第2章:距離が縮まる 1
翌日の教室は、何も変わっていないように見えた。
窓際の席、少しざわつく朝の空気、誰かの笑い声。全部、昨日と同じだ。
――違うのは、ひとつだけ。
気づけば、神代がすぐ隣に立っていた。
「……あれ」
顔を上げると、目が合う。ほんの一瞬だけ、間が空く。
やっぱり、知らない顔を見るときのそれだ。
胸の奥が、きゅっと縮む。
(……また、か)
慣れたはずなのに、少しだけ痛い。ほんの少しだけ。
神代は首を傾げて、こちらを見たまま考え込むように目を細める。
「……なあ」
来る。
きっと、また同じ言葉だ。
「お前、誰だっけ」
そう言われる準備は、できている。
何度も繰り返したやり取りだ。
――でも。
「……いや、違うか」
予想していた言葉は、最後まで出てこなかった。
神代は小さく息を吐いて、どこか納得したように肩をすくめる。
「なんかさ」
視線が、少しだけ柔らぐ。
「お前、話しかけやすいんだよな」
軽い調子で、なんでもないことみたいに言う。
けれどその一言が、胸の奥にゆっくりと沈んでいく。
(……覚えてない、はずなのに)
名前も、昨日のことも、きっと何一つ残っていない。
それでも。
理由もなく、ここに来て。
迷いもなく、声をかけてきた。
「……そう?」
できるだけ平静を装って返す。声が少しだけ上ずる。
「うん。なんでだろうな」
神代は笑って、机に肘をついた。
「初めて話す気がしないっていうか」
――それは、きっと。
何度も話してきたからだ。
何度も、何度も、同じ距離まで来て。
そして、そのたびに全部消えてきた。
それでも、また。
(……残ってるのかもしれない)
ほんのわずかでも。
形にはならなくても。
ここに来る理由だけは、どこかに。
神代は何も知らない顔で、当たり前みたいに隣に立っている。
その距離が、昨日より少しだけ近く感じた。
――ほんの少しだけ。




