第10話 これからも楽をしたい!
王都のパンデミック騒動から、数日が過ぎた。
私の店『カフェ・アトリエ』には、再び平和な日常が戻ってきていた。
ただし、客層は劇的に変わってしまったけれど。
「おお……ありがたや……!」
「拝め! この店の排気口から出る空気を吸うだけで、持病が治るぞ!」
店の外には、騎士だけでなく、噂を聞きつけた商人や巡礼者が列をなしていた。
彼らは外壁にへばりつき、換気口に向かって深呼吸を繰り返している。
新興宗教『白き巨人教』の信者たちだ。
ちなみに、王都に設置した『白き巨人』は現在、王家に対して「月額レンタルのサブスクリプション契約(超高額)」を結んで貸し出し中である。
「……動物園の人気者になった気分ね」
私は二階の窓からその異様な光景を見下ろし、バシャッとカーテンを閉めた。
有名になりすぎた。
王都からは連日、国王陛下からの親書と大量の謝罪の品が届いている。
『国家の危機を救った大賢者として、貴殿の自由を保障する。二度と王家が干渉することは許さない』
そう確約されたのは良いが、逆に「伝説の存在」としての名声が高まりすぎて、私の愛する「地味で静かな生活」が崩壊の危機に瀕している。
コンコン。
ドアがノックされた。
この律儀なリズムは、彼だ。
「どうぞ」
「失礼する」
ヴォルフガングが入ってきた。
今日はいつもの騎士服ではなく、式典用の白い礼服を着ている。
手には大きな花束と、分厚い書類の束。
そして、その顔は戦場よりも強張っていた。
「……何ですか、それ?」
「マリー。重要な……作戦会議がある」
彼は私の前のソファに座り、書類をテーブルに広げた。
その指先が、微かに震えている。
「王都からの干渉はなくなった。だが、世間が君を放っておかないだろう。……君の技術を狙う他国のスパイや、君を神輿に担ぎたい宗教団体が接触してくるのは時間の問題だ」
「……面倒ですね」
私は心底嫌そうな顔をした。
自衛はできるが、いちいちハエを追い払うのは労力の無駄だ。
安眠妨害も甚だしい。
「そこでだ。君の身分を『絶対不可侵』のものにする、最終防衛ラインを提案したい」
「防衛ライン?」
「ああ。君が、私の……辺境伯家の『共同経営者』になればいい」
ヴォルフガングは、書類の一番上にある紙を指差した。
そこには、役所の公印が押された『婚姻届』があった。
「け、結婚……?」
私は目を丸くした。
思考が停止する。彼と私が? 夫婦?
「誤解しないでほしい! 君の自由を奪うつもりはない!」
彼は慌てて、まるでプレゼンテーションのように早口でまくし立てた。
「これは、君の平穏を守るための『業務提携』だ。条件を聞いてくれ」
彼は指を一本ずつ立てて、契約内容を提示し始めた。
「第一に、勤務地は私の屋敷。……私の私室だ。君はそこで、二十四時間好きなだけ寝ていていい」
「……ふむ」
「第二に、家事は一切しなくていい。君の『全自動システム』を屋敷に導入してくれれば、あとの管理・運用は私が担当する」
「……ふむふむ」
「第三に、食事は私が作る。朝、昼、晩。君が『あーん』を要求すれば、それも行う。メニューのリクエストは、たとえ深夜でも受け付ける」
「……ほう」
私の目が輝き始めた。
悪くない。いや、かなり良い条件だ。
「第四に、君を狙う輩は、私が全て排除する。君は指一本動かす必要はない。私の背中に隠れていればいい」
「……完璧ですね」
「そして最後に」
ヴォルフガングは一度言葉を切り、私を真っ直ぐに見つめた。
そのアイスブルーの瞳が、熱を帯びて揺れている。
耳まで真っ赤だ。
「報酬は、私の全財産と、私の生涯だ。……君が望むなら、私は死ぬまで君の『盾』となり、君の安眠を脅かす全ての悪夢を排除する『矛』となろう」
「……!」
心臓が、ドクリと跳ねた。
何それ。
そんな不器用な口説き文句、聞いたことがない。
「愛している」なんて一言も言っていない。
けれど。
(……ああ、この人だ)
私は悟ってしまった。
王都の家族は、私を「無能」と呼んだ。
民衆は、私を「聖女」と崇めた。
みんな、私に「役割」を押し付けた。
けれど、この人だけだ。
「寝ていていい」「何もしなくていい」「ただそこにいろ」と言ってくれるのは。
私の本質である「怠惰」を、欠点ではなく、守るべき価値として肯定してくれたのは、世界で彼一人だけだ。
「……ヴォルフガング様」
「なんだ。条件が不足か? なら、マッサージの時間も無制限に追加しよう」
「いいえ、十分すぎます」
私は書類を引き寄せ、魔筆を走らせた。
迷いはなかった。
「採用です。……その『終身雇用契約』、結ばせていただきます」
「……本当か?」
「ええ。ただし、返品はなしですよ?」
私がニッと笑うと、ヴォルフガングは安堵したように息を吐き、それから破顔した。
見たこともないような、太陽のような笑顔だった。
「ああ。……絶対に、離さない」
彼はテーブル越しに私の手を取り、その甲に口づけを落とした。
騎士の誓いのキス。
触れられた場所から熱が広がり、私の顔が一気に沸騰する。
(……計算外だわ。ドキドキして、これじゃ昼寝できないじゃない)
私は嬉しい誤算に、小さくため息をついた。
◇
――それから、数年後。
北の辺境、騎士団領。
そこには『怠惰の城』と呼ばれる、世界一清潔で、世界一静かな屋敷がある。
「マリー、口を開けろ」
「ん……」
日当たりの良いサンルーム。
ふかふかの特大クッションの上で、私はヴォルフガングの膝を枕にして寝転がっていた。
彼が差し出したカットフルーツを、半目で食べる。
甘い。
最高級の桃だ。
これも、彼が自ら市場で厳選してきたものだ。
「美味しいか?」
「ん……最高……」
「そうか。もっと食え」
ヴォルフガングは愛おしそうに私の髪を撫で、次のフルーツを口に運んでくる。
彼はあれから、公私ともに私を溺愛していた。
騎士団長としての仕事もバリバリこなしているが、定時になるとマッハで帰宅し、エプロンをつけてキッチンに立つのが日課だ。
ちなみに、王都から入る『白き巨人』のレンタル料と、私が開発した『全自動家事魔道具』の特許収入で、我が家の資産は国家予算並みになっている。
「……ねえ、あなた」
「なんだ?」
「私、今すごく幸せ」
「知っている。顔に書いてあるぞ」
彼は優しく笑い、私の額にキスをした。
「私もだ。……君が何もしないで、ただそこにいてくれるだけで、私は救われている」
かつて過労で死にかけた女と、責任感で押しつぶされそうだった男。
欠けた二つの歯車は、こうしてガッチリと噛み合い、二度と離れることはない。
「……おやすみなさい」
「ああ。おやすみ、私の愛しいマリー」
私は彼の手を握り、温かい微睡みの中へと落ちていった。
窓の外では、今日も平和な風が吹いている。
私の人生は、ここからが本番だ。
何もしない幸せを、死ぬまで彼と噛み締めて生きていくのだから。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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