8ついに街へ
キュイを抱えたまま歩き続けていると、見えてきた。
入域管理局。
銀色のドーム型の建物で、ヨーロッパ風の街並みの中では近代的なので目立つ。
建物自体はそこまで大きくはないが日本の一軒家よりは大きいか。
役所ほどではないが、郵便局くらいは広いという感じだ。
窓口が横一列に並び、受付担当の人が忙しそうに対応している。
列に並んでいるのは、緑のマントに身を包んだ旅人風の若者や、よれたローブの魔法使いっぽい老人、子どももいるな。
俺はキュイをチラリと見て問題ないことを確認して抱え直し、列の最後尾につく。
毎日恒例行事なのか、サクサクと列が進んでいく。そして、ついに俺の番がきた。
「次の方どうぞー!」
一番左の若い女の受付嬢が片手を上げる。
俺はキュイを抱えたままそそくさと移動した。
「どういったご用件でしょうか?」
「通行許可希望です」
「通行許可ですねー。では、識別陣のご提示をお願いします」
「はい」
俺はシャツの衿を少しだけ下げて鎖骨下まで見えるようにする。どの辺りにあるのかわからないからな。
「はい、では失礼しますねー」
笑顔でそう答えた女が、俺の首下辺りに手をかざす。すると、鎖骨の辺りがかすかに白く光出した。
あのおっさんの言うとおりだ。
本当に俺にも識別陣ってのがあるのか。
「はい、ご協力ありがとうございました」
語尾に音符がつきそうなテンションでそう言い、女はかざしていた右手を手もとの白紙に向ける。
今度は女の手が──いや、指輪か?
女が右手の中指につけている指輪が光っている。そしてその光は紙に降り注ぎ……自動書記のように勝手に文字が浮かび上がってきた。
「すげぇ……」
思わず呟くと、女が顔を上げ、ニコッと笑う。
田舎者丸出しだったか。少し気まずい。
「通行許可ははじめて──ではないようですね」
「あー、実は記憶がなくて。自分のことがわからないかと思っているんです」
「そうだったんですね! えーっと、そうですねぇ……」
今まで明るい表情で受け答えをしていた女の顔が、紙に視線を落として文字を辿った瞬間固まり、だんだんと曇っていく。
「えっと……そうですね……えーと、旅人みたいですよ!」
いや、嘘だろ、おい。
どうしてそんなバレバレの嘘をつく?
目が泳いでいるぞ。嘘をつくならもっとポーカーフェイスを身につけてくれ。
「……訳ありなんですか?」
「えっ!? いやいや、そんなまさか! 普通の人ですよ! 大丈夫です、通行許可はバッチリお出しできますから!」
女は捲し立てるようにそう言い、俺の鎖骨……識別陣がある場所に手をかざすと、
「はい、完了です! ありがとうございましたー!」
と、雑に追い払った。
「……」
次の客に押し出され、会話が打ち切られた。
おいおい、この体の持ち主、どんな経歴なんだ!?
とりあえず俺は、街に入ってみることにした。
適当に追い払われたから、キュイのこと言えなかったな。大丈夫か?
ジッと腕の中のキュイを見てると、キュイは視線を感じたのか首をかしげる。
まぁ、大丈夫か。
今のキュイは、なんといっても、ペットサングラスを装着しているからな。赤目は見えない。動かなければただのぬいぐるみすら見えるかわいさだ。
入域管理局すぐ横のシールドへと真っ直ぐ歩く。
本当に大丈夫か?
地球人だからって、弾かれたりしないよな?
そっと、慎重にまず右足を伸ばした。
──スッ
足が、通りぬけた。薄い青色をしたシールドを、完璧に通りぬけている!
おおおお、きた!
俺もついに街に入ることができるのか!
感極まって勢いよくシールドを通りぬける。
通りぬけたあとに我に返り、子どもか!と自分にツッコミを入れた。
「おお、すげぇ……」
目の前に広がるゴシック建築。
正確には違うのだろうが、地球のゴシック建築に一番似ている。右を見ても左を見ても、趣あるヨーロッパの街並み。
本当に異世界に迷いこんでいたんだなぁ。
迷いこんだ、というより、一応体は現地の住民らしいから表現し難いが、やっぱり転生ってことになるのか?
俺は首をそらして、巨大な建築物を見ていく。
文明レベルはどのくらいなんだ?
ゴシック建築ってことは、12世紀から15世紀くらいか?
いや、でもどう見ても他が19世紀以降なんだよな。この識別陣にしても、シールドにしても、謎の技術ではあるが高度な技術であると予測はつく。
それに、あのおっさんが魔石があると言っていたからな。地球にはないエネルギーが基になっているのかもしれない。
とりあえず、気になっていた時計台を目指して歩く。
ふらふらと人に紛れて歩いていると、大きな通りに出た。一本デカい道が通っていて、そこを黒塗りの立派な馬車が通っていく。広さ的には三車線はありそうな感じだ。
「はー、馬車なのか。車みたいなのは発明されていないってことか?」
その通りは商売も盛んなようで、店が建ち並んでいる。でも、ごく普通の店のようだな。呼びこみとかはないし、自分で扉を開けて店の中に入るスタイルのようだ。
キョロキョロと左右に立ち並ぶ店を見つつ歩いていると、よそ見をしていたからか、ドンッと人にぶつかってしまった。
「あ、すみませ……」
「いってぇぇえええええ!」
「は?」
ぶつかった男が、大げさに叫んで左腕を押さえた。
いや、ちょっと待てよ。どう考えてもすれ違い方的に、負傷するなら右手だろ! 俺は左を通って、おまえは右を通っただろ。なんで左手なんだよ。こいつ、当たり屋か!?
「おい、にいちゃん、どうしてくれんだ、あぁ? 怪我したじゃねえか!」
右手で胸ぐらをつかまれ、イカつい顔を近づけられる。いかにもゴロツキと言わんばかりの、スキンヘッドの男だった。なんか目の下には、黒いスペードマークの刺青が入っている。
俺はすんっと真顔で対応する。
「いや、ぶつかったの右手ですよね。左手が負傷するはずないでしょう。そんなに言うなら診断書でももらいましょうか? 同行しますよ」
毅然とした態度でスラスラと答えれば、スキンヘッドの男はややひるんだように軽く身を引いた。
「お、俺様が怪我をしたっつってんだから、言うこと聞けや、オラ!」
「だから、ならそれを証明してくださいって言ってんすよ。話聞いてんのか?」
負けじと顔を近づけ、睨みを効かせる。
この体がどんな顔をしてるかはわからんが、こっちは年季の入ったおっさんだぞ。上司に怒鳴られるのは日常茶飯事の社畜だコラ。こんな若いヤンキー無勢の男の言うことをハイハイと聞くか。こっちには大人の対応ってのがあるんだ。
俺は一度顔を離し、余裕がある風に装って笑ってみせる。
「埒があかないので、専門家に頼みましょう」
「あぁ? 専門家だぁ?」
「いるでしょう。騎士団だか衛兵だか、街の治安を管理している団体が」
男は途端にビクッと肩を跳ねさせると、舌打ちをして身を引いた。
「チッ、今回は特別に許してやるが。おまえの顔は忘れねえからな」
そんな捨て台詞を吐いて、男は不機嫌そうにドカドカと足音を立てて去っていった。
ふぅ、いきなりカモられるとは。
でも、やっぱりどこの世界も同じだな。
困ったら警察。ヤンキー退治の極意だ。