第9話 ズボラ令嬢、国を救う
夕方。
手元の水晶板が、到着のアラームを鳴らした。
『接続確立。映像、出力します』
画面にノイズが走り、次の瞬間、上空からの俯瞰映像が映し出された。
王都の中央広場だ。
「うわぁ……」
私は思わず顔をしかめた。
酷い有様だ。
白かった石畳は黒い粘液に覆われ、噴水の水はドブのように淀んでいる。
広場にはボロボロの服を着た市民たちが座り込み、その中心で聖女アリスが必死に祈りを捧げていた。
「聖なる光よ、癒やしたまえ……!」
アリスの杖から光が溢れる。
だが、その光が地面に触れた瞬間、黒いカビがジュワッと音を立てて増殖した。
栄養を与えられた菌が、喜んで胞子を撒き散らしているのだ。
「ゲホッ、ゲホッ! 聖女様、もうやめてくれ!」
「これ以上祈らないでくれ! 肺が焼ける!」
市民たちが悲鳴を上げる。
地獄絵図だ。
アリスは「なぜ!? なぜ癒やされないの!?」と錯乱している。
その時である。
ヒュオオオオオ……!!
上空から、大気を切り裂く轟音が響いた。
市民たちが空を見上げる。
ズドォォォォン!!
隕石が落ちたような衝撃音が轟き、広場の中心に土煙が舞い上がった。
煙が晴れたあと、そこには一人の騎士と、巨大な白い柱が立っていた。
ヴォルフガングだ。
彼は愛馬から飛び降り、柱――『白き巨人』を地面に突き刺していた。
四時間の爆走にもかかわらず、息一つ切らしていない。化け物か。
「な、何奴!?」
警備兵が槍を構える。
その奥から、元婚約者のフレデリック殿下が出てきた。
「ヴォルフガング!? 貴様、こんな時に何をしに来た! その不気味な柱はなんだ!」
「救援だ」
ヴォルフガングは短く答え、柱のクリスタル(カメラ)に向かって合図を送った。
『準備完了だ、マリー』
「了解。お疲れ様、ヴォルフガング様」
私はカフェのカウンターで、一口チョコを齧りながら答えた。
画面上の『起動ボタン』をタップする。
「ポチッとな」
ブゥン……。
広場の柱が低い駆動音を立てた。
上部の青いクリスタルが強烈な輝きを放ち、回転を始める。
『対象スキャン完了。汚染レベル、計測不能(MAX)。滅菌モード、出力最大で実行します』
私の声(ボイスチェンジャーを通した機械音声)が、柱のスピーカーから広場に響き渡った。
「な、なんだこの光は! 魔道具か!?」
殿下が後ずさる。
次の瞬間。
カッ!!
『白き巨人』から、ドーム状の青白い波動が放たれた。
それは衝撃波のように広場を抜け、貴族街を抜け、城壁の外まで一瞬で及んだ。
音はない。
痛みもない。
ただ、清潔な光が通り過ぎただけ。
だが、その直後。
「……え?」
誰かが声を上げた。
広場を埋め尽くしていた黒いカビが、跡形もなく消滅していた。
淀んでいた噴水の水はクリスタルのように澄み渡り、空気中に充満していた腐臭は、無臭――いや、清潔な石鹸のような香りに変わっている。
それだけではない。
咳き込んでいた老人たちの肌がツヤツヤになり、薄汚れていた市民の服が新品のように真っ白になっていた。
「体、が……軽い?」
「カビが消えた! 空気が美味い!」
「俺の肌、なんか若返ってないか!?」
歓声が爆発した。
それは次第に、中心にある白い柱と、それを守る騎士への称賛へと変わっていく。
「救世主様だ!」
「騎士団長万歳! 白い柱万歳!」
その光景を、アリスと殿下は呆然と見つめていた。
「ありえない……私の祈りでも消せなかったのに……機械ごときが……」
アリスが杖を取り落とす。
「ま、待て! 静粛に!」
殿下が慌てて前に出た。
「こ、これは聖女アリスの祈りが、遅れて効果を発揮したのだ! そうだ、この柱はアリスの魔力を増幅したに過ぎない!」
(……往生際が悪いわね)
私は冷めた目で画面を見ていた。
手柄を横取りする気満々だ。
まあ、私は名誉なんていらないけれど、間違った理論が広まるのはSEとして許せない。
私はマイクのスイッチを入れた。
『いいえ、違います』
広場に、私の声が響き渡った。
今回は地声だ。
「ッ!? この声は……マリーか!?」
殿下が柱を睨みつける。
『お久しぶりです、殿下。……その柱は、私が開発した『広域全自動滅菌機』です。聖女様の魔力とは、波長も理論も真逆のものです』
「マリー……! 貴様、どこにいる! 姿を見せろ!」
『嫌です。そこ、空気が汚いので』
私は鼻で笑った。
『アリス。貴女がやっていたことは、カビという『菌』に『栄養剤』を与えていただけよ。生ゴミに水をかけて腐らせたのと同じ。……貴女が、このパンデミックを育てたの』
「っ!?」
アリスの顔から血の気が引いた。
「嘘……そんな……私が、みんなを苦しめていたの……?」
『ええ。無知は罪よ』
アリスはその場に崩れ落ちた。
残酷な事実だが、教えておかないとまた同じことをやるだろう。
『さて、仕事は終わりです。それは貸し出し品ですので、カビが消えたら返却してくださいね』
「ま、待て!」
殿下が柱のクリスタル部分に縋り付いた。
「認めよう! 貴様の力は本物だ! 今すぐ王都へ戻れ! 『王宮筆頭魔導師』の地位を用意する! いや、私が直接妻にしてやってもいい! だから戻ってこい!」
民衆の手前、なりふり構わず条件を提示してくる。
筆頭魔導師。
魔術師なら誰もが憧れる最高の名誉職だ。
だが、私の返答は決まっている。
『お断りします』
「な、なぜだ! これ以上の栄誉はないぞ!」
『通勤が面倒だからです』
広場が静まり返った。
通勤が面倒。
それだけの理由で、国のトップの座を蹴った女。
『それに、私は今の生活に満足しています。……美味しいご飯と、ふかふかのベッド。それ以上の栄誉なんてありません』
私はふと、画面の隅に映るヴォルフガングを見た。
彼は、微かに笑っていた。
私の答えが分かっていたような顔で。
『ヴォルフガング様。任務完了です。……シチュー、温めておきますね』
「ああ。すぐ戻る」
ヴォルフガングは短く答え、再び馬に飛び乗った。
民衆が割れる。
「待て! ヴォルフガング! その女を連れてこい! 命令だ!」
殿下の叫び声が響く。
だが、ヴォルフガングは一度だけ振り返り、言い放った。
「断る。……国王陛下への報告よりも、彼女のシチューが冷めないことの方が、私にとっては重要なのでな」
ヒヒィィン!!
愛馬がいななき、彼は風となって去っていった。
残されたのは、ピカピカになった王都と、プライドを粉々にされた王族たちだけ。
◇
数時間後。
店のドアが開いた。
「ただいま」
「お帰りなさい」
ヴォルフガングが帰ってきた。
少し髪が乱れているが、その表情は晴れやかだ。
「王都はどうなった?」
「大騒ぎですよ。アリスは部屋に引きこもり、殿下は民衆から石を投げられそうになっていました。……代わりに、謎の『白き巨人教』が生まれそうです」
私は鍋からシチューをよそいながら笑った。
「まあ、私は匿名希望の管理人ですので、関係ありませんが」
「……ふっ。そうだな」
彼はカウンターに座り、出されたシチューを一口食べた。
湯気が立ち上る。
「……美味い」
「でしょう? 全自動調理器の最高傑作です」
「いや、違うな」
彼はスプーンを置き、私を真っ直ぐに見た。
そのアイスブルーの瞳が、熱を帯びている。
「君が待っていてくれたから、美味いんだ」
「……っ」
不意打ちは反則だ。
私は顔が熱くなるのを感じ、慌てて視線を逸らした。
「……そういうの、いいですから。早く食べてください。片付け(ボタン押すだけ)が遅れます」
「ああ。すまない」
彼は嬉しそうに笑い、再びスプーンを動かし始めた。
外はもう夜だ。
遠く離れた王都では、権力争いや宗教論争が起きているかもしれない。
でも、この店の中にあるのは、シチューの香りと、二人の穏やかな時間だけ。
(……まあ、悪くないわね。こういうのも)
私は自分の分のシチューを口に運びながら、心の中でそっと呟いた。
世界を救うことよりも、彼と食べる夕食の方が、今の私にはずっと価値のあることだった。




