第4話 騎士団の聖地化と勘違い
その日、私は絶望的な気分で目覚めた。
『ピロリン♪ 来客数、許容範囲を超過しました』
枕元のスピーカーが、軽快な音とともに無慈悲な現実を告げている。
モニタを見るまでもない。
一階から、ガシャガシャという金属音が聞こえてくるのだ。
「……うるさい」
私はクッションに顔を埋めて呻いた。
開店から数日。
あの騎士団長ヴォルフガングが来店して以来、私の平穏は音を立てて崩れ去った。
どうやら彼、部下たちに喋ったらしいのだ。
「泥のように眠れる場所がある」と。
「はぁ……集金、行くか」
私は重い体を起こし、フードを目深に被って一階へ降りた。
◇
「おおっ! すげぇ! 俺の鎧の凹みが直ったぞ!」
「おい、このコーヒー飲んでみろ! 泥水じゃねぇ、本物の豆だ!」
「マッサージ椅子が……俺の腰を……あぁぁ、溶ける……」
店内は、ちょっとした宴会場と化していた。
十名ほどの騎士たちが、思い思いの場所に陣取っている。
彼らは一様に、入店時の『強制洗浄ミスト』でピカピカに磨き上げられ、骨抜きにされた顔でソファに沈んでいた。
「……騒がしいですね」
私がカウンターの奥から低い声を出すと、全員がビクッと反応した。
その中心に、あの男がいた。
ヴォルフガングだ。
「すまない、店主殿。部下たちが騒いで」
彼は申し訳なさそうに頭を下げたが、その顔はツヤツヤしている。
今日も通ってきているらしい。すっかり常連面だ。
「別に構いませんが……ここは休憩所です。お静かに」
「聞いたか貴様ら! 静粛に! ここは『賢者の聖域』だぞ! 騒ぐ者は私が叩き斬る!」
ヴォルフガングが一喝すると、部下たちは「はっ!」と直立不動になり、それから忍び足でコーヒーを啜り始めた。
統率が取れているのはいいが、賢者の聖域って何だ。カフェだと言っているのに。
私は『自動徴収箱』を確認した。
中には銀貨が山のように入っている。
売り上げは順調だ。順調すぎて怖い。
(このままだと、口コミで街中の人間が押し寄せてくるんじゃ……)
それは困る。
客が増えれば、トラブルのリスクも増える。
掃除システムの負荷も上がるし、何より私の二度寝タイムが阻害される。
「……ヴォルフガング様、少しよろしいですか」
「なんだろうか」
彼は直立不動で私の前に立った。
「当店は管理人一人の運用です。これ以上、不特定多数に来られると困ります。……そこで」
私は『自動徴収箱』を開け、中から銀貨を数枚取り出した。
「本日より、当店は『完全会員制』とします」
「会員制……?」
「はい。今作りますので、少々お待ちを」
私は銀貨を手のひらに乗せ、圧縮錬成魔法を発動した。
ジャリッ、という音と共に、銀貨が溶けて再構築される。
出来上がったのは、店のロゴ(枕のマーク)が入った、十枚の銀色のプレートだ。
「この『会員証』を持つ者しか、入口の結界を通れないよう設定を変更します」
私は出来たてのプレートをカウンターに並べ、ニヤリと笑った。
これで客足は遠のくはずだ。
だって、初期費用が高すぎるから。
「会員権の発行手数料は、金貨一枚(約10万円)。更新料は月額金貨一枚です」
一般市民の給料一ヶ月分だ。
たかがコーヒーを飲む場所に、これだけの金を払う馬鹿はいないだろう。
これで選ばれた金持ちだけが来る、静かな店に戻るはず――。
「安いな」
ヴォルフガングが即答した。
「……は?」
「専門の鍛冶師に武具のメンテナンスを頼めば、一回で金貨三枚は飛ぶ。上級ポーションは一本で金貨二枚だ。それが月額一枚で、毎日使い放題なのか?」
彼は真顔で計算し、懐から革袋を取り出した。
「破格もいいところだ。……店主殿、商売気がないにも程があるぞ」
ドン、と革袋がカウンターに置かれる。
中からジャラジャラと金貨が出てくる。
十枚、二十枚……え、軍人ってそんなに貰ってるの?
「団長! 俺たちの分まで!?」
「一生ついていきます!」
「店主殿、俺にもそのカードをくれ! これさえあれば、あの地獄の遠征も耐えられる!」
騎士たちが目を血走らせて殺到してきた。
彼らの手には、それぞれ自分の財布が握られている。
(……あれ? 計算ミス?)
私は呆然としながら、まだ熱を帯びている会員証を配った。
彼らはそれを、まるで勇者の勲章か何かのように掲げ、拝んでいる。
「すげぇ……純銀のプレートに、高度な魔力コードが刻まれてる」
「これを持っていれば、いつでも『天国』に入れるんだな……」
違う。
私が求めていたのは「高すぎて誰も来ない」未来であって、「喜んで課金する重課金兵団」の結成ではない。
「……ありがとうございます。毎度あり」
私は引きつった笑顔(フードの下で見えないが)で、金貨の山を収納魔法に放り込んだ。
まあいい。金はあるに越したことはない。
これで向こう十年は遊んで暮らせる備蓄ができた。
◇
騎士たちが落ち着きを取り戻し、ソファで微睡み始めた頃。
私はカウンターの隅で、彼らの会話を盗み聞きしていた。
辺境の情報収集も、引きこもり生活には必要だからだ。
「しっかし、最近の王都からの補給、酷くないか?」
一人の騎士が、ボソリと呟いた。
「ああ。先週届いた小麦、半分カビてただろ。服も生地が薄くて、すぐ破れるし」
「聞いた話じゃ、公爵家の『管理』が及ばなくなったとか……。あそこの商会が物流握ってるんだろ?」
「なんでも、公爵家の屋敷自体もボロボロになってるらしいぜ。パーティ会場で異臭騒ぎがあったとかで、貴族たちが寄り付かなくなってるそうだ」
(……あー)
私は心の中で乾いた声を上げた。
やっぱり。
公爵家の屋敷や倉庫には、私が開発した『広域鮮度保持結界』と『自動修復術式』が張り巡らされていた。
それが、私の追放とともに魔力リンクが切れ、消滅したのだ。
当然、保管されていた食料や、高価な衣類は、急速に劣化を始める。
公爵家は国の兵站拠点も兼ねているから、その影響が辺境の補給線にまで出始めているわけだ。
「上の連中は何やってんだかなぁ」
「俺たちは魔物と戦うだけで精一杯だってのに、飯まで不味くなったらやってられんぞ」
騎士たちが愚痴をこぼす。
その不満は、もっともだ。
だが、私にはもう関係のないこと。
同意書にサインした瞬間、私は「他人」になったのだから。
(まあ、この店にある食料は、私が『最高の保存状態』で確保してきたものだから大丈夫だけどね)
私は自分のカップに、最高級の紅茶を注いだ。
王都の貴族たちがカビたパンを食べている間に、私はここで優雅にティータイムを楽しむ。
これぞ、最高の復讐ではないだろうか。
「店主殿」
不意に、ヴォルフガングがカウンターに来た。
「……何でしょう? 追加注文ですか?」
「いや。……この店があってよかった」
彼は真剣な眼差しで、私を見つめた。
そのアイスブルーの瞳には、深い感謝の色があった。
「補給が滞る中、この場所だけが我々の命綱だ。……貴殿がいなければ、部下の何人かは過労で倒れていたかもしれない。心から、感謝する」
その言葉には、嘘もお世辞も混じっていなかった。
真っ直ぐすぎて、眩しいくらいだ。
「……私は、楽をして稼ぎたいだけですから」
私は顔を背け、そっけなく答えた。
感謝なんてされる覚えはない。
私は自分のために、自分だけが良ければいいと思ってやっているだけだ。
「それでもだ。……これを受け取ってくれ」
彼がカウンターに置いたのは、金貨ではない。
小さな、青い花だった。
辺境の岩場にしか咲かない、珍しい花だ。
「来る途中で見つけた。殺風景な店には、彩りが必要だろう」
彼は少し照れくさそうに頬をかき、逃げるように席に戻っていった。
残された私は、その花を見つめた。
ただの植物だ。
腹の足しにもならないし、店内の酸素濃度を変えるほどの光合成もしない。
効率で言えば、完全に無駄なオブジェクトだ。
「……花瓶、出すの面倒なんだけど」
口では文句を言いながら。
私は指先を動かし、空のボトルを『自動成形』して一輪挿しを作った。
青い花を挿すと、灰色の店内が、ほんの少しだけ明るくなった気がした。
(……変なの)
私は胸の奥が少しだけムズ痒くなるのを感じながら、花をカウンターの端に飾った。
外は寒風が吹き荒れているが、ここは暖かく、コーヒーの香りに満ちている。
王都の崩壊の足音は近づいているが、この店だけは、まだ平和だった。




