4.思いがけず自爆
自宅を出発したのは今朝のことだ。
事前に目を通すよう指示されていたファイルに記載されていた通り、夜が明けてすぐの時間に家の呼び鈴が鳴った。
自宅から集合場所までは、専任のスタッフが送ってくれるという段取りになっていた。
「おはようございますっ! 夏越龍之介くん、だよね? 君をお迎えにあがりました!」
元気な声と共に玄関に現れたのは、私服姿の若い女性――佐伯と名乗る政府関係者だった。
けれど彼女は、政府関係者の肩書きが全く似合っていないような、「普通の可愛らしい女子大学生」みたいなイメージの女性で、正直拍子抜けだった。
もっとこう堅苦しいスーツ姿の役人が来るものだとばかり思っていたから。
……ちらちらっ……ちらちらちらっ……と、リビングのドアの隙間から、母と父が代わる代わるこちらの様子を伺ってくる。
恥ずかしいからやめてくれと前日のうちに頼んでいたのに、結局二人とも我慢できなかったようだ。
「父さん、母さん、それ、バレバレだから」
俺にツッコまれると、2人はぎくっとしたような顔を浮かべ―――結局、もう開き直って玄関口にまで出てきてしまっていた。
「あはは。どうしても龍ちゃんが心配でね。元気でやんなさいよ? 寂しくなったら、いつでも電話かけてきてもいいからね」と母。
「健康だけは気をつけろよ。変なもん食うなよ。夜ふかしすんなよ。それと、まあ何がとは言わんが、ほどほどにしとけよ!」と父。
「わーってるよ。ありがと。2人も夫婦の時間を楽しんで」
「おっ……じゃあ、俺も龍之介に負けじと久しぶりに母さんとラブラブしちゃおっかな!」
「まああなたったら……♡♡」
「おいやめてくれよ。 親の色恋を見せられるのほど気色の悪いもんもねえから……!」
俺たち家族のやり取りを見ていた佐伯さんが、ほんの少しだけ困ったように笑った。
「……なんだか楽しそうなご家庭ですね」
それから彼女は真顔になって、両親の方に向き直る。
「息子様は、責任をもってお預かりいたします――国の威信をかけて」
「……心強いです。ね、あなた?」
「ああ、本当にその通りだ。 ……ところで、ひとつお聞きしたいんだが、佐伯さん。あなたのその服装って――――」
「うふふ。じゃあ、そろそろ行きましょうか?」
父さんからの質問をさりげなくスルーして、佐伯さんは俺の手を引いた。
「っと……い、行ってきます!」
そのまま玄関を出ると、家の前には佐伯さんの車が停車していた。
俺の荷物は、三週間分の生活用品と衣類を詰め込んだ大きなキャリーケースと、背中に背負えるリュックサックの2つ。
「私がやるよ。慣れてるから」
そう言って佐伯さんはささっとキャリーケースをトランクに積み込んでくれた。
キャリーケースはかなり重たいはずなのに、佐伯さんは見かけによらず随分パワフルなようだ。
車に乗り込むタイミングで、俺は自分のスマホを提出するよう求められた。
内心では少し戸惑いつつも、彼女の人懐っこい笑顔に押されて、結局すんなりと差し出してしまった。
それから佐伯さんの運転する車に乗り込んだ俺。
(車もまた普通の家庭的なコンパクトカーだった。彼女の服装といい、これは情報漏洩を防ぐためのカモフラージュだろうな)
車に揺られること数時間。
移動中に目的地のことも説明されるという話だったはずだが、正直、そのほとんどをよく覚えていない。
乗り込む時はかなり緊張していたはずなのに、車内が妙に心地よくて、すぐに眠りに落ちてしまったのだ。
(「睡眠薬でも盛られたか?」というデスゲームものじみた疑いが一瞬頭をよぎったが、流石にそれはない……はず)
目が覚めたときには、もう見知らぬ海が目の前に広がっていた。
「海……?」
「おはよう、夏越くん。うん、綺麗でしょう? もうすぐ目的地だよ」
そう言って、佐伯さんはフロントガラス越しに青く光る水平線を指さした。
フェリーターミナルの駐車場に着いたのは昼前だった。
「……港、ですか?」
「そう。ここが集合場所ね。プログラムの開催地はある離島で、参加者や関係者はこの港からフェリーに乗って現地に向かうことになってるってわけ。道中でも一応説明したんだけど……って、君寝ちゃってたか」
「すみません。心地よかったので、つい」
「ふふ。いいのよ、気にしないで。それにしても……ちょっと早く着きすぎちゃったみたいだね」
佐伯さんは辺りをくるりと見回して苦笑した。
「俺たちが一番乗り、ですかね?」
「らしいね。ま、とりあえず車降りよっか」
彼女に促されるまま、俺は車を降り、リュックサックを背負った。
佐伯さんはトランクから俺のキャリーバッグを降ろした。
彼女はそのままそれを持ち運んでくれそうな素振りを見せたので、俺は引き止めるようにして、
「あ、それくらい自分で運びますよ」
「いいよいいよ。どうせ受付に持ってくだけだし。夏越くんはリュックに手ぶらでいなさい、その方が旅立ち前の少年っぽくて絵になるし」
そう言って佐伯さんはにやっと笑った。
……旅立ち前の少年っぽさ、とは。
彼女の後ろについて、駐車場を抜けて、ターミナルのエントランスへと向かう。
ロビーに入ると、佐伯さんが受付に声をかけ、俺の荷物を一時預かりに回してくれた。
その後待合室に移動して、俺と佐伯さんは並んで長椅子に腰を下ろした。
「はいこれ、一旦返しておくわね」
佐伯さんがスマホを手渡してきたので、俺は素朴な疑問を口にした。
「何のために一度スマホを回収したんですか?」
「んー、スマホのフォルダの中身を確認するためだよ。参加者の性癖チェック」
「……は?」
「君、中々えぐい趣味してて驚いちゃった。人は見かけによらないんだね」
佐伯さんはじとーっとした目で俺を見つめてくる。
「えっ……? は、え、いやそういうのは非表示にしてたはずなんですけど」
「マジ? あは、冗談のつもりだったのに。 ……本当は移動中の位置情報を遮断するためだったんだけど」
佐伯さんは少し気まずそうにして、その栗毛色のショートヘアの毛先を指でくるくるした。
「……聞かなかったことにしてください」
「まあ、善処はするわね」
まさかの自爆。
カマをかけられたわけですらない。
…………我ながら愚かなり!
その後気まずい沈黙が少し続いたが、それを打ち破るように突然佐伯さんのスマホが鳴った。
画面を見た彼女の表情が、途端に引き締まる。
「ごめんね、君をひとりで待たせておくのは忍びないんだけど、ちょっと急用が入っちゃったみたいで。じゃあ、また後でね」
彼女はそう言い残して、足早に待合室を後にした。
「……ふう」
自爆の件を思うととりあえず少しだけほっとした。
***
大型フェリーの到着時刻までは、まだ少し間がある。
しかし気づけば、ターミナル内には同じ参加者らしき若者の人影がちらほらと見えはじめていた。
隅のベンチに腰かけて、眉間にしわを寄せながらスマホを触っている男子。
脚を揃えて座り、こまめに周囲を気にしている小柄な女子。
それとは対照的に、出入口付近の自販機の周りでは、何人かの女子たちが輪になって、
「えー、めっちゃ緊張するんだけど!」
「それな! 昨日寝れなかったし〜」
「てか、スマホ回収されたんマジうざない? 推しのインライ見れんかったんやけど」
などと、初対面のはずなのにもう何度も顔を合わせたかのようなノリで、笑い合っていた。
こうして実際に同じプログラムに参加する同世代のリアルな姿を前にすると、いよいよ始まるんだという実感がこみ上げてきて、胸がざわめき、緊張が張り詰めて、落ち着かなくなってしまう。
気づけば、俺は椅子から立ち上がっていた。
いてもたってもいられなくなり、気を紛らわすために1人で待合室を抜け出した。
どこか開けた場所で、新鮮な空気を吸ってリフレッシュしたい。
となると自然と足が向くのは、ターミナルの屋上に設置された展望デッキだった。
――――そして俺はそこで、運命の女の子に出会う。