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「誰かの限界」

家の前には、待ち伏せしていたかのように琴音が立っていた。

いつもと雰囲気が違う。金髪だ。

「やぁ、転校生。今日を耐えれば、地獄もひとまず終わりだねぇ」

「そ、そうだね……それよりなんで金髪なの?」

「あぁ、これはウィッグだよ。強気な私を演じるための装備さ」

そう言って琴音はカバンの中から青色のウィッグとネットを取り出し、私に差し出した。

「転校生の妹にプレゼントだよ」

「え、ありがとう……」

「嬉しくなさそうだなぁ。もっと喜べよぉ」

「あ、うん……」

「もう、表情筋が硬いなぁ。あ、もう着いちゃった……」

校舎に入り、教室へ向かう。

まだ誰もおらず、私たちが一番乗りのようだ。

私はこれから斤上さんにされることを考え、自然と背中がこわばった。

その時、教室のドアが開く。斤上さんだ。

けれど、その顔色は悪く、様子もどこか変だった。

(どうしたんだろう……様子が変……)

私がそう思っていると、急に琴音が立ち上がり斤上さんへ近づく。

「姫瑠……あんた、どうしたの?……」

「……別に。お前には関係ねえだろ……」

「関係なくても、一応、幼馴染だからさ……」

「うるせえ! 関係ないって言ってるだろ!」

怒鳴ると同時に、斤上さんは琴音を殴った。

琴音は殴られた頬を押さえながら、それでも立ち上がる。

「……そっか……じゃあ言うけどさ……姫瑠ってほんと変わったよね。昔はそんなことしなかったのに!」

いつもは凛々しい琴音が声を荒げる。

こんな琴音は初めて見た。

「琴音……どうしたの? 急に……」

「あぁ、ごめんね転校生。今日の私は強気だからね」

そう言って琴音は指で金色の髪をくるくるっと弄ぶ。

斤上さんはそのまま教室を出て行った。

「あ……どうしたんだろ……」

「もういいよ。ほっとこ?」

「あ、うん……」

私は筆記用具と、ボロボロになった教科書を机に出す。

「まだその教科書使ってんの?」

「うん……まだ使えるから……」

「転校生はほんと偉いよねぇ」

そんな会話をしているうちに、教室は生徒で埋まっていく。

けれど、すーちゃんは来ない。

朝礼が始まる時間になっても。

そして昼休み。

結局、すーちゃんは学校に現れなかった。

それに今日は、斤上さんがなぜか私たちをいじめてこなかった。

(もしかして琴音のおかげ?)

そう思いながら弁当を食べていると、斤上さんの方から「うるさい……」という声が聞こえた。

恐る恐る視線を向けると、斤上さんは両手で耳を塞いでいる。

琴音が心配そうに近づいた。

「姫瑠、今日どうしたの? 本当に変だよ……」

「うるさいわね! ほっといてよ!」

そう叫ぶと、斤上姫瑠は教室を飛び出していった。

「誰なの! 誰なのよ!」

私は耳を塞ぎながらトイレへ駆け込む。

中にはいつものメンバーがいた。

「すまん、遅れた……」

私は壁に寄りかかり、耳を強く塞ぐ。

「やっと来た! きるるん遅〜い」

鶴野つばさが明るく声をかけてくる。

「うるせえなぁ……」

「姫瑠、気分悪い? 飴でも舐める?」

坂嶺歩幸が飴玉を差し出す。

「あぁ……ありがと……」

「姫瑠ちゃん、本当に今日変だよ?」

二階堂愛がおでこに手を当てる。

「うん、熱はないみたいだね」

「だから大丈夫だって……」

体には異常がない。

だが、誰かが耳元で囁いている。

『私の友達に触れないで……』

その声は何度も繰り返され、精神を削り取っていく。

「黙れ……」

無意識に声が漏れた。

「姫瑠? 本当に大丈夫?」

「つばさ様が保健室連れてってあげようか?」

仲間の声すら、今は不快にしか聞こえない。

「絶対にあいつだ……許さねぇ!」

「ちょっと姫瑠!、どこ行くの!?」

私はトイレを飛び出し、教室に戻った。

そして鈴藤の胸ぐらを掴む。

「屋上こい! 話がある!」

「わ、わかりました……」

屋上に移動し、私は鈴藤を壁に押し付けた。

「お前だろ! 私に変なイタズラしてんの!」

「え、な、なんのことです? 私は何も……」

「嘘ついてんじゃねえよ! お前しかいないんだよ!」

怒りに任せて鈴藤の腹を殴り、頭を壁に押し付ける。

『お前……私の友達に触ったね……もう許さないから……』

「うるせえ! 黙れ!」

耳を塞ぎ、屋上から飛び出す。

「本当になんなんだよ! お前は誰なんだよ!」

そう叫びながら階段を駆け降りる。

『私は風海ちゃんの友達だよ』

その瞬間、体がふわっと浮いた。

時間の流れがゆっくりになる。

何が起きたのか理解できない。

次の瞬間、「バキッ」という鈍い音が響いた。

首は不自然に折れ、体は動かない。

『ふふふっ、死んじゃったかな? でも一応トドメも刺さなきゃね』

そこに立っていた女の子は、ゆっくりと口角を上げ、ロッカーを階段の上から突き落とした。

姫瑠の頭を潰すように。

『……あはは……だから言ったでしょ。私の友達に、触っちゃダメなんだよ』

赤黒い飛沫が階段を染める。

少女の笑い声だけが響いた。

放課後。

5時のチャイムで私は目を覚ます。

「あれ……確か私、斤上さんに殴られて……」

「おはよう……」

隣に座っていたのは琴音。

泣いている。

ウィッグは外し、いつもの琴音だ。

「琴音? ……なんで泣いてるの?……」

「姫瑠が死んだ……」

その言葉を聞き、私は何も言えなかった。

ただ肩を並べて座るしかない。

「帰ろっか……」

「うん……」

琴音が私の背中をポンと叩く。

一緒に歩き出す。

琴音は静かに泣いていた。

「姫瑠……私のせいかな……」

「そんなことないよ……琴音は何も……」

「でも姫瑠は、私のこと恨んでるよ……」

そして夏休み初日。

私は警察に事情聴取を受けることもなく、家でだらだら過ごしていた。

「お姉ちゃんだらしないよ! だらしない子は悪い子なんだから!」

「だって暑いし……カズミだって家で水遊びしてるから悪い子だよ」

カズミは水鉄砲を構え、自分に水をかけて遊んでいる。

「ふっふっふぅー、お姉ちゃんが暑さでダウンしてるから怒られないのだ!」

「ダウンしてるのは暑さだけじゃないよ……」

私は昨日のことを思い出し、罪悪感を覚えた。

その時、インターホンが鳴る。

玄関を開けると、そこにはすーちゃんがいた。

「すーちゃん?」

「遊びに来たよ! カズミちゃんにも会いに来ちゃったぁ!」

今日のすーちゃんはいつもより機嫌が良い。

「とりあえず上がって……」

「わかった!」

靴を脱ぎ捨て、すーちゃんは家に入る。

「すーちゃんは元気だなぁ……」

私はそう呟き、ドアの鍵をかけた。

「風海ちゃん、今日は何する? 夏休みなんだし海行く!?」

「い、いいね……でも遠慮しとくよ……」

「じゃあみんなでだらだらテレビ見よっか! カズミちゃん、電源つけてよ」

「えぇ〜、めんどくさぁい。お姉ちゃんよろしくぅ」

カズミは水鉄砲を撃ちながらふざける。

「もう、ちゃんと拭いといてね。カビ生えちゃうから」

私はテレビの電源を入れる。

「一つも面白い番組ないじゃん!」

「そうだね。じゃあ面白星人の琴音ちゃん呼んだら?」

すーちゃんが提案する。

「うん……でも今は……」

「どうしたの、風海ちゃん?」

「いや……なんでもない……」

心のどこかで、斤上さんのことを忘れようとしていた。

なぜかは分からない。

でも忘れたい。

その気持ちはよく分からないまま、私は考えるのをやめることにした。

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