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3.決意、それから

あっけないほどに手短に、その「個別の説明」とやらは終了した。

実際、校長室にいたのはせいぜい15分足らずのことだったと思う。


俺が室内に入ったときには、校長と見慣れないスーツ姿の若い女性が既に席に着いていた。

挨拶を交わしたあと、彼女が国からの特派員であることを知らされて驚いた。

着席して間もなく、彼女は一切の前置きを排して、淡々と説明を開始した。


話の内容は、大まかにまとめるとだいたいこんな感じだった。



・俺――――夏越龍之介の名義で、半年前に提出されたプログラムの参加申請が審査を通過し、今回《第二期生》として選出された。


・出発は二週間後で、合宿の期間は三週間。


・全国から集められる参加者はおよそ五十人程度で、男女の割合はおおむね半々。


・期間中、参加者たちは特別施設での合宿形式で生活することになるが、施設の場所も行程も、さらにはカリキュラムの詳細に至るまで、出発当日まで一切開示されない(理由は情報漏洩の防止だそう)


・参加者には一人ずつ《導き手》と呼ばれるインストラクターが専属で配属される。



この導き手に関しては、他の項目と比べても特に詳しい説明がなされた。



曰く……導き手とは、参加者一人ひとりに専属で割り当てられる、厳しい選考と特殊な研修を経た二十代の異性の大人のことを指すらしい。


プログラムの期間中、導き手は担当の参加者とペアを組み、日常生活を共にしながら、「心身の成熟の過程」を個別に見守るという。


彼女は導き手のマッチング基準や、今ここで口頭で説明されてもすぐに忘れそうな細々とした補足事項を、滔々と喋り続けたのだが――――そんな中不意に放たれた一言が、あまりに衝撃的だった。



「必要に応じて、導き手は参加者との身体的な交わりも許容されます」



彼女は、ごく普通にそう言った。

声色ひとつ、表情変えずに。

身体的な交わり。

だが俺の思考は、その五文字に引っかかって動きを止めた。

それってつまり……



「それってつまりセッ――」

「セッ――い的、ごほんごほん、失礼。性的な支援も、場合によっては行われるということです」



……そういうこと、らしい。


俺を含め、世間がなんとなく感じ取っていた《実践的》という言葉の意味は、どうやら正しかったみたいだ。


一通り話し終えると、女性は平然とした調子のまま、「答えられる範囲でですが、何か質問はありますか?」と訊いてきた。


無論、聞きたいこと・聞かなくてはならないことは、山のようにあった。

が、まず最初に、俺は自分が何よりも先に確認しておくべきことを訊ねることにした。



「あの、俺……自分で参加を希望した覚えなんて、ないんですけど」

「…………はあ」


女性は呆れたように眉をひそめた。

そして、ひと呼吸置いてから冷たい声でこう聞き返してきた。


「ご家族が申し込まれたのではないですか?」



…………ああ。


その言葉をきっかけに、記憶が唐突にフラッシュバックしてきた。


今からちょうど十ヶ月ほど前、まだ肌寒さの残る去年の秋の夜だ。

リビングで家族とテレビを見ながら、何気ない会話を交わしていたときのこと。

話の流れはもう覚えていない。

ただ、父がふと俺を見て、こんなことを言ったのだ。


「龍之介は、その歳になってもまだ恋人の一人もできたことがないのか」



冗談まじりの軽口だった。

俺も気のない返事をして流そうとした。

だが、母が「将来、ちゃんとお嫁さんをもらって家庭を築けるのかしら」などと呟いたあたりから、空気が少し変わった。

父の表情が妙に真剣になって、俺は思いがけず詰問されるような形になった。


そのとき、つけっぱなしにしていたテレビから、あのCMが流れてきた。

《少子化対策若年性成熟プログラム》――政府広報の宣伝映像。清潔感のあるBGMとともに、理想的な男女の交流を描いた、白々しいまでに整った映像美。

それを見た父が、冗談半分のように言ったのだ。


「これに参加してみたらどうだ?」


すかさず母がかぶせてくる。「いいわね、お父さん、名案〜!」


当時はプログラムの1期目が終了したばかりで、XやYouTubeなどのSNSを中心に黒い噂が飛び交っていた。


「実態は限りなくアレに近い」「思想が気持ち悪い」「国家ぐるみの性的搾取」――そんな書き込みが日々拡散され、世間もすでに「あんな制度、我が子には絶対ムリ」という空気になっていた。


だから俺も、まさか両親が本気で言っているとは思わなかったのだ。


「ああ。そういうのも悪くないかも」


だから適当に、ジョークのつもりで、あしらうようにそう返しただけだった。


けれど、きっとあれが意思表示として受け取られてしまったのだ。

その場の空気に流された一言を、両親は「同意」としてカウントし、勝手に応募まで済ませていたのだとしたら――すべて辻褄が合ってしまう。

というか、それ以外に合理的な説明は考えられなかった。



「多分、その通りです。家族が応募したんだと思います。主体性がなくて、すみません」



俺がそう答えると、女性は明らかに落胆したように、小さくため息をついた。

それに反して、それまでずっと仏頂面だった校長が、何故だかふっと笑った。

俺の着飾らない答えが気に入ったのだろうか。



「一応、今からでも辞退の申し出は可能ですよ。かなり、相当、非常に、滅茶苦茶、手間のかかる手続きになりますけれど」



女性はそう言って、あからさまに面倒くさそうな顔をした。



「……………」



俺は少し押し黙った。

女性に気圧されたわけじゃない。

ただ、自分の思考を落ち着いて整理したかったのだ。



確かに俺は自分の意思でプログラムに応募したわけではない。

言うなれば成り行き。

俺が選ばれたせいで枠が埋まって本当に参加したがっていた誰かが落選してしまったのなら気の毒に思えるし、本来はそいつが選び直されるべきだ。


それに、制度そのものについても、どうしても引っかかる部分がある。


いくら国が主導しているとはいえ、恋とか性とか、そんなプライベートの極致みたいな領域を、赤の他人に預けるなんて――冷静に考えれば、かなり怖い話だ。

制度そのものは正義の顔をしていても、そこで俺がどんな扱いを受けるのかなんて、蓋を開けてみないと全く分からない。


教育とは名ばかりの、《欲望の無法地帯》。

もしそんな場所に放り込まれて、自分の意思が尊重されないまま、嫌な目に遭ったら……。

……考えすぎかもしれないけれど、そんなことも危惧してしまう。


テレビで見た識者たちは「倫理的な問題点が山積みだ」と口をそろえていたし、SNSには真偽の分からない黒い噂がいくつも転がっていた。

それらは俺の不安を煽るには十分だった。


それでも――知りたかった。


これまで彼女はおろか、女友達すらできたことのなかった俺には、結局のところ、何も分かっていなかったのだ。


恋愛のことも、性のことも、異性との、そして他人との“正しい”関わり方も。

俺の中にあるのは、画面越しに仕入れたネット上の曖昧な知識と、友達伝いに聞いた噂話だけ。

言うまでもなく、実際の経験なんて、ひとつもなかった。


俺の中にあるのは、興味と、期待と、恥ずかしさと――そして、恐れだった。


このまま一生、異性と付き合うことができないんじゃないか。

仮に将来恋人ができたとしても、きっと関係を上手く築けないんじゃないか。

クラスメイトや他校の友達の中には、もう恋人ができて、俺よりも一歩も二歩も先を行っている連中もいる。


でも俺は――俺だけは、いつまでも取り残されたままなんじゃないか。


……俺だって、本当は色々経験してみたい。


これまで真剣に考えたことはなかったけど、自分の中に、そんな不安や劣等感がずっと根を張っていたことに、今さら気づかされた。


この制度が、どこまで信じていいものなのかは分からない。

けれど、もしこのプログラムが本当に「建前どおり」に運営されているのなら――

俺が、これまで触れられなかったあれこれに、自分なりのやり方で向き合う機会になるのかもしれない。


だったら――思い切ってこの制度に参加してみても良いのかもしれない。

そう思えたのは、きっと、俺の中にもどこかで変わりたいって気持ちが強くあったからだと思う。



「あの」



俺はゆっくりと切り出して、それからはっきりと、女性に自分の決意を表明した。



「選出されたのは予想外でしたが……これも自分の成長のためだと思って、ありがたく参加させていただくことにします」



女性はこそばゆいくらい真っ直ぐに俺の目を見つめた。



「承知しました」



女性は納得したように一度深く頷くと、机の横から一枚のクリアファイルを取り出し、俺の前に差し出した。


無地のファイルの左上には、《少子化対策若年性成熟プログラム 参加者用資料》とだけ印字されていた。


「この中には、今日お話しした内容の要約と、私物の準備、当日の流れに関する指示書が入っています。把握漏れのないよう、必ず目を通してください」


「分かりました。……その、滞在先がどこかとか、プログラム中具体的に何をさせられるのかとか、導き手がどういう人になるのかとか――――そういうのは、きっと教えてもらえないんですよね?」


「ええ。そういう決まりですので。始まってからのお楽しみ、ということで」



……始まってからのお楽しみ、か。



詳しいことは何も知らされないまま、三週間分の荷造りを済ませ、どこかも分からない施設に連れていかれる。

国家運営とはいいつつも、不透明でどこか胡散臭い制度。

どう考えてもまともではない。

けれど…………俺はもう、覚悟を決めた。


「では、プログラムでのあなたの日々が、実りあるものになることを祈っています」


女性はそう言って、最後にほんの少しだけ口元を緩めた。

完全に置物と化していた校長も、それに倣うように破顔して、俺を温かく見送ってくれた。


ファイルを鞄にしまい、静かに席を立つ。

そして俺は校長室を後にした。



***




そういう経緯があって、時系列は現在――プログラム開始当日の昼過ぎに至る。

8月1日。時刻は13時23分。


俺は今、近畿地方のとあるフェリーターミナルの中にいる。


夏休みシーズン真っ只中だというのに、広々としたターミナルは妙に静まり返っていた。

その異様な閑散ぶりは、事前に説明されていた《政府による人払い措置》の影響なのだろう。

建物の内外には、警備員や関係者らしき人影がぽつぽつとあるだけで、一般人の姿はまったくない。

この場所に近づくにつれて、街から人の気配が不気味に消えていったことからも、その人払いとやらの徹底ぶりが窺えた。

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