80 時間加速の森
俺がその森を見つけたのは、正確に言えば「見つけた気がしただけ」だった。
というのも、俺はただいつものように森の中を歩いていた。別に冒険心が高まったわけでもなく、特別な予兆があったわけでもなく、ましてや運命の導きなどという大仰な言葉に酔っていたわけでもない。単に「今日の晩飯は何にしようかなあ」と鼻歌まじりに歩いていたところ、気がついたらその森の前に立っていたのである。
見た目は普通の森だ。木々が茂り、鳥が鳴き、風が葉を揺らす。異世界的な風景に慣れてしまったせいで、ちょっとやそっとの不思議では驚かなくなった俺だが、ここには妙な違和感があった。空気が重い。いや、重いというより、早い。時間が速いという感覚がある。言語化が難しいのだが、たとえば空を流れる雲が、他の場所よりも三割増しのスピードで動いて見える。落ち葉が落ちる音が、妙にリズミカルだ。地面に積もったそれらが、見る間に腐葉土になっていく。
森そのものが、「急いでいる」のだ。
俺は少し躊躇ったが、結局のところ好奇心に勝てず、足を一歩踏み入れた。するとすぐに、背後から声がした。
「やめた方がいいわ」
振り向くと、そこにいたのはセリアだった。あのセリアである。魔素を吸いすぎて自己分裂しかけたり、魔素の暴走で服が霧散したり、最近何かと“事件”の中心にいる、冷静と混乱の境界に立つ妙齢の女性である。
「お前、いつからいたんだ」
「最初からよ。あんたが鼻歌まじりに森へ突っ込もうとしてたから、ずっと後ろで見てた」
「止めろよ、もっと早く」
「どうせ止めても入るでしょ?」
……ぐぬぬ。俺が返す言葉に詰まっていると、セリアは少しだけ真剣な顔になって言った。
「この森、普通じゃない。魔素の流れが乱れてるの。ここに入ったら、身体の時間軸まで狂う可能性があるわ」
「時間軸って……たとえば?」
「一日入ったら、髭が伸びるくらいじゃ済まないわ。十日、いや百日経った体になるかもしれない」
「百日……って、それ死ぬやつじゃん」
「だから言ってるじゃない、やめた方がいいって」
それでも俺の足は止まらなかった。なぜかというと、木の根元で、ある光景を目にしたからだ。
種をくわえた鳥が一羽、枝に止まっている。口から落とした種が地面に落ち、ほんの数秒で芽を出した。それがみるみるうちに膨らみ、茎が伸び、葉が開き、やがて一輪の花を咲かせたのだ。
「……やっぱり、この森、急いでる」
「そうみたいね」
セリアも言葉を失っていた。彼女が言うには、この森には「魔素の密度が異常に高いポケット」が点在しており、それが局所的に時間の流れを加速させているらしい。要するに、「天然の時間加速装置」みたいなものが、この森のあちこちに転がっているというわけだ。
俺は懐から、以前作った簡易計測器――魔素反応を視覚化するランタンを取り出した。森に入る前と入った後で、どのくらい反応が違うか試してみる。結果、光の色が変わるだけでなく、ランタンそのものが小さく振動し始めた。これはすごい発見だ。
「この森を使えば、作物の育成も、ウサギの繁殖も、研究開発も、全部一気に進められるじゃないか!」
「でも、リスクも大きいわ。ここで生き物を育てると、進化が暴走する可能性がある」
「つまり、“成長の部屋”になるってことだな……」
セリアが首を傾げた。
「成長の部屋?」
「ああ、例えるなら“歳月の巣窟”だ。ここで時間をかければ、技術も体力も、ぐんと伸びる……」
「あなた今、何か元ネタのある話をしてない?」
「いやいやいやいや、してないしてないしてない」
あぶないあぶない。あの部屋の名を出すところだった。だが、この異世界にそんな便利空間が実在したという事実は、俺のテンションを爆上げするには十分すぎた。
俺はもう少し奥へと進み、試しに携帯していた種を植えてみた。持っていたのは、前に収穫した“自己修復性豆”だ。どうせなら、成長観察に適した素材で試すべきだろう。
埋めて、魔素水を数滴垂らし、じっと見つめる。すると案の定、豆は即座に反応し、土の中で蠢くような音を立てて成長を始めた。
「すげえ……本当に成長してる……!」
横でセリアも息を呑んでいる。ここまで来ると、もはや疑う余地はない。
「この森……発展の鍵になるぞ」
「けど、“制御できる”の?」
「それを今から調べるのが、俺の仕事だ」
そう言いながら俺は、豆の成長速度を計測するため、周囲に目印の杭を立て、成長の度合いを記録することにした。葉の数、茎の太さ、根の張り具合――記録魔神のごとく俺はメモを取りまくる。これがまた楽しい。頭の中に「試行錯誤」の快感が満ちていく。俺の中の理系魂が、久々に踊っていた。
「セリア、これが成功したら、俺たちの文明、マジで飛躍するぞ」
「……その前に、“暴走する文明”になる可能性も考えなさい」
「うるせえ、楽しいんだよ!」
俺は叫んだ。叫びながら、まだ誰も知らない“時の森”の奥へと、夢中で踏み込んでいった。これが何を意味するのか、まだ分からない。でも、その分からなさが、たまらなく面白いのだ。
この森の時間は、確かに俺たちの時間とは違っていた。
だが、それは――この異世界で俺たちが進む「未来」の速度でもあるのかもしれない。




