期待はずれの女と言われましたので
「アダリーシア、君は本当に期待はずれの女だな」
アダリーシアは自分に向かってそんなことを言い放った男性――婚約者であるラーベルをそっと睨みつけた。
金色の短髪に緑色の瞳、スラリとした長身の男性で、学園内では『王子様みたいな容姿』だと評判だ。彼は侯爵家の三男で、結婚後はアダリーシアの父親の爵位――侯爵位を継ぐことになっている。
ラーベルの隣には妖精のような愛らしい風貌の男爵令嬢イディアがいて、恋人のように寄り添い合っていた。――いや、実際問題、二人は恋人同士なのだ。
だから、アダリーシアがそれを咎めた。軽率な行動は控えるように、と。その結果、ラーベルから『期待はずれの女』と言われてしまったのだが。
「期待はずれ、ですか。この私が?」
「そのとおりだ。君と婚約を結んでから早五年、君はちっとも僕の期待にこたえてくれなかった」
仰々しく両手を広げ、ラーベルは大きなためいきをつく。アダリーシアはムッと唇を尖らせた。
「なんだよ、その反応は? 納得できないっていうのか? だったら教えてくれ。一体誰が君みたいな女と結婚したいと思う? 君のその紅い長髪はまったく可愛げがないし、金のツリ目は見ているだけで恐ろしくなる。男性と剣の腕を競い合っては打ち負かし、いたずらに知識をひけらかす――女として期待はずれもいいとこだろう? 君は男性を立てることを知らないのか?」
ラーベルはそう言って、自分の腕にしがみついているイディアに目配せをした。イディアはニコリと微笑むと「ね?」とラーベルに同意をする。
「見た目はさておき、男性と剣の腕を競い合うのは、そんなに悪いことなのでしょうか? 私は領民たちを守るために剣技を磨いておりますし、女性が相手では怪我をさせてしまいます。加えて、私は別に知識をひけらかしているつもりはございませんので……」
「そうやってすぐに言い返してくるところが気に食わないって言ってるんだ! 少しは素直に僕の言うことを受け入れてみたらどうなんだ? せっかくどうしたらいいか、教えてやっているというのに」
フン、と嘲るように笑いながら、ラーベルはアダリーシアを睨みつけた。
「なるほど……たしかにいい機会です。ラーベル様が思う理想的な女性とは、具体的にはどのようなものなのでしょう? 列挙していただけますか?」
アダリーシアはそう言って、紙とペンを取り出す。ラーベルはニヤリと口角を上げた。
「髪の毛は金色かピンクでふわふわと触りたくなるようなウェーブがいい。雪みたいに真っ白な肌に、目は大きなタレ目、色は青か緑が理想的だ。声は高く、口調は柔らかく。レースや刺繍がふんだんに使われている服装が似合う女性らしい体つきで、一緒にいると癒やされるような女性が一番だ。まあ、アダリーシアとは真逆なタイプだし、絶対に無理だろうけどな!」
ハハッと大きく笑いながら、ラーベルはイディアに向かって「行こう」と促す。その場に取り残されたアダリーシアは、自分が書いたメモを見つめながら小さくため息をついた。
***
それから数日後、ラーベルはイディアとともに学園のホールにいた。
今日をもって、ラーベルとアダリーシアは学園を卒業する。ラーベルはこれから開かれる卒業記念パーティーに、二歳年下のイディアをパートナーとして連れてきていた。
(まったく、アダリーシアには呆れてしまうよ)
会場を見回しながらラーベルは笑う。
ラーベルは決して、アダリーシアに多くを求めていない。ラーベルの理想は、男性が抱くごく普通のものであって、それにこたえられないアダリーシアが悪いのだ。
事実、会場にいる女性たちはみな、柔らかいシルエットの愛らしいドレスを着ているし、パートナーである男性を立てている。
(どうせあいつは今日も真紅のマーメイドドレスだろう?)
空気を読まない、周りに合わせることを知らない愚かな女。本人は『個性的』『自分を持っている』とでも思っているのだろうが、周りからはみ出し、尖った個性を誇ったところでなんになるというのだろう?
(まあ、僕にあれだけ言われたんだ。アダリーシアだって少しは懲りただろう? 多少なりとも己を見直すはずだ)
ラーベルはアダリーシアとの婚約を破棄するつもりはさらさらなかった。
生家と同格の侯爵家で、大のつく資産家、結婚すれば爵位だってもらえる。アダリーシア本人はラーベルの理想とかけ離れているが、結婚相手としては実に理想的な相手だった。
とそのとき、ラーベルは思わず息を呑んだ。
(なんて美しい女性なんだ……!)
金色のふわふわした髪の毛に、大きくて美しい緑色の瞳、レースがふんだんに使われた白いドレスを見事に着こなした愛らしい女性がホールの中央にいて、一瞬で目を奪われてしまった。微笑みを浮かべた柔らかな表情、思わず触れたくなるような真っ白な肌、ほんわかした雰囲気など、すべてがラーベルにとって理想的だ。
(誰なんだ、彼女は)
学園に在籍していた三年間、ラーベルはその女性を見たことがなかった。もっと早くに見かけていたら、絶対に声をかけたというのに。
(いや、まだだ)
ラーベルが見たことがないということは、爵位の低い家の令嬢だということ。今からお近づきになって、恋人――不倫相手にすることは十分可能だろう。
「ちょっと飲み物を取りに行ってくるよ」
ラーベルはイディアにそう言い訳をして、その場を離れる。それからまっすぐ、彼にとって理想的な女性のもとへと向かった。
「はじめまして、僕はラーベル・ゴラッゾと申します」
ニコニコと微笑みながら挨拶をすると、女性は瞳をぱちくりさせた。仕草までもが愛らしい――ラーベルは笑みを深めつつ、女性の手の甲に口付けた。
「ああ、僕はなんて愚かだったんだ」
「愚か……? まあ、どうしてですの?」
「我が学園にこんなにも美しい女性がいることを知らずにいたのですから」
返事をしながら、ラーベルは胸を高鳴らせる。
女性は声までもが可憐で、とても愛らしかった。少し間の抜けたようなおっとりとした喋り方も、会話のペースがゆっくりなところも、ラーベルにとっては抜群にいい。
(これだ! 僕はこういう女性を求めていたんだ!)
興奮のあまりラーベルの体が熱くなる。こんなふうにドキドキするのは生まれてはじめてだ。恋人のイディアに対してすら感じたことのないトキメキ。ラーベルは思わずガッツポーズを浮かべた。
「もっと早くにあなたに出会いたかった」
「まあ……! 嬉しいです。ありがとうございます」
「だけど、僕は今からでも遅くはないと思っています。どうか、あなたの名前を聞かせてくださいませんか?」
ひざまずき、女性に向かって手を差し出す。ラーベルはとびきりの笑顔を浮かべた。
「私の名前は」
「名前は?」
ラーベルが期待の眼差しで女性を見る。女性はしばらくラーベルを見つめたあと、ふぅと小さく息をついた。
「私の名前は――アダリーシアと言いますの」
「…………え?」
ラーベルが大きく目を見開く。それから、彼の体にゾクゾクと悪寒が走った。
「アダリーシア?」
「ええ、そうですよ。あなたの婚約者のアダリーシアです」
嘘だろう、と呟くラーベルに、アダリーシアが微笑む。いつもとは違った柔らかい笑顔だ。けれど、瞳の奥にはラーベルに対する軽蔑と怒りの感情が見え隠れしており、ラーベルはブルリと身震いする。
「一体どういうことだ?」
「どうもこうも……私に『理想の女性になるように』とおっしゃったのはラーベル様ですよ? ですから、私は全力で、あなたの期待にこたえただけなのです」
いつもと違った、おっとりとした話し口調。声だって普段よりずっと高いし、ラーベルには目の前の女性とアダリーシアが同一人物だなんて、とてもじゃないが信じられない。信じたくなかった。
「だけど、髪が! 瞳の色が違うじゃないか!」
「髪は染めて、ふわふわに巻いてもらいました。瞳も、別の色に変えるための特殊な品がございますの。ツリ目は化粧でごまかせますし」
「身長だって、アダリーシアはもっと高いはずだ!」
「少し屈んでいるだけです。こうすれば――ほら、いつもと同じ高さでしょう?」
そう言われてアダリーシアを見ると、先程よりもずっと身長が高くなる。ラーベルはグッと歯噛みした。
「なんだよそれ。……なんなんだよ!」
ラーベルが大きく地団駄を踏む。ようやく自分の理想が叶ったはずなのに――いや、叶ったからこそ腹が立った。ラーベルはアダリーシアを睨みつけ、掴みかかった。
「できるなら、最初からそうすればよかっただろう!? どうして最初からそうしなかった!? そうすれば僕は君を……」
「しませんよ。なんで私がラーベル様のために、自分を殺さなきゃいけないんですか?」
アダリーシアはいつもの口調、いつもの声音に戻ると、肩をポキポキと鳴らす。
「いいですか、ラーベル様。事前にこたえさえわかっていれば、他人の期待にこたえることはそう難しいことではありません。私はこれまで、多少なりともあなたの期待にこたえる努力をしてきました。……まあ、あなたには満足していただけませんでしたけどね。だけど、私は今後、あなたの期待にこたえるつもりはないんです」
「期待にこたえるつもりがない?」
今や会場中の視線が二人に注がれていた。
イディアも二人のそばまでやってきて、オロオロと視線を彷徨わせている。
「なんでだ? 僕たちはもうすぐ結婚するんだから、そのまま僕の理想どおりでいればいいだろう?」
「お断りです。というか、ラーベル様と私が結婚することはなくなりましたし」
「どういう意味だ?」
アダリーシアはラーベルの耳元に口を近づけると、声を潜めた。
「――先日我が家から婚約破棄を申し入れたんです。ご存知なかったのですか?」
「婚約破棄!? なんだそれ、聞いてないぞ」
せっかく小声で説明してやったというのに、ラーベルのせいで台無しだ。周囲がざわざわするのを見ながら、アダリーシアはため息をついた。
「アダリーシア、僕は君との婚約を解消する気はない! 僕は君と結婚して、次期侯爵になるんだ」
「嫌ですよ。ラーベル様は私に『期待はずれ』だとおっしゃいました。だけどそれは、こちらのセリフなのです」
アダリーシアはラーベルの手を振り払い、彼を冷たく見下ろす。
「婚約者がいるのに恋人を作り、勉学や自己研鑽を怠り、私にばかり理想を求める。あなたと結婚したところで、私にとってのメリットはないし、領民たちに迷惑をかけてしまいかねません。そんな『期待はずれの』男性は願い下げですから、両親と相談の上、慰謝料を払って破棄させていただくことにしたんです」
「な……」
ラーベルは顔を真っ赤に染めつつ、わなわなと体を震わせる。
「期待はずれ? この僕が?」
「ええ。あなたにあるのは家柄と顔だけでしょう? 私や両親が求める次期侯爵としての素養はなにもありませんし、正直言って期待はずれです」
アダリーシアがニコリと笑う。ラーベルはキッと瞳を吊り上げた。
(嘘だろう? この僕が婚約を破棄された?)
信じられない。……信じたくない。言葉では言い表せないほど屈辱的だった。
しかし、このままでは次期侯爵という地位も、貴族としての富や名誉も、手に入れるはずだったすべてを失ってしまうことになる。なんとかしてアダリーシアに考え直してもらわないと――
「待ってくれ、アダリーシア! 一度婚約を破棄したら、次の結婚相手なんて見つからないだろう? 僕にもたしかに悪いところがあった。これからは君の期待にこたえるための努力をする。だから……」
「その心配はないよ」
と、誰かがラーベルの言葉を遮る。第二王子のジェルバだ。
ジェルバはアダリーシアの肩を抱き、ラーベルをそっと睨んでいる。ラーベルはビクリと体を震わせた。
「殿下、今のは……」
「俺はずっと、アダリーシアに片思いをしていてね。君との婚約を破棄したことを聞きつけてすぐに、アダリーシアに自分の想いを告げたんだ。時期尚早かもしれないけど、ライバルがたくさんいると知っていたからね」
ジェルバはそう言って、周囲をゆっくりと見回す。嘘だろう、という気持ちでラーベルも周囲を見回すと、残念なことに数人の男性と目があってしまった。
(本当なのか?)
にわかには信じられない状況に、ラーベルは唇をぐっと引き結んだ。
「まあ、現状は結婚に承諾してもらえたわけじゃないけど、アダリーシアに次の結婚相手が見つからないなんてありえないよ」
「そんな……それじゃあ僕は――僕はどうなるんだ?」
自分の手のひらを呆然と見つめつつ、ラーベルが言う。アダリーシアが小さくため息をついた。
「ありのままの自分でいられる人と一緒になればいいんじゃないですか? 誰かの期待にこたえるために、偽りの自分でいる人生なんてつまらないでしょう?」
アダリーシアはそう言うと、自分の髪をくしゃくしゃと掻き乱す。それからピンと背筋を伸ばして微笑んだ。
「最後に一度だけ、あなたの期待にこたえてみようとこういう格好をしてみましたが――やっぱり駄目ね。たとえ期待はずれだとしても、私は私らしく生きるのが好きだと気づきました。ありがとう、ラーベル様。さようなら」
「あ……あぁ……」
颯爽と去りゆくアダリーシアの後ろ姿をラーベルがじっと見つめる。それから、ガックリと膝をつくのだった。