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135 遅れてきた漂流者

 私は死んだ。実に馬鹿げた方法で。


 そもそも、私の人生は「そこそこ」で構成されていた。そこそこの進学校に通い、そこそこの偏差値の大学に合格し、そこそこの彼氏と付き合い、そこそこ不幸な失恋を経験し、そして——そこそこ美味しそうなフルーツサンドを、そこそこ有名なカフェで注文した、まさにその日だった。


 それが、すべての始まりであり、終わりでもあった。


 そのフルーツサンド。なぜかトマトが入っていた。いや、確かに赤くてジューシーで、見た目はそれっぽかった。しかし、私のアレルギーリストに名を連ねる「トマト」——それが、どうしてサンドイッチの中に鎮座しているのか。


 「うっ……え、ま、まって、これ、ト……」


 その瞬間、私はアナフィラキシーショックによりテーブルの上に倒れ込み、カフェ中の注目を浴びながら、見事に昇天した。


 ——いや、まだだ。話は終わらない。


 店員の懸命なCPRにより一瞬息を吹き返した私は、その反動で机の上のミルクティーをまき散らし、カフェの床で華麗に滑った。そして、そのままカウンターの角に頭を強打。


 ——いや、まだよ。


 床に倒れた私の頬をなでたのは、店内のマスコット猫「もふ吉」だった。その毛が顔に触れた瞬間、二次的アレルギー反応が発動し、私は再び、今度こそ本当に、息を引き取ったのだった。


 ……気づけば、私は白い空間にいた。


「ふむ……これまたなかなか多段的な死に方だ」


 声の主は、どこから見ても巨大なナマコだった。


「……ナマコ?」


「ナマコではない。異世界転生を司る神である」


 どこをどう見ても、ぬるぬるしたナマコである。しかも喋る。しっかりと唇もないのに、滑舌が妙に良い。


「お主、なかなか話題性のある死に方をした。神々の間でもちょっとしたバズになったぞ」


「バズってる場合じゃない」


「ともあれ、異世界に転生させてやろう。ただし行き先はランダムだ。異議は認めぬ」


 ナマコ神は勝手に宣言し、触手をくるんと振った。


 その瞬間、私の視界はぐるりと反転し、すべてが暗転——


 私は、浜辺に転がっていた。


 波打ち際。靴の中は水浸し。髪は海藻まみれ。気分は最悪。


 まるで「寝坊したら異世界だった」みたいな脱力感を抱えながら、私はのろのろと上半身を起こした。


 「……なんこれ」


 第一印象は、「無人島?」であった。無理もない。波打ち際に打ち上げられ、砂に埋もれた私は、確かにドラマチックな“ひとりぼっち”だった。しかしその幻想は、すぐさま打ち砕かれた。


 まず、空がうるさい。いや、正確には“高いところで静かにざわついている”のだ。風でも雲でもない、もっと人工的な――たとえば、浮遊機関の稼働音とか、魔素推進力のエンジンとか、そういう何かが空中で小さく、しかし確実に喧騒を紡いでいた。


 次に、砂浜の隅に、魔素でできた案内板が立っていた。光っていた。異世界で、だ。無人島ではなく、むしろ最寄りの行政出張所の前かと思った。そこにはこう記されていた。


 「第七到着点──転生者対応受付・海浜分室(担当:水陸両用第一区)」


 私は心の底から思った。「どこが無人島なんだよ」と。


 そして、もうひとつ私の思考を撹乱する存在がいた。


 ──女が、歩いてきたのである。


 その足取りは砂を拒むように軽やかで、ブルーの髪、目は深海。静かな笑みを浮かべながら、彼女は私をじっと見つめた。肌にはうっすらと魔素の反応。職員バッジをつけ、書類ホルダーを抱え、完璧な歩幅で近づいてきた。


 「ようこそ、異界の方。私はレイヴィア、息の調子はいかがですか?」


 ……うん、なんかすごくしっかりしてる。


 その優雅さと言えば、人魚から転職した感すらある。


 「しばらく水に濡れていたようですので、まずは体温の確認と、魔素酔いの有無を検査しますね」


 あ、はい……。


 私は言葉もなく頷いた。うなずくことしか許されていない空気だった。彼女の持つ透明な板(たぶん魔素端末)は、私の顔を一瞥するだけで“基礎魔素適応度:42%”という数字を表示した。なんだその数字。中途半端に悪くはないが、褒められるほどでもない。


 「呼吸安定、表皮の再生速度も許容範囲……よかった。では、こちらへどうぞ」


 彼女の後ろには、制服姿の受付係らしき人物が三人待機していた。ひとりは魔素板を手に、ひとりは着替えとタオルを抱え、最後のひとりは……スープを持っていた。


 「……これ、初等教育の入学式じゃないよね?」


 思わず漏れた言葉に、誰も突っ込まず淡々と対応してくるあたり、この都市がいかに“受け入れ慣れ”しているかがわかる。異世界で、だ。漂流者で、だ。これ、普通か? 本当に普通なのか?


 「現在、週平均で五〜八名が漂着しています。月次集計では三十名前後ですね」


 レイヴィアは淡々と言った。え、漂着って、交通事故かなんか? 保険きく?


 私は着替えさせられ、身体を拭かれ、スープを飲まされている間ずっと、脳内で叫び続けていた。


 え、異世界ってもっとこう……ワイルドじゃなかった? 獣人と小屋と焚き火じゃなかった? なんで行政処理が始まってるの?


 そのときだった。


 「おーい、新人きたって?」


 くぐもった声が遠くから聞こえてきた。


 そして現れたのが──彼である。


 男だった。しかも、いかにも“慣れた感じ”の。


 髪は微妙に寝癖。着こなしはくたびれたシャツにスラックス、足元は革靴ではなく、なぜか草履。手に持った湯呑みから立ち昇る湯気。そして目元のクマ。


 「はぁー……おつかれさまです。カズマといいます」


 ふむ。


 私は思った。


 この男、たぶん“仕事できる風”で“無駄に物わかりよくて”“絶対に信用してはいけない”タイプだ。


 なぜなら、私の人生における男どもが、まさしくそうだったからである。


 どこか諦めを含んだ笑顔。言動は柔らかく、受け答えは丁寧。だが中身は全部、“その場しのぎの調整型”。会議では発言せず、でも裏で操作はする。そういう男だ。たぶん。


 「こちら、今日から君の仮保護者……というか、説明係ですね」


 レイヴィアが言った。いや、保護者て。


 「とりあえず、まず寝る場所と書類と、街の案内と……」


 カズマは魔素端末を器用に操作しながら、私に一瞥をくれる。


 「異世界転生、初体験ですか?」


 「……回数制ですか?」


 「いえ、案外います。何度も来る人。いわゆる“多重転生者”ですね」


 「なんでそんな呼び方が一般化してるの?」


 そう、ここはもう“慣れている”のだ。人が転生するのが、まるで大学のオリエンテーションのようなものとして扱われている。


 魔法は存在する。技術はある。港もあり、学校もあり、議会もある。そして、漂流者支援センターも“第七分室”まである。


 つまり、私は──“だいぶ遅れてきた”のかもしれない。


 異世界である。

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