第3話 最初の客は過労騎士
ふかふかのベッドに沈んでから、数時間後のことだ。
『ビッ! 来客および高エネルギー反応を検知』
枕元の魔石スピーカーから、無機質な警告音が鳴った。
私が設定した『警戒アラーム』だ。
「……んぅ……?」
私は重いまぶたを擦りながら、不機嫌に唸った。
深夜だ。時計の針は二時を回っている。
こんな時間に誰よ。非常識にも程がある。
「……モニタ、オン」
布団から手だけを出して、空中に指で円を描く。
天井にホログラム映像が投影された。
一階の監視カメラ(視覚共有魔法)の映像だ。
そこに映っていたのは、真っ黒な塊だった。
『……』
男だ。身長はかなり高い。
だが、それ以上に異様なのは、その全身だ。
黒い甲冑の上から、さらにドス黒い粘液のようなものがべっとりと付着している。
魔物の返り血だ。それも、乾燥していない新鮮なやつ。
男は腰の剣に手をかけ、殺気を放ちながら『自動徴収箱』の前に立っていた。
(うわぁ……ガラ悪ぅ……)
私は布団の中で身震いした。
辺境、怖い。強盗? それとも酔っ払いの殴り込み?
男は鋭い眼光で料金表を読み、それから目を閉じて何かを感じ取ったようだ。
懐から硬貨を取り出し、箱に投入した。
『……銀貨二枚。これで中に入れるのか』
カシャン、と音がしてゲートが開く。
(あ、払うんだ。意外と律儀ね)
私は少しだけ警戒レベルを下げた。金さえ払うなら客だ。
男は剣の柄から手を離さず、慎重に店内へと足を踏み入れた。
その瞬間だ。
――シュウゥゥゥッ!!
入り口に設置した『強制洗浄ミスト』が作動した。
入店と同時に、客の衣服や身体の汚れを一瞬で分解・浄化する必須システムである。
『ッ!? 罠か!』
男が反応した。
目にも止まらぬ速さで剣を抜き、ミストを切り裂こうとする。
すごい反射神経だ。
だが、それが裏目に出た。
『警告。店内での抜刀行為を確認。迎撃モード、起動』
店内の照明が赤く明滅し、天井の『麻痺雷撃』の術式が展開される。
「ちょっ、待って! ストップ!」
私は慌てて布団から飛び起き、制御パネル(魔導板)を操作した。
せっかくの初客を黒焦げにしてどうする!
「システム、解除! ただの過剰反応よ!」
ギリギリで雷撃をキャンセルする。
一階では、ミストが晴れ、呆然と立ち尽くす男の姿があった。
『……な……?』
男は自分の手を見つめ、信じられないものを見るように鎧を撫でた。
こびりついていた魔物の血も、泥も、汗も、悪臭も。
すべてが綺麗さっぱり消滅し、新品同様に輝いている。
『魔法……? 呪いが解けたのか……? それに今の、上級攻撃魔法の気配は……』
男は天井を見上げ、冷や汗を拭った。
どうやら「ここで暴れたら死ぬ」と理解したらしい。
彼は大人しく剣を収め、ふらふらとカウンターへ進んだ。
システム通りにカップを置き、ボタンを押す。
全自動サーバーから、挽きたての豆の香りと共に、琥珀色の液体が注がれる。
男はそれを一口啜り――目を見開いた。
『……美味い』
男の肩から、力が抜けたようだった。
彼はそのまま、近くのソファへと倒れ込むように座った。
その瞬間、第二のサービスが発動する。
ブゥン……。
ソファに組み込まれた『微細振動』と『温熱魔法』が起動。
凍えきった男の背中を、絶妙なリズムでほぐし始める。
『ぐ……ぅ……あ……』
男が呻き声を上げた。
苦しんでいるのではない。あまりの快感に、脳の処理が追いついていないのだ。
『なんだ、これは……鎧の重さを感じない……泥のように……体が……』
男のまぶたが、鉛のように落ちていく。
数日間の不眠不休の疲労が、一気に押し寄せたのだろう。
もう、抵抗できないはずだ。
私の店の前では、どんな強戦士も無力な赤子同然。
『……ここは……天国、か……』
最後にそう呟いて。
男の首がガクンと落ち、深い寝息を立て始めた。
「……ふぅ。手間のかかる客ね」
私はモニタの電源を切り、再び布団を頭まで被った。
明日の朝、勝手に出て行ってくれることを祈りつつ。
私は至福の二度寝へと旅立った。
◇
翌朝。
正午近くになって、私はようやく目を覚ました。
「……まだいる」
モニタを見ると、昨夜の男がまだソファに座っていた。
起きてはいるようだが、微動だにしない。
何かを悟った賢者のような顔で、虚空を見つめている。
(邪魔なんだけど……)
新しい客が入ってきたら、あんな不審者がいたら逃げてしまう。
私はスピーカーのマイクをオンにした。
「……お客様。退店のお時間です」
ボイスチェンジャー機能で、低い機械音声にして呼びかける。
だが、男はビクリともしない。
完全に自分の世界に入っている。
「はぁ……」
仕方ない。直接追い出すか。
私はフード付きの部屋着を羽織り、顔が見えないよう目深に被って、一階へと降りた。
階段を降りる足音に、男がバッと振り返る。
明るいところで見ると、意外と若い。
鋭い氷のような瞳。整っているが、威圧感のある顔立ち。
いかにも「現場叩き上げの軍人」という風貌だ。
「貴殿が……この館の主か」
男が立ち上がり、軍人らしい敬礼をした。
その動きにはキレがあるが、昨夜のような殺気はない。
「……ええ。店長です」
私は不愛想に答えた。
顔は見せない。フードの奥から、冷めた視線を向けるだけだ。
「昨夜は……失礼した。あまりに不可解な魔力反応だったもので、警戒してしまった」
「当店は全自動の休憩所です。危険はありません。……代金を支払う限りは」
私はチラリと天井の雷撃魔法を見上げた。
男もつられて見上げ、ゴクリと喉を鳴らす。
「理解した。……五年ぶりだ」
「はい?」
「五年ぶりに、朝まで一度も起きずに眠れた。悪夢も見なかった」
男は真剣な顔で言った。
五年ぶりって、あんたショートスリーパーにも程があるでしょ。
「それに、この身体の軽さはどうだ。古傷の痛みが消え、魔力の循環も正常に戻っている。……貴殿は、何者だ? これほどの結界と治癒空間を作り出す魔導師など、王都でも聞いたことがない」
男が探るような目で私を見る。
面倒くさい展開になった。
ただのズボラな元令嬢だと言っても信じないだろうし、そもそも正体を知られたくない。
「私はただの……隠居者です。名は名乗りませんし、詮索もしないでいただきたい」
「……そうか。深淵に触れる愚は犯すまい」
男は勝手に納得し、それから懐を探った。
取り出したのは、金貨が一枚。
入店料の銀貨二枚とは比較にならない高額だ。
「釣りはいらん。……その、昨夜の無礼の詫びと、最高の休息への対価だ」
「受け取ります。……お引き取りを?」
「ああ。また来ても?」
男が帰り際に、少し言いにくそうに尋ねてきた。
その耳が、心なしか赤い。
「お金を払うなら、どなたでも。……ただし、抜刀は禁止です」
「……肝に銘じよう」
男は深々と頭を下げ、逃げるように店を出て行った。
扉が閉まると、私は大きく息を吐いた。
とりあえず、トラブルにはならなかったようだ。
「さて、と」
私は手の中の金貨を見つめた。
これ一枚で、当面の食費は賄える。
「今日の仕事、終わり!」
私は一階の掃除(ボタン一つ)を済ませると、再び二階の聖域へと戻った。
あの男が、この国の騎士団長であり、私の店を「賢者の隠れ家」として騎士団内で報告しようとしていることなど、知る由もなく。
(あー、平和。このまま誰にもバレずに、細々と暮らしたいなぁ)
私はクッションにダイブしながら、叶わぬ願いを呟いた。




