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1.非日常への切符

この夏、国が俺の初めてを奪う。


それは何の前触れもなく、恐ろしいほど静かに通達されたのだった。


1学期期末テスト最終日の、終礼中。

他の科目に先がけて採点が完了したという、テスト初日に実施された古典の答案が返却されていたときのことだ。



「お前85点? すっげ、その点数は貴族だわ」

「なら95点の俺は天皇な」

「流石にこの点数は許すまじけれ」



などと、クラスメイトたちは試験の結果に対して十人十色の反応を示しつつも、皆一様に期末テストが終わった解放感から晴れやかな表情を浮かべ、がやがやと騒ぎ立てていた。


そんな彼らとは対照的に、俺はぼんやりと教室の窓の外の入道雲を眺め、文字通り意識を上の空に飛ばしていた。



「おい、夏越(なごし)。風呂場のアヒルみたいにぼけーっとしてんなよ!」



妙に芝居がかった声でそう呼びかけてきたのは、隣の席の姫川という名の女子だ。

小柄なのにいつも声だけはでかい、ボーイッシュで目がネコの女子。

彼女に肩を叩かれて、はたと我に返った夏越(おれ)

どうやら、担任に自分の名前が呼ばれていることに、しばらく気がついていなかったらしい。



「……変な比喩」



とぼやきつつ俺は席を立った。

申し訳なさそうな表情を作りながら、答案を受け取るために教卓の方へ歩いていく。



――その時の担任の様子が、率直に言って異常だったのだ。



目はきょろきょろと泳いでいて、宙に浮いた手はわなわなと震えていた。

それらは、すぐ返事をせず答案返却を遅延させた俺への苛立ちのせいで生じた仕草だとは到底思えなかった。

むしろ担任の様子からは明確に、普通に考えればテスト返却というこの状況にふさわしくないような、不自然な焦りや怯えを感じ取ることができた。



「……先生?」

「………ん、うむ……すまない。ええと、夏越は………今回もよくできていたな。学年全体で見ても90点超えはお前含めて3人しかいない。あー、まあ、この調子で次も頑張るように」



とても震えた声でもっともらしいことを言ってみせた担任は、裏面を上にして折り曲げた答案をすっとこちらに手渡してきた。



「……どうも――ん?」



答案の間に、隠すように一封の茶封筒が挟まれていた。

糊付けされた封。校章だけが下部に印字された無地の表面。

何の変哲もないただの封筒だ。

しかし見た目に反して、それはやけに物々しく存在感を放っていて。

担任の奇妙な振る舞いの正体はきっとこの中にあるのだと、俺はすぐに直感した。



「これ――」

「終礼後すみやかに、必ず人目につかない場所で中を確認するように」



担任は疑問をぶつけようとする俺を遮り、声をひそめてそう忠告した。

有無を言わさない言い草だった。



「なにそれ、赤点通知書?」



後ろに並んでいたお調子者のクラスメイトが茶化すように笑った。

その瞬間、担任の顔が途端に険しくなった気がした。

何かがおかしい。



「さあな。でも俺が赤点なら、お前は0点じゃないと計算が合わないんじゃないか?」

「ふえ、嫌な感じ!」



この話題は冗談にならない。

いや、してはいけないのだろう。

担任の言動からそれをなんとなく感じ取った俺は、適当なことを言って場を濁し、封筒を制服のブレザーの内ポケットにしまい込んだ。


自席に戻ってからは、クラスメイトたちのざわめきも外に広がる夏の風景もそっちのけで。


ただ机に突っ伏して、封筒の中身と、これから自分が巻き込まれるであろう運命の奔流のようなものについて、考えるともなく考えた。




* * *





その後。

終礼が終わり解散となると、担任から指定された(命令された?)《人目につかない場所》という条件に従って、「常に異臭がする」といって誰も滅多に使いたがらない南校舎にあるトイレの個室の中で封を切ることに決めた。



「うっ」



やはりトイレにはきついアンモニア臭が漂っていた。

その上中では、わいせつな話に興じているわいせつな顔をした坊主頭の1年生たち数名がたむろしていた。


俺は息と嗅覚と、「なんすかあ、先輩。先輩も好きな性癖発表大会に参加したいんすかあ?」とだる絡んできた坊主たちを(脳内で!)殺し、そして一番奥の個室のドアを閉じた。


天井の白を見て小さく息を吐いてから、ブレザーの内ポケットにしまい込んでおいた例の茶封筒を取り出した。


いつの間にか封の表面についていたシワを見つめながら、先程の担任の挙動不審を思った。

あれは何かとてつもなく大きなものに為す術なくひれ伏している人間の態度だった。

この中には間違いなく非日常への切符がしまわれている。

その内容は想像もつかなかったけれど、きっと中を見た瞬間に、これまでの何も起こらない俺の退屈な日常は完膚なきまでに打破される。そういう確信はあった。

期待と同じだけの不安に胸を震わせる。

細心の注意を払って、端からゆっくりと封を切る。

指を入れる。薄いのに妙に重たくて張りのある感触だ。

やがて現れたのは1枚の白い紙。

全体を、頭から読む。






【夏越 龍之介 様  

  

 あなたは、内閣府主導の《少子化対策若年性成熟プログラム》への参加者として選出されました。

 本件に関する詳細は、本日14時30分より本校校長室にて個別に通達されます。必ず時間厳守で来室してください。


 ※保護者の方へのご説明は別途行われますので、本日は本人のみお越しください。】





更に文書の下部には、他よりも大きく太い威圧的なフォントで、ぞっとするほどに仰々しい注意書きが記されていた。





【本書面および記載内容については、国家機密に準ずる情報として位置づけられており、いかなる第三者への漏洩も固く禁じられています。違反が確認された場合には、法的措置も含む厳正な対応が取られる場合があります】



 





「ああ、セックスしてえなあ!」



ドアの外で未だに猥談を続けていた坊主たちのうちの誰かが、そんな生々しい欲望を声高に叫んだ。


――――その4文字だけが、呆然として五感が遠のいていく俺の世界の中で、やけに明瞭に残響していた。

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