聖女のマウント大会
──卒業式の熱も冷めやらぬ中、王立学園の大広間では、断罪劇の余韻がまだ続いていた。
けれど、その中心にいたはずの令嬢、エステル・フィンブレイズの姿は、もうそこにはなかった。
彼女は何食わぬ顔で会場をあとにし、マドレーヌを片手に「じゃ、帰りますね〜」と軽やかに手を振って出ていったのだ。
──残されたのは、気まずさと、謎の敗北感だった。
いや、断罪したのはこちらであり、婚約破棄したのもこちらである。
なのに、なぜか「完全に振り回された」という気持ちばかりが残っている。
ユリウス・グランディール王太子は、苦々しい顔でため息をついた。
「……なんだ、あの女は」
「王太子様、ご無理をなさらないでくださいませ。ご自身の品位を保たれたことは、きっと国民にも伝わりますわ」
そう言って、彼の隣で静かに微笑むのは、聖女カトリーナ・セレスティア。
金の巻き髪に、澄んだ碧眼。
雪のような白のドレスに金糸の神聖文様。
その姿は誰もが憧れる聖女の理想像そのもので、口を開けば慈愛に満ちた言葉が流れ出る──かのように見せかけて、放たれるのはすべて毒だった。
「それにしても、エステル様……最後までご自身の立場を理解なさらないままでしたわね。まるで、“自分に何か価値がある”とでも思っているようで」
その声色は、微笑のまま、鋭く冷たかった。
「魔力量は測定不能の“ゼロ”。座学は常に赤点ギリギリ。実技は危なっかしくて講師が三人も辞めたとか」
「“伝説の三連退職事件”……確か、原因は魔法実験で校舎の一部を爆破したとか……」
「ええ、しかもあれ、“花を咲かせる魔法”だったらしいですわ」
周囲の貴族令嬢たちがくすくすと笑い、カトリーナは手を口に添えてさらに上品に笑う。
「それでいて、彼女、王太子妃になる気満々でしたのよ。まったく、自分の立場というものを理解していない方って、怖いですわよね」
──だが。
「……あの、そろそろ本当に帰ってもよろしいですか?」
入り口の方から、ぽつんと声がした。
全員が振り返ると、そこには──
出口手前で紅茶のおかわりを入れているエステルの姿があった。
「えっ……まだいたの……?」
カトリーナが思わず絶句する。
「ああ、はい。卒業記念の紅茶、飲みそびれそうだったんで」
エステルは当然のようにティーカップを掲げる。
「でも、断罪の空気の中でおかわりってしづらいじゃないですか。だからちょっとタイミング見計らってたんですけど……皆さん、盛り上がってる間にこっそり注いできました」
「盛り上がってたわけじゃないですわよ!!」
珍しく聖女の声が裏返る。
「というか、まだ堂々と紅茶を飲もうとしてるのが理解できませんわ!!」
「だっておいしいですよ? この茶葉、王宮御用達のやつじゃないですか。年に一回くらいしか飲めないし……」
「そういう問題ではありませんの!!」
カトリーナは、咳払いひとつ。表情を整えて、あらためてエステルを見据える。
「……まあ、よろしいでしょう。卒業は卒業、ですものね。あとは実家で、おとなしくお過ごしくださいませ」
「そうですね〜。ちょうど羊の出産ラッシュで」
「それ、先ほども聞きました」
「ちなみに先週はヤギの双子が生まれました」
「そんな情報は要りませんわ!!」
全力でツッコむカトリーナに、エステルは少しだけ眉を寄せた。
「でも……なんか、ここまで責められると、ちょっとだけ凹みますね」
「は?」
「なんか、全校生徒の前で“無能”って言われ続けた日って、後々じわじわ来そうで……寝れなくなるかも……」
その呟きは、意外にも静かで、淡々としていて。
そのせいか、場が一瞬だけ静まり返った。
だが、エステルはすぐにマドレーヌをもう一つ手に取り、ぱくりと口に運ぶ。
「でも、このマドレーヌおいしいから、だいたいチャラですかね」
──やはり、彼女はいつも通りだった。
言われても、笑われても、責められても。
エステル・フィンブレイズは、変わらない。
「では皆様、今度こそ本当に失礼いたします。お世話になりました〜」
ティーカップをそっと戻し、手をひらひらと振って、今度こそ本当に会場を後にする。
その背中を、貴族たちは誰も引き止めようとしなかった。
──ただ、誰もが妙な敗北感を覚えていた。
「……なんなのよ、あの人……!」
カトリーナの唇が、かすかに震えていた。