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50 人魚族の定住

 異世界の海は深遠である。


 この世界の空が青いのは知っていたし、森がやたらと生き生きしているのも知っていた。俺はその気になれば木を削り、石を砕き、鉄を精錬することすらできるようになっていた。だが、海についてはまだ何も知らない。


 海というのは広く深く、こちらが何かを探ろうとするよりも早く、相手のほうから「お前ごときが何を知るものか」とでも言いたげに、大きな波をぶつけてくるのが常である。俺は海に向かって「少しは手加減しろ」と文句を言いたいのだが、そういう話を聞いてくれる相手ではない。


 とはいえ、最近になって海の事情が少し変わりつつある。


 村に人魚が住み着こうとしているのだ。


 発端は、王女レイヴィアであった。


 彼女は魔素変換技術を使って一時的に足を得ることに成功し、陸の生活を体験してみることになったのだが、どうもそれが海の仲間たちの興味を引いたらしい。


 「ねえ、あなたたちの村ってどんなところなの?」


 そんな問いかけをするのは、人魚の女性・ナタリアである。


 彼女はレイヴィアと違い、王族ではない。海の一般庶民とでも言うべき存在らしいが、その口ぶりは妙に堂々としている。


 「レイヴィア様が歩けるなら、私も歩けるんじゃない?」


 そう言ってレイヴィアの魔素変換実験をじっと観察し、「ほうほう、なるほどね」と何かを学び取ったかのような顔をしている。


 「歩けるようになったら、村で何をするつもりなんだ?」


 俺が尋ねると、ナタリアはにっこり笑った。


 「何って、普通に生活するのよ。せっかく陸の文化を知る機会があるんだもの、学ばなきゃ損でしょ」


 陸の文化を学ぶ。


 それはまあ、悪いことではない。異世界の住人同士が互いの文化を学び、交流を深めることは、この世界においてはむしろ歓迎すべきことである。


 とはいえ、俺には一抹の不安があった。


 そもそも、人魚という生き物は海に適応して生きてきた種族である。陸での生活がそんなに簡単に馴染むものなのか? そもそも、海で暮らしていた連中が陸に移住しようとするのは、魚が山に登るようなものではないか?


 「まあ、実験してみよう」


 というわけで、ナタリアは魔素変換技術を試してみることになった。


 レイヴィアのときと同じように、魔素を制御し、尾を足に変換する。


 光がナタリアを包み込み、その姿を変えていく。


 「……おお!」


 彼女の尾が、すらりとした二本の脚へと変化した。


 「やった!」


 ナタリアは嬉しそうに立ち上がろうとした──が、次の瞬間、彼女は砂浜に顔面から倒れ込んだ。


 「……ちょっと待って」


 「だから言っただろ。歩くのには慣れがいるんだって」


 俺はため息をついた。


 「まあ、レイヴィアも最初はこんなものだった。じっくり訓練するしかないな」


 こうして、ナタリアの歩行訓練が始まった。


 数日後、ナタリアはある程度歩けるようになり、村の中を探索するようになった。


 「ねえ、ここには魔法を研究している人っている?」


 そう尋ねられ、俺は首をかしげた。


 「研究というほどのことはしてないが、セリアが魔素の制御をやっているな」


 「ふーん、じゃあ見せてよ」


 ナタリアは魔法に強い関心を持っているようだった。


 彼女曰く、「海には陸とは違う魔法体系がある」らしい。


 「私たちは水の流れを操ることができるし、魔素の循環を感じ取ることもできるの。でも、陸の魔法はまた違うでしょ? だから、学びたいのよ」


 なるほど、確かにそれは興味深い話である。


 こうして、ナタリアとセリアの間で魔法の技術交流が始まった。


 彼女は海の魔法を活かし、魔素の流れをより正確に感知する方法を村に伝えた。それにより、魔力の流れを活用する新しい技術が生まれつつある。


 たとえば、水路の流れを調整することで、畑の灌漑を最適化する技術。あるいは、魔法的なバリアを張ることで、作物を害虫から守る技術。


 「魔法って便利だね!」


 ナタリアは自分の知識を活かせることを喜んでいた。


 かくして、人魚族の定住が始まった。


 最初はナタリアだけだったが、次第に彼女の仲間も村に興味を持ち始めた。


 「歩けるようになれば、私たちも村で暮らせるかもしれない」


 そう言って、次々と陸に上がってくる人魚たち。


 俺は頭を抱えた。


 ──これは、いつの間にか人魚の村になるのではないか?


 異世界に飛ばされてからというもの、俺の人生は予測不可能な展開ばかりだ。


 それでも、こうして異種族との共存が進むことは、悪いことではない。


 「まあ、なるようになるか」


 俺はそう呟き、またひとつ新しい世界の変化を受け入れることにしたのだった。

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