3もふもふと遭遇
なぜ急にペットボトルの水が?
いや、なんでもいい。
今は、とにかくっ、喉が渇いている!
震える手でキャップを捻る。ろくな力が残っていないのか苦戦したが、カチリと聞き慣れた音がして封が切れた。
見慣れたペットボトルの飲み口が輝いて見える。砂漠に現れたオアシスのような神々しさ。あぁ、ただのペットボトルに後光まで見えてきた……。
ゴクリと喉を鳴らし、おそるおそる透明なキャップに口をつけた。そして、一気に傾ける!
ゴキュッ。ゴクッゴクッ。
喉が何度も嚥下する。
口の端から水が溢れた。
かまわず一心不乱に飲み続ける。
貪るように半分ほど一気に飲み干して、俺はようやく口を離した。
「はぁーっ、うまいっ!!」
染み渡るとはまさにこのこと。
乾ききった喉を、命の水が潤していく。雑味のない、清冽な味わい。
これは間違いなく、俺が知っている「日本で売っている水」だ。
残っていたもう半分を飲み干し、一息ついた。
「生き返った……」
それにしても、このペットボトルの水はどこから現れたんだ?
突然現れたとしか表現のしようがない出現だった。
ポンっと音がしたと思ったら、手に持っていたのだから。
いや、変な兆候はあったか。
頭痛と、なぞのゆらぎ。
今はそのゆらぎがあった場所にはなにもない。
俺は手に持っている空のペットボトルを見てみる。
うーん。ラベルなし。
よく見たらキャップの形が変だ。いびつに歪んでいる。キャップの形が綺麗な丸じゃなかったから開けにくかったのか。
他に変な個所はないか探していくが、とくにない。
強いて言うなら、ペットボトル自体がやや柔らかすぎることか。でも、こういうペットボトルもあるからなぁ。
手の中でくるくるとペットボトルを回して観察を重ねるが、これといって変なところはない。ちょっと形が変なペットボトルだ。
形が変となると、市販品ではないと思うが……。そもそも、こんな樹海に急にペットボトルが現れること自体、おかしい。
目が覚めてから、頭の隅にあったバカげた予想、どんどん膨れ上がっていく。背中を嫌な汗が伝っていった。
「……ここ、日本だよな?」
ギーグオグッギュウイーン!と、絶妙なタイミングで謎の生きものが鳴いた。
「……」
やめてくれ。そんな鳴き声は聞いたことがない。まるで「日本なわけあるか!」と言われた気分になる。
「と、とりあえず森を抜けるか。人を探さないと。だれかに聞けばなんとかなるだろ……ただ、最悪の場合も想定しておかないとな……」
もし、ここが、日本ではないのなら。
いわゆる、“異世界”とやらになるのだろう。
昔読んでいたライトノベルにそういった話があった。忙しくなってからはめっきり読まなくなっていたが、死んで異世界に転生するという話だ。
社畜の俺はきっと刺されて死んだし、この体は若い青年だ。条件としては当てはまっている。ラノベだが。
気になるのは、この体のときの記憶がこれっぽっちもないことだが……。このわけのわからない状況からして、死んで生まれ変わった、もしくは、死んで憑依したとかの可能性は高い。俺の髪は一応、まだ黒かったしな。
けれど、あり得るのか?
死んで異世界なんて。
いや、今は考えても仕方がない。まずは森を抜けて人を探すことに集中しよう。
体は傷だらけだったが、なんとか動くので、持っていた短剣を片手に持ち、慎重に森の中を進んでいく。
スマホがないと五感が研ぎ澄まされる気がする。それとも、この体がもともと耳がいいのか、物体の音がよく聞こえる。
ほんのわずかな葉の擦れる音、風が吹き抜ける音、遠くの虫の羽音まで。
しばらく歩くと、やや離れたところになにかが落ちていた。
「毛玉……?」
薄汚れた、ふわふわの毛の茶色の塊。
人形……のはずはないから、生きものだろう。
どうする。迂回をするか?
ここがどこかもわからないのに、見知らぬものに近づくのは危険だよな?
そう思って、別の道を探そうとした、が。
「きゅ、きゅぃ、きゅぅ~~」
なんとも愛らしい高い声が引きとめるように響いた。
息絶え絶えで苦しそうではあったが、聞いたことのない声だった。
「きゅ、い、きゅっ……きゅっ」
足が、ゆっくり止まる。
俺は背を向けたまま右手のひらを顔に当て、悶絶していた。
こんなかわいい鳴き声があるのか!?
立ち去っていいのか?! 人として!
日本には動物愛護法がある。いや、ここは日本ではないかもしれないが。俺の中にある日本人の遺伝子が「見捨てるのか?」と圧をかけてくる。
そっと、本当に少しだけ、振り返ってみた。
毛玉だと思っていたその生きものは、わずかに顔を上げ、赤い瞳で俺を見つめてきていた。
「きゅ、う~」
全身を細かく震えさせ、ぜいぜいと喘ぐように呼吸している。
よく見たら、毛に付着しているのは、砂にまみれた血のようだった。
怪我をしてるのか。
どうする? 最悪の場合、噛まれてお陀仏もあり得る。未知の生きものだし、危険な病気を持っている可能性も……。
……いや、どうせもう死んだんだから、いいじゃないか。
ここがどこかも、俺がだれなのかもわからない。
それに、一度死んだとき、浮かんだのは後悔ばかりだっただろ。
もっとあれをやっておけばよかった、こうしておけばよかった、って。
また、チラリと地面を見てみる。
ふわふわの生きものは、たったあれだけで疲れてしまったのか、ぐったりと地面に顔をつけて伏せってしまっていた。
「……大丈夫か?」
俺はとりあえず声をかけてみた。わずかにふわふわの塊が顔を動かして俺を見た。
話しかけられている、と理解をしているらしい。
近づいて地面に膝をつき、そっと手を伸ばした。毛がごわごわしている。けれど、温かい。生きている温度だ。
「おまえ、親とかはいないのか?」
「きゅ、きゅ」
ふわふわの生きものは苦し気に声を出し、首を横にふる。
言葉を理解している……。
どうやらここは、本当に日本ではないのかもしれない。
腹をくくるか。
異世界で生きていくと。