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帰り道。
夕焼けが、少しだけ強くなってきている。
並んで歩く距離は、前よりも明らかに近い。
肩が触れそうで、触れないくらい。
ほんの数センチ。
でも、それがやけに意識される。
「なあ」
神代が、何でもないみたいに声をかける。
「ん?」
「明日の昼、忘れんなよ」
軽い調子。
けれど、その言葉は確かに“約束”を前提にしている。
「忘れないよ」
すぐに返す。
そのやり取りが、自然にできることが――
少し前までの私には、考えられなかった。
(……近い)
距離が。
言葉が。
関係が。
確実に、ここまで来ている。
何度も何度もやり直して、ようやく辿り着いた場所。
それが今、目の前にある。
「てかさ」
神代が、ふと横を見る。
「最近、普通に一緒にいるよな」
「……そうだね」
「なんか、最初からこうだった気もするけど」
首を傾げる。
曖昧な記憶。
でも、完全にはゼロじゃない。
(……やっぱり)
胸の奥が、わずかに高鳴る。
もしかしたら。
本当に、少しずつでも――
「まあ、いいか」
神代はあっさりと笑う。
「今がそうなら、それで」
その言葉に、息が詰まる。
“今”を選んでいる。
理由も、過去も分からないまま。
それでも、ここにいることを肯定している。
(……残るかもしれない)
初めて、そんな考えが形になる。
この距離が。
この関係が。
明日も、消えずに続くかもしれない。
――でも。
同時に、別の声が浮かぶ。
(……消えるかもしれない)
何度も、何度も経験してきた現実。
期待した分だけ、崩れる。
積み上げた分だけ、失う。
分かっている。
分かっているのに。
それでも、期待してしまう。
今のこの距離が、本物に思えてしまうから。
「……どうした」
神代が、不思議そうに覗き込む。
「いや、別に」
慌てて首を振る。
顔を見られないように、少しだけ前を向く。
夕焼けが、やけに眩しい。
胸の奥が、静かに揺れている。
嬉しさと。
怖さと。
両方が、同じくらいの重さで。
混ざり合って、離れない。
「……なあ」
神代が、もう一度声をかける。
「明日さ」
「うん」
「ちゃんと来いよ」
軽く言う。
冗談みたいに。
でも、その言葉はどこか真っ直ぐで。
逃げ場がない。
「……行くよ」
小さく答える。
約束なんて、意味がないと分かっているのに。
それでも。
(……明日も)
ほんの少しだけ、願ってしまう。
この時間が。
この距離が。
消えずに、残ってくれることを。
――その願いが、どれだけ危ういものかを知りながら。




