6
図書室は、放課後になるとやけに静かだ。
ページをめくる音と、遠くの時計の針の音だけが、やけに大きく響く。
人が少ない場所は、少しだけ落ち着く。
――誰かに話しかけられることも、あまりないから。
適当に本を選んで、窓際の席に座る。
文字を追っているふりをしながら、ぼんやりと時間をやり過ごす。
「……そこ、いい?」
不意に、声が落ちてきた。
顔を上げる。
見知らぬ男子生徒が、向かいの席を指していた。
黒い髪に、整いすぎているくらい整った顔立ち。
でも、その印象より先に――
どこか、温度が低いと感じた。
「……どうぞ」
短く答える。
彼は静かに椅子を引いて、向かいに座った。
それだけ。
会話は、終わるはずだった。
なのに。
「朝霧澪」
名前を呼ばれて、指先が止まる。
ゆっくりと顔を上げる。
「……誰」
思わず、聞き返す。
その言葉に、彼はわずかに目を細めた。
「やっぱり、そうか」
独り言みたいに呟く。
手元のノートに、何かを書きつける。
カリ、とペンの音がやけに耳につく。
「君、観測から外れてるね」
さらっと、言う。
意味が分からない。
「……なにそれ」
「そのままの意味だよ」
顔を上げる。
視線が合う。
その目は、まるで“人”を見ていないみたいだった。
何か別のものを、測るみたいに見ている。
「普通、人間は連続して記録される」
淡々とした声。
「行動も、関係も、時間の中に蓄積される」
ノートを指で叩く。
「でも君は違う」
間を置かずに続ける。
「記録に残らないタイプだ」
背筋が、ぞくりと冷える。
――知っている。
この人は、知っている。
私の“異常”を。
「……何の話?」
平静を装って返す。
けれど、声が少しだけ硬い。
彼は小さく首を傾げた。
「自覚がないわけじゃないだろ」
静かに、言い切る。
「毎日、初対面になる感覚」
心臓が、強く打つ。
「積み重ならない関係」
言葉が、正確すぎる。
「自分だけが覚えている時間」
逃げ場がない。
全部、見透かされているみたいだった。
「……誰にも言ってない」
かろうじて、絞り出す。
彼は少しだけ考えるように目を伏せてから、あっさりと言った。
「言ってないだろうね」
「説明しても、成立しないから」
まるで当然のことみたいに。
感情の起伏もなく。
「でも、現象としては確認できる」
ノートを閉じる。
「君は“例外”だ」
その言い方が、ひどく無機質で。
人として扱われていないみたいで。
「……やめて」
思わず、言葉がこぼれる。
それ以上踏み込まれたくなかった。
名前をつけられたくなかった。
このおかしさに、意味なんて与えたくなかった。
彼は少しだけ目を細める。
初めて、ほんのわずかに表情が動いた。
「怖い?」
静かな問い。
答えられない。
代わりに、視線を逸らす。
沈黙が落ちる。
数秒だけのはずなのに、やけに長く感じた。
「……まあいい」
彼はあっさりと立ち上がった。
椅子が、わずかに軋む。
「いずれ分かる」
それだけ言って、背を向ける。
出口に向かって歩き出す。
「……待って」
気づけば、呼び止めていた。
自分でも理由は分からない。
怖いのに。
関わりたくないのに。
それでも。
「……あんた、誰」
振り返る。
逆光の中で、彼は少しだけ口元を緩めた。
「黒崎」
短く名乗る。
「ただの観測者だよ」
それだけ残して、図書室を出ていった。
扉が閉まる音が、やけに大きく響く。
一人になった空間で、ようやく息を吐く。
(……なんなの、あれ)
理解できない。
でも、ひとつだけ確かなことがある。
あの人は――
“私を忘れない”。
その事実が、安心よりも先に。
じわじわとした恐怖として、胸に残り続けていた。




