慣れている気がして。
(……やっぱり、何か残ってる)
記憶じゃない。
名前でもない。
でも、確かに。
こうやって笑うタイミングとか。
距離の詰め方とか。
そういう“感覚”だけが、少しずつ積み重なっている。
「なあ」
神代がふと、顔を上げる。
「お前といるとさ」
一瞬、言葉を探すみたいに間が空く。
「……なんか、楽なんだよな」
ぽつりと、こぼす。
無意識みたいな声音で。
胸の奥が、強く揺れる。
(……ほら)
やっぱり。
何も残っていないはずなのに。
それでも、ここにある。
確かに、“続いているもの”が。
「そりゃどうも」
できるだけ軽く返す。
でも、声が少しだけ震えたのが、自分でも分かった。
「褒めてるんだけど」
「分かってるよ」
小さく笑う。
視線を逸らしながら。
これ以上見ていたら、何かが溢れそうで。
(前より、早い)
距離が縮まるのも。
会話が続くのも。
全部。
(やっぱり、何か残ってる)
そう信じたくなるくらいに。
この時間は、確かに“前の続き”みたいだった。




