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95 職人と設計士

 朝、風が湿っていた。

 こういう日は、何かが海から流れ着く。


 俺は浜辺にいた。特に用事があったわけではない。ただ風の具合と潮の香りが微妙に違っていて、その違和感を放っておけなかった。予感というやつだ。予感は当たる。嫌なほどよく当たる。


 「……またかよ」


 波打ち際に倒れていたのは、妙に細長い人影だった。黒髪、長身、背中に筒を背負っている。近づいてみると、服装は整っており、靴まで無駄にしっかりしたつくりだった。どう見ても、漂流してきた者の顔つきではない。むしろ、“途中まで設計していた図面の続きを今すぐ書きたい”という表情だった。


 その男の隣には、まるで正反対の人影があった。小柄で、体に工具を巻きつけている。肩にかかっていた荷物は異常なまでに重く、倒れてなお、俺に不信感を向けていた。漂流者のくせに、「拾われたのはそっちだろう」とでも言いたげな顔だ。


 二人を運ぶのに、セリアとルナが動員された。セリアは「また? ちゃんと記録してる?」と俺に確認し、ルナは「わあ〜! 新しい!」とだけ叫んだ。

 人を見るなり「新しい!」と分類する彼女の脳内は、博物館の展示品でできているに違いない。


 目を覚ました彼らは、村の空気を吸うなり、まったく異なる行動をとった。


 一人は、建物を見た。


 「……風の通りが死んでいる」


 そう言って、村の民家の壁に耳を当て、苔を剥がし、角度を測った。次に草の流れを見て、何かをメモした。動きが早い。頭の中ではすでに十棟分の家が建っているのだろう。

 「屋根が違うんです。風が抜けない。抜ければ、湿気も、熱も、思想も逃げるのに」


 最後の“思想”だけ意味がわからなかった。


 もう一人は、道端の羽根苔を摘んで、じっと見ていた。


 「こいつ、軽いな」


 彼は浮胞草の繊維を裂き、蔓を撚り、風の中にかざした。まるで、素材の声を聞いているかのようだった。手つきは丁寧で、だが容赦がなかった。素材の可能性を見出した瞬間、それを切り刻んで使い倒す気満々だった。


 セリアが小声で言った。


 「……ちょっとやばいかも。二人とも、考え方が跳ねてる」


 「お前もまあまあ跳ねてるけどな」


 「違う跳ね方よ。こっちは……空気ごと変える系」


 その言葉は妙に腑に落ちた。


 彼らが村に来てから、風の流れが変わった。いや、空気そのものがざわついている気がする。何かが始まろうとしていた。しかも、でかいやつだ。


 俺はそれを察知する能力だけはある。今まで何度もそういう瞬間に立ち会ってきた。文明が小さく軋む音を立てて、“次”へ進もうとする音を。


 ルナが彼らの描いたスケッチをのぞきこんでいた。


 「この家、丸いね!」


 「……あれ、屋根が開いてる?」


 「おおー! 風が抜けるんだ! 中にブランコつけようよ!」


 話が飛躍したが、すでに村の数人が「風の家」を覗き込むような目でその図面を見ていた。


 新しい素材、新しい風、新しい思想。


 村の地面が少しだけ浮いたような気がした。文字通りでも、比喩でも。

 その夜、俺は久々に眠れなかった。文明の風が、枕元で耳を鳴らしていた。



 文明の芽というものは、案外くだらない失敗から芽吹くものだ。


 たとえば、「羽根苔は防水に向いている」と信じて屋根に張りつめたところ、大雨の日に家が丸ごと風でひっくり返ったり。あるいは、「浮胞草の繊維は断熱効果がある」と床に敷き詰めたところ、夜の間に床ごと浮き上がって、朝には住人が天井に張りついていたり。


 ──つまり、素材に悪気はない。悪いのは人間のほうだ。


 彼らは今、村の一角で“風に住まわせる建築”と“風に乗る機械”を同時に試作していた。設計士は「家が熱を吐き出さないと病気になる」と言い、細工職人は「空を泳げない素材に価値はない」と言った。


 そうして建てられた“空屋根家屋”の第一号は、正確には「家」というより、「風の中に立つ膜」であった。


 骨組みは蔓、屋根は羽根苔の三層構造、壁は浮胞草を織り込んだ透風布(と名付けたやつが勝手にいた)。内部には魔素を含んだ浮石が基礎として埋め込まれ、構造全体が常に微細に揺れている。


 「……これ、住むのか?」


 俺が問うと、設計士はうなずいた。


 「この家は風の子宮です。揺れながら育ちます」


 返答の意味はさっぱりわからなかったが、家に母性を求めるタイプの人間にとっては、理想的な住居らしい。


 実際に中へ入ってみると、音が消えていた。外の風は壁を通って内側にやわらかく流れ込み、熱を外へ逃がしていた。蒸れない。光が透ける。声が響かない。

 まるで空気そのものが、ここでは“居心地”を最優先して働いているようだった。


 その家の隣では、細工職人が骨組みを組んでいた。小型の飛行機械。地上に置かれたそれは、まるで大きなトンボの抜け殻のように見えた。中央には浮胞草の膨らみ、側面には蔓で張られた膜状の羽根。


 「これが……飛ぶのか?」


 「滑る。最初は滑る。飛ぶのはその先」


 「つまり飛ばない」


 「まだな」


 風読みのために、エリスが協力に入っていた。風の通り道を可視化し、浮力が発生しやすい時間帯と場所を特定。セリアは魔素濃度の薄い地点を探し、飛行条件を整えた。


 「飛ぶには、“地上じゃない場所”を作ることが必要なの」


 それは詩のようでいて、わりと実践的な指摘だった。


 そして初の試験飛行が行われた。


 装置を抱えたルナが、村の高台に立つ。飛行装置は彼女の背よりも大きく、まるで背中から異物が生えているようだった。


 「風、来てるよー!」


 セリアの号令とともに、ルナが駆け出した。


 その瞬間、装置はひゅっと浮いた。風を受け、羽根が開き、重力と空気のバランスが一瞬だけ均衡した。


 ──が、次の瞬間には地面に転がっていた。


 「惜しいなあ」


 「ちょっと浮いた気はした!」


 設計士は「風の握力が足りませんね」とつぶやき、細工職人は「もう少し尾翼を強くする」と言った。


 失敗だった。だが、誰もが少しだけ嬉しそうだった。風が、ほんの少しだけ、味方をしてくれた気がした。


 その夜、俺は空屋根家屋の中で横になっていた。天井は透け、夜風が抜けていく。外の世界とつながっているようで、でも確かに“中”にいた。


 人が、風と住む。


 それは、家を作るというより、“暮らしの方向”を変えることだった。


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