96 風耳ウサギの誕生
文明の芽というものは、案外くだらない失敗から芽吹くものだ。
たとえば、「羽根苔は防水に向いている」と信じて屋根に張りつめたところ、大雨の日に家が丸ごと風でひっくり返ったり。あるいは、「浮胞草の繊維は断熱効果がある」と床に敷き詰めたところ、夜の間に床ごと浮き上がって、朝には住人が天井に張りついていたり。
──つまり、素材に悪気はない。悪いのは人間のほうだ。
彼らは今、村の一角で“風に住まわせる建築”と“風に乗る機械”を同時に試作していた。設計士は「家が熱を吐き出さないと病気になる」と言い、細工職人は「空を泳げない素材に価値はない」と言った。
そうして建てられた“空屋根家屋”の第一号は、正確には「家」というより、「風の中に立つ膜」であった。
骨組みは蔓、屋根は羽根苔の三層構造、壁は浮胞草を織り込んだ透風布(と名付けたやつが勝手にいた)。内部には魔素を含んだ浮石が基礎として埋め込まれ、構造全体が常に微細に揺れている。
「……これ、住むのか?」
俺が問うと、設計士はうなずいた。
「この家は風の子宮です。揺れながら育ちます」
返答の意味はさっぱりわからなかったが、家に母性を求めるタイプの人間にとっては、理想的な住居らしい。
実際に中へ入ってみると、音が消えていた。外の風は壁を通って内側にやわらかく流れ込み、熱を外へ逃がしていた。蒸れない。光が透ける。声が響かない。
まるで空気そのものが、ここでは“居心地”を最優先して働いているようだった。
その家の隣では、細工職人が骨組みを組んでいた。小型の飛行機械。地上に置かれたそれは、まるで大きなトンボの抜け殻のように見えた。中央には浮胞草の膨らみ、側面には蔓で張られた膜状の羽根。
「これが……飛ぶのか?」
「滑る。最初は滑る。飛ぶのはその先」
「つまり飛ばない」
「まだな」
風読みのために、エリスが協力に入っていた。風の通り道を可視化し、浮力が発生しやすい時間帯と場所を特定。セリアは魔素濃度の薄い地点を探し、飛行条件を整えた。
「飛ぶには、“地上じゃない場所”を作ることが必要なの」
それは詩のようでいて、わりと実践的な指摘だった。
そして初の試験飛行が行われた。
装置を抱えたルナが、村の高台に立つ。飛行装置は彼女の背よりも大きく、まるで背中から異物が生えているようだった。
「風、来てるよー!」
セリアの号令とともに、ルナが駆け出した。
その瞬間、装置はひゅっと浮いた。風を受け、羽根が開き、重力と空気のバランスが一瞬だけ均衡した。
──が、次の瞬間には地面に転がっていた。
「惜しいなあ」
「ちょっと浮いた気はした!」
設計士は「風の握力が足りませんね」とつぶやき、細工職人は「もう少し尾翼を強くする」と言った。
失敗だった。だが、誰もが少しだけ嬉しそうだった。風が、ほんの少しだけ、味方をしてくれた気がした。
その夜、俺は空屋根家屋の中で横になっていた。天井は透け、夜風が抜けていく。外の世界とつながっているようで、でも確かに“中”にいた。
人が、風と住む。
それは、家を作るというより、“暮らしの方向”を変えることだった。




