7異世界の街
キュイを抱えたまま、街に入るために鉄製の柵に近づく。
「これは?」
ただの柵みたいだが、よく見ると、薄っすら透明な青の壁みたいなのがある。シールドか?
日本以上の最新技術なのか、それとも異能で作られているのか。
「……」
「きゅう?」
キュイが俺を見上げて不思議そうに首をかしげた。
「ああ、いや。なんでも」
年甲斐もなく、ワクワクしている。自然とニュッと上がっていた口角が意識しても戻らない。
いや、こんなの、ワクワクするなって言うほうが無理だろう。
ヨーロッパを思わせる街並み。
道は凹凸がほとんどないレンガのようなタイルが敷き詰められていて、ゴシック建築を思わせる建物が並んでいる。
これだけでも海外旅行に来た気分なのに、ここから確認できるだけでも街を行き交う人たちは普通じゃない。金髪、青髪、赤髪、ピンクにオレンジ……。
どう見ても、日本でもなけりゃ地球でもない。
さらに、遠くに見える時計台らしき尖塔。
円形の白い文字盤に12までの数字が並び、針が秒針を刻んでいる。が、日本と違うのは、その塔の周りに、見たことのない光る玉が浮遊していることだ。
無色透明かと思いきや、たまに赤くなったりと、LEDライトでも仕込まれているのかと思うほど、一瞬で色が変わっていく。
色が変わると鐘の音が鳴り、街の人たちは必ず塔を見ていた。なにか意味があると予測ができるが、まったくわからん。
早く街に入りたいが、問題はこのシールドだ。さっき気づかずに通りぬけようとして、思いっきり額を打ったからな。
シールドの外から街を眺めていると、ふと、俺の周囲をすっぽり覆う巨大な影ができた。
またあの鳥か?
慎重に上空を見れば、サンタクロースのそりを引くトナカイ……ではなく、荷台を引いて空を駆けるペガサスのような馬がいた。
馬の体から生えている二対の翼を大きくはためかせ、悠々と空を飛び、街の奥にある高台へと向かっていく。
「すげぇ……」
これぞ異世界。まさに異世界。
空飛ぶ車ならぬ、空飛ぶ馬。
「入り口はないのか」
キュイを抱えつつ、左右を見て入り口を探す。
さっきの空飛ぶ馬は、なにもせず通りぬけていたが、空にはシールドがないのか?
目を凝らして見てみる。
光に反射して薄っすらと青が見える。地上と同じようにシールドで囲われているようだ。
となると、条件があるのか。
それとも、馬は特例なのか。
仕方なくシールドにそって右手に進んでみることにした。
農地とかがあるようには見えない。
シールドの中は、住宅や商業施設だけがあるのかもしれないな。
ジロジロと不審者のように見ていると、こっちに向かって歩いてきていた一人の男が、そのまま何事もなかったかのようにスッとシールドを通りぬけた。
なぜ通れる?
目を開いて男を見て、次に男が通った場所を見る。
なるほど。そういうことか。
決まった場所なら通れるタイプのシールドだな?
ニヤリと笑い、俺は寸分の狂いもなく男が通った場所のシールドに向かって歩いた。
ゴンッ!
盛大に鈍い音が響き、阻まれる。
どういうことだよ!
「きゅう……」
「哀れみの目で見るな」
キュイの視線から逃れ、俺は振り返る。
そして、ベージュの帽子をかぶって、ゆったりと歩いていたさっきの男を呼び止めた。
「すみません。お尋ねしたいことがあるのですが」
「んぁ? ああ、俺か?」
男が足を止めて振り返ってくれた。
無精髭の生えた、茶色の髪と明るいオレンジのような瞳をしたどこか気だるげな男。腰に長剣を下げている。ファンタジーだ……。
「はい。今、この街から出てきましたよね。このシールドはどうしたら通れるんでしょうか」
「通行許可は取ったのか?」
「通行許可? たぶん取っていません」
「ふぅん……」
男は俺を上から下までなぞるように見た。
めちゃくちゃ見てくるな。
この世界の常識だったか。
まぁ、大丈夫だ。
俺は、見た目はこの世界の住人風だからな。髪は銀髪だし。他はわからんが……。
先に容姿を鏡でチェックしておくべきだったか。すっかりと忘れてた。
内心ドキドキしつつ、相手の出方を待っていると、男は顎に指を当て、無精ひげをさすった。
「おまえさん、いいとこのボンボンか? そのわりには徒歩……。と、そいつぁ魔獣か?」
……魔獣?
男の視線の先にいるのは、キュイだ。雪のように白く、シルクのような毛並みの美猫風の生きもの。
「それにしては見たことのない魔獣だな。ずいぶんと愛らしい見た目だ」
男は物珍しそうに、キュイに顔を近づけジロジロと眺めた。
「あのー。魔獣ってことは、危険だったり?」
「基本的には討伐対象だ。魔石が採れるからな。ただ、魔馬のように便利な魔獣は利用されたりもする」
あの空を飛んでた馬は魔馬って言うのか。
「どうしてこいつが魔獣だと?」
「そりゃ目だ。魔獣は赤い目をしてるのさ。こいつも目が赤いだろう。だから魔獣ってわけだ。魔獣は固有魔法を持っているから、くわしくないなら気をつけろよ」
俺はキュイを見下ろした。
魔獣。
言葉を理解しているのは、ただの動物じゃなかったからか。
こんなにかわいいのに、討伐対象。
キュイが首をかしげた。
「きゅ!」
俺を助けてくれたし、危険はないと思いたいが……。
「魔獣も街に入れますか?」
「あまり歓迎はされないが、許可があれば一応は入れるぜ。それよりおまえさん、あまりにも知識がないが、家出でもしてきたのか?」
怪訝そうな視線が向けられて、俺は肩をすくめてみせた。
「あー、いや。記憶がないんですよ。気がついたら森で倒れていた感じです」
変に疑われても困るので、正直に話した。
まぁ、地球の記憶があるとは言えないが。
「記憶が。なるほどなぁ。それなら、街でいろいろ聞いてみるといい。識別陣は……」
男は言いながら、俺のシャツの襟をくいっと下に引っ張って、軽くのぞきこんだ。
「あるな。それなら、通行許可もすぐだろう。おまえさんがだれなのかもわかるはずだぜ」
「識別陣ってのは?」
「生まれたときにつけられる陣のことだ。首の下……鎖骨辺りにある」
男は自分の服の襟を下に引っ張って、鎖骨の中心辺りをトントンと人差し指で示す。
そこにはなにもない。普通に皮膚と鎖骨があるだけだ。からかわれたか?
「通常はこんな風に見えないが、こういった街のシールドを通ったりするときは光るようになっている」
「すごい技術があるんですね」
見えない刻印、刺青みたいなものか?
「はじめての街は、まず入域管理局で通行許可証を発行してもらう。といっても、識別陣に許可の印を追加してもらうだけだ。勝手にやってくれる。気をつけることは……そうだな。魔獣はできれば荷物の中に隠しておくといい。それか、目を見せないことだな」
「わかりました」
「入域管理局は、このまま真っ直ぐ進むと見えてくる。人が多いだろうからすぐわかるだろうよ」
「ご親切にありがとうございました」
頭を下げると男はカラカラと笑って背を向け、片手をひらりと振った。
「記憶喪失ってのは言わないほうがいい。カモられるからな」
そう言って、男は去って行った。
いいおっさんだったな。
地球で社畜してたころの俺と同じ年くらいっぽいが。
それにしても、入域管理局か。
俺にも識別陣ってのがあるらしいが、この体の人物の名前や経歴がわかるかもしれないってことだよな。
問題は、わかったとしてどうするかだ。
中身は完全に日本人の社畜だからな。上手くなじめるとは思えない。
親元に帰るか? 一人で生きていくか?
「とにかく行くか」
キュイを抱えたまま、言われた通りに歩きだして、はたっとキュイを見る。
「おまえ、荷物に入っていられるか」
「きゅ~っ」
嫌なようだ。
耳がやや後ろに沿って、心なしか毛が逆立った。
「つってもなぁ……。あ、そうだ。いい方法がある」