2
五時間目。現代文。
黒板に書かれる文字を、ぼんやりと目で追いながら、私はペンを動かしていた。
――そのとき。
「……なあ」
小さな声が、横から落ちてくる。
顔を上げると、神代が少しだけ身を乗り出していた。
「そこ、何書いてる?」
ノートを指差される。
一瞬、思考が止まる。
(……話しかけられた)
しかも、向こうから。
昨日よりも、自然に。
「えっと、ここの解釈。先生が言ってたやつ」
少しだけノートを傾けて見せる。
神代は覗き込んで、「あー」と小さく頷いた。
「全然聞いてなかったわ」
「珍しくもないでしょ」
思わず、軽く返してしまう。
言ったあとで、ほんの一瞬だけ不安になる。
(……言いすぎた?)
でも。
「ひどくね?」
神代は、笑っていた。
怒るでもなく、困るでもなく。
ただ普通に、会話として受け取っている。
そのことに、胸の奥がじんわり熱くなる。
「……はい」
消しゴムが、こつんと机に置かれる。
気づけば、神代の手だった。
「貸して」
「あ、うん」
自然な流れで受け取る。
ほんの一瞬、指先が触れそうになって、慌てて離す。
神代は気にした様子もなく、消しゴムを使いながらノートに何かを書き足している。
「助かる」
「どういたしまして」
短いやり取り。
でも、それが途切れない。
すぐ終わるはずの会話が、もう少しだけ続く。
「てかさ、この問題さ」
「うん」
「結局どういう意味?」
「えっと……」
私はノートを指でなぞりながら、ゆっくり説明する。
言葉を選びながら、伝わるように。
ちゃんと聞いてくれているのが分かるから。
「……あー、なるほど」
神代が小さく息を吐く。
「分かりやす」
その一言が、思っていた以上に胸に残る。
(……昨日より)
少しだけ長く話している。
少しだけ自然に、笑っている。
ほんの少しの違い。
でも、それは確かに“前に進んでいる”証拠で。
誰も覚えていない変化を、私だけが知っている。
(……嬉しい)
気づかれないように、そっと息を整える。
この時間が、また明日には消えるとしても。
それでもいいと思えるくらいには――
今日の私は、少しだけ報われていた。




