2.革新的な制度
呆然自失が醒めるのにはしばらく時間がかかった。
個室からまろび出て、おぼつかない足取りで小便器の前を通り過ぎ(猥談に耽っていた後輩たちはいつの間にかいなくなっていた)、洗面所で冷水を何度も勢いよく顔にぶっかけて、そこでようやく自分が今いるのは夢ではなく現実だとはっきりした。
タイル張りの壁にもたれかかりながら、俺は改めて、手元の通知書に視線を落とす。
――――《少子化対策若年性成熟プログラム》
堅苦しくて意味深長なその名称に、記憶の奥がざらりと撫でられるような感覚があった。
この突飛な制度の存在を、俺も当然以前から知っていた――というより、他の世間の皆々様と同じように、一定の関心を向けざるを得なかった。
日本国存亡の危機とまで言われるほどに急速に進行する少子化と未婚率の上昇。
その画期的な打開策として、数年前に政府が発表したのがこの制度だった。
この制度の目的は、政府の言葉を借りるなら、将来的に家庭を築くことが望まれる一定年齢に達した若者に「性愛に関する健全な価値観の形成」と「家庭生活を見据えた心身の成熟」を促すことにあるそうだ。
要するに、若者たちに早い段階で異性との関係構築を経験させ、主体性や責任感や正しい価値観を育てようという発想らしい。
背景には、これまでの学校教育では「異性との適切な関わり方」や「性愛に関する正確な知識」、「家庭を築くうえで必要な技能」などを若者に十分に教えられていなかったという問題意識があるらしい。
性愛は誰もがいずれ向き合うことになる身近で重要なテーマであるにもかかわらず、長らく公の場で取り扱われることがタブー視され、その多くは個人任せにされてきた。
そうした空気感が、恋愛や結婚、出産に対する若者たちの心理的なハードルを引き上げ、国家経済の悪化により数十年前から深刻化していた少子化に更に拍車をかけている――と。
もっとも、この制度の中身については今もベールに包まれている。
というのも、「参加者のプライバシーを尊重するため」という理由から、その詳細は大部分が非公開とされており、公にされているのはごく一部の情報に過ぎないのだ。
分かっていることといえば、全国から選ばれた若者たち複数名が特定の施設に集められ、専門家や特殊な訓練を受けたインストラクターのもとで一定期間合宿形式のプログラムを受ける、ということくらい。
ただしその内容は「きわめて実践的」であると公表されている。
…………きわめて、実践的。
この含みのある言葉が、何を意味しているのかは分からない。
分からないが、まあ、察するなという方が無理というものだ。
俺を含めて、世間は「そういうこと」なのだろうと受け取っている。
この色々な意味で革新的な制度の発表当時には、当然のように賛否両論が巻き起こった。
けれど政府は「本制度は希望制であり、参加は自由意志に基づく。参加者の尊厳と人権は最大限に保障される」と繰り返し強調し、否定派の声を押し切った。
――――希望制?
「……俺、希望した覚えなんてないんだけど」
思わず、そんな言葉が口をついて出た。
仮にこの制度が希望制ではなく全員を対象にした抽選制の強制参加なら、もう完全にディストピアじゃないか。
しかしそうは言っても、俺の名前は通知書にしっかりと印字されている。
《夏越 龍之介》なんて古風で文豪じみた変わった名前が、他の誰かと間違えられたとは到底思えない。
宛名の横には学校印が赤々と押されていたし、きっともうすべては《決定事項》なのだろう。
ではどうして、一体どういった経緯で俺が選ばれたのか。
いくら考えても自分一人では正解に辿り着くことはできなさそうだった。
それからトイレを後にして自教室に踵を返した。
もう既にクラスメイトたちは帰ってしまったようで、教室はすっかりしんとしていた。
ほっと一息ついて、俺はへたり込むように自分の席に座った。
のだが、ひとつ異常があったのだ。
理由は本当に分からないのだが、俺の隣の席の姫川という小動物系のそこそこ可愛い女の机の上に、彼女のものと思しきプールバッグが置いてあったのだ(あいつは確か水泳部だ)
そしてそのバッグの口は半開きになっていて、中身がちらちらっと覗いていたのである。
ちらちらっと覗いていたのは俺ではない。中身だ。ここは強調しておきたい。日本語の綾。
気を強く保ちつつ、俺は例の紙に記載されていた規定時刻がくるのを待った。