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35 温泉のさらなる利用

 温泉というものは、かくも人を惑わせる存在である。


 水に浸かるという行為は単純であるはずなのに、その効能や趣には限りがない。肩こりに効くもの、肌がすべすべになるもの、飲めば妙に気分が高揚するもの。時には、地底から立ち昇る湯気を眺めるだけで悟りを開いた気分にさえなる。しかし、この異世界の温泉は、そんな生ぬるい話では済まされない。


 俺は温泉の近くで育つ植物を見つめながら、深い思索に耽っていた。


 ──何かがおかしい。


 異世界に来て以来、俺はこの世界のあらゆる「理不尽な法則」と向き合ってきた。光る木々、増殖するウサギ、そして魔素で動くゴーレム。ここはただの異世界ではない。「生命そのものが、異常なほど成長し、進化する」場所なのだ。


 そして、その中心には温泉があった。


 発端は、六本足ウサギ(仮)だった。


 俺たちは、増殖したウサギの一部を温泉近くの囲いに移していた。理由は単純だ。温泉地帯は寒暖の差が少なく、草も豊富に生えており、家畜の飼育に向いていたからだ。だが、数日後、俺たちは異変に気づいた。


 「……なあ、なんかウサギ、でかくなってないか?」


 俺の問いに、リュナが鋭い目で囲いの中を見つめる。


 「気のせいじゃない。成長速度が異常よ」


 確かに、以前見たときよりも明らかにサイズが大きい。しかも、毛並みが光沢を帯び、脚の筋肉が異様に発達している。まるで「生物としての質」が一段階進化したかのようだった。


 俺は顎に手を当て、うーむ、と唸る。


 「温泉が関係してるのか?」


 セリアが腕を組み、魔素を探るように目を閉じた。


 「……ありえるわね。この温泉には、ただの水じゃない"何か"が混ざってる」


 そこで俺は決意した。徹底的に調査しよう、と。


 俺たちは温泉の水を採取し、農作物と動物にそれぞれ実験的に利用してみることにした。最初に試したのは、畑の一角だった。温泉の水を適量撒き、その後の作物の成長を観察する。


 結果──


 「……うおっ、これ昨日植えたばっかりだよな?」


 俺の目の前で、作物がぐんぐんと成長していた。たった一晩で、通常の三倍ほどの大きさにまで育っている。


 リュナが眉をひそめる。


 「異常すぎる。こんな成長速度、普通じゃない」


 「まあな……」


 だが、俺の関心はむしろ「どうしてこうなるのか」に向いていた。温泉の水が作物の成長を促進しているのは間違いない。しかし、ただの水でここまでの影響を及ぼすとは考えにくい。何か特別な成分が作用しているはずだ。


 「……試しに飲んでみるか?」


 「やめなさい」


 セリアの即答が飛んできた。


 「こういう未知のものは慎重に扱うべきよ。せめて薄めて試すとか、段階を踏みなさい」


 「はい……」


 こういうとき、俺の無鉄砲な実験癖を止めてくれる存在は貴重だ。


 だが、さらに興味深いことがあった。


 俺たちは温泉の種類を調査するうちに、「特定の温泉だけが異様に生命の成長を加速させる」ことに気づいたのだ。


 温泉地帯にはいくつかの泉が点在していた。どれも温度や成分が微妙に異なっており、試しに別の泉の水を植物に撒いてみると、今度は「形状そのものが変異する」という現象が起こった。


 例えば、通常のトマトに似た果実が、突如として長細くなり、表面に微細な毛が生える。あるいは、小さな双葉の植物が巨大な花を咲かせる。


 「……これは、進化だな」


 俺は確信した。この温泉には、単なる成長促進ではなく、「生命そのものを変異させる」力がある。


 ということは……


 「人間にも影響する可能性があるってことか?」


 その言葉に、セリアもリュナも固まった。


 「いや、さすがにそんな都合よく進化するわけ──」


 だが、そのときだった。


 「……う、うぅ……」


 森の奥から、か細い声が聞こえた。


 俺たちは一瞬顔を見合わせ、声のする方へ駆け出す。


 そこには──


 温泉の湯気の向こうに、ひとりの少女が倒れていた。


 長く伸びた耳。淡い銀色の髪。細身の体にまとわりつく異国風の衣装。


 「エルフ……?」


 リュナが呆然と呟く。


 俺はゆっくりと少女に近づき、そっと肩を揺さぶった。


 「おい、大丈夫か?」


 少女はかすかに目を開けた。その瞳には、不安と、何かを失った者の寂しさが滲んでいた。


 「……あなたは、誰……?」


 その言葉と同時に、俺はひとつの確信を得る。


 この少女は、ただのエルフではない。


 異世界から召喚されながら、何らかの理由で召喚主を失い、漂流していた存在なのだ。


 俺の異世界生活に、また新たな出会いが訪れようとしていた。

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