43 料理人の男
異世界において、「食」というものは、ただ腹を満たせばそれでよいというものではない。人はパンのみにて生きるにあらず。ましてや、干し肉と野草のスープだけで満足するような生き物ではないのである。
俺たちはこれまで、文明開拓の第一歩として農耕を発展させ、ゴーレムに畑を耕させ、保存食の確保に奔走してきた。結果として、村の食糧事情はずいぶんと安定しつつある。だがしかし、それはあくまで「食料がある」だけの話であって、「食文化がある」とは程遠い。
要するに、俺は飽きたのだ。
塩気の強い干し肉、繰り返し煮込まれるだけの素朴なスープ、ひたすら焼いただけの根菜。これらが不味いわけではない。むしろ、異世界に放り込まれた当初に比べれば、充分に贅沢な食生活である。しかし、毎日毎日似たようなメニューが続くと、どうにも心が荒むというものだ。
──そんな俺の前に、一筋の光が差し込んだ。
その男は、ある日突然、村の外れの海岸に漂着した。
「お、おい! また誰か流れ着いてるぞ!」
慌てて駆けつけた俺たちが見たのは、満身創痍の状態で倒れる一人の男だった。長身痩躯、日に焼けた肌、肩まで伸びた髪が潮風になびいている。荒波に揉まれたらしく、服はボロボロだったが、ただならぬ雰囲気があった。
リュナがその男をつついてみると、かすかに身じろぎし、薄目を開いた。
「……塩と……オイルと……火加減……」
「は?」
「そこが大事なんだ……肉は……弱火でじっくり……」
──これは、もしや。
セリアとリュナが顔を見合わせる。俺は確信した。この男、料理人だ。
異世界の漂流者がこんなに都合よく流れ着くものか、という疑問はひとまず置いておく。今の俺たちに必要なのは、そんなメタ的な思考ではない。重要なのは、この男が「味」に関する何かを知っているらしいということだ。
俺たちはさっそく彼を担ぎ、村まで連れ帰った。
──数時間後。
「なるほど……なるほど……」
目を覚ました料理人(仮)は、しばしぼんやりと天井を見つめたあと、起き上がるなり、俺たちの食事事情を尋ねてきた。
「……で、君たちは普段、どんなものを食べてる?」
俺は干し肉と野菜スープを前に置いた。料理人(仮)はそれをじっと見つめる。しばらくの沈黙。やがて、彼はそっとスプーンを取り、慎重にスープを一口すすった。そして。
「──ほう」
……何が「ほう」だ。
「いや、いい素材は揃ってるんだよ。ただ、ちょっとこう……味の活かし方がね?」
俺は思わず前のめりになる。
「じゃあ、お前ならどうする?」
「ふむ」
料理人(仮)はすっと立ち上がった。まるで身体に染みついた動作のように、食材を一つひとつ手に取り、鼻を近づけ、舌を打ち、思案する。
「塩、もっといるな。香草が足りない。肉は一度火を入れてから寝かせるべきだし、魚は皮をパリッと焼いたほうがいい。あと、スープはもっとコクが欲しい……なるほど、なるほど」
「……おい」
「よし、少し厨房を借りるよ」
俺が止める暇もなく、料理人(仮)は勢いよく立ち上がり、村の調理場へと向かった。そして。
──数時間後。
目の前には、見たこともない料理が並んでいた。
「ええと……これは?」
「シンプルな煮込み肉のソテー。肉の旨味を引き出すために、じっくりとオイルで焼いて、香草で風味をつけたんだ。それから、このスープは野菜と骨を煮込んで出汁をとったもの。あと、パンがないから、薄く切った根菜を炙ってカリカリにしてみた」
「……マジか」
俺は恐る恐る、一口食べた。
──うまい。
いや、うまいなんて言葉では足りない。これは「食の革命」である。
じゅわっと肉汁が溢れ、香ばしい風味が口いっぱいに広がる。スープは深いコクがあり、野菜の甘みが優しく舌を包む。そして、カリカリに焼かれた根菜の食感が、これまた絶妙なアクセントになっている。
「……すごい」
俺は思わず感嘆した。リュナもセリアも、目を輝かせて次々と料理を口に運んでいる。
料理人(仮)は満足げに腕を組んだ。
「ふふん、まあね。俺は異世界のどこに行っても、料理だけは極めるつもりだったんだ」
「お前……これからも俺たちの村で料理を作ってくれるか?」
「もちろん。その代わり、俺専用の厨房を作ってくれよな」
こうして、村に新たな料理人が加入したのだった。
食文化の発展。それは、文明の発展そのものである。
俺たちの村は、ついに「食」の次元へと進化しつつあった。




