131 ぎゅうぎゅうの希望
爆音が、またひとつ街を崩した。
地鳴りと叫び声と瓦礫の嵐。空気は焦げ臭く、煙と砂埃で世界の輪郭がぐらついていた。どこかでゴーレムが倒れ、誰かが名前を呼び、誰かがその答えを永遠に失った。
俺は壁の陰に身を伏せて、息を殺していた。いや、殺しているつもりだったが、実際には呼吸は乱れ、心臓は喉までせり上がっていた。そう、これが戦場というやつか。静かに死が紛れ込んでいる場所。やけに現実味のある、地獄の入口。
そのとき、声がした。
「……ねえ、あなた」
振り返ると、そこに商人の女がいた。土と煤にまみれながら、彼女はいつものように帳簿を脇に抱えていた。そう、こういう時ですら帳簿を手放さない。それが彼女の信仰であり、武器であり、鎧でもある。
「逃げるように見えて、違うんでしょう?」
声は穏やかだった。でも、その奥にあるものは、静かに刺さった。
「あなたは、こういうときでも……なにかを、見つけてくれる人だから」
彼女は俺を見たまま、微笑んだ。少しだけ、寂しそうに。
「ここは、私たちで抑える。だから……行って。お願い」
俺は言葉を失った。
それは“任せた”でも“期待してる”でもない。
──“生きて”という言葉だった。
しばらく、何も言えなかった。
けれど、ようやく喉が動いたとき、出てきたのは、たったひとつの言葉だった。
「……ありがとう」
何も思い浮かばなかった。
頭の中は真っ白で、考えるよりも先に足が動いていた。戦火の中を、ただ走った。どこへ向かっているのか、自分でも分からなかった。ただ逃げたわけではなかった。そう思いたかった。
風が、焦げた瓦礫の隙間を抜けていく。瓦礫の影に倒れたゴーレムの肩が見えた。血を拭う暇もなく、俺はその横をすり抜けていく。
そうして、ある場所に出た。
そこで俺は、彼らを見つけた。
「……は?」
カズマとルナが、何かを組み立てていた。浮遊岩、木の板、巻きつけた根──不格好な台座のようなもの。まるで不安定な手作りのソリに、異世界のロマンを詰め込んだような、正体不明の何か。
「……まさか、お前ら……!」
俺は一気に怒りが込み上げてきた。先ほどの商人の言葉が胸に残っていたのだ。
“行って”、じゃない、“生きて”と言ってくれた彼女の声が。
「逃げるつもりか!? こんな状況で、二人だけで……!」
叫んだ。怒鳴った。足が勝手に動いて、そばまで詰め寄った。
だが、カズマは顔をしかめて、首を振った。
「違いますって……逃げられるわけないでしょ」
「じゃあ、なんだよ……」
「これ、運ぶためのものなんですよ」
「……何を?」
「火薬。いや、違う。元々は、火薬を敵の後方に送り込めるか試してたんです。でも……無理だと分かりました」
ルナがぽつりと呟いた。
「精密な制御ができない。速度も不安定。すぐに横転する。爆発に耐える強度もない。ただの浮く土台です」
「苦肉の策ってやつさ」
カズマは苦笑した。
「……じゃあ、使わせてもらう」
俺の声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。
怒りの熱はまだ胸にあったが、形を変えて静かに燃えていた。
「え、本当に?」
カズマが眉をひそめる。土台に使われている浮遊岩は削れて角が丸く、根の動きもどこか鈍い。不安定で、頼りなく、明らかに“それ用ではない”。
「マジで行くの?」
ルナが聞く。声は驚いていたが、それ以上の言葉は出てこなかった。
「行く。あいつを迎えに」
俺は言い切り、跨った。
裏通りに差し掛かったとき、息が止まった。
そこだけ、時間が違っていた。いや、空気が違っていたのか。街中のすべてが乱雑で、汚れて、焼けていたのに──その一角だけは、やけに整っていた。
整っていた、というのも変な話だ。地面はえぐれ、壁は斬れ、血と肉が地に溶けていた。でも、それらすべてがまるで“整理された惨劇”に見えたのだ。
その中心に、彼女はいた。
フィオナ。剣を持ったまま、ただ静かに立っていた。
「……フィオナ?」
声をかけると、彼女はほんの少しだけ顔を向けた。
「来たのか」
その一言。無感情に聞こえるが、俺にはわかった。どこか安心している声だった。
「乗れ。時間がない」
俺はぐらつく浮遊台に手を伸ばした。彼女は足元を見て、眉をひそめた。
「これ、人ひとりじゃないのか?」
「うん。たぶんそう」
「じゃあ、私が乗ったら、お前が落ちるな」
「でも乗れ。落ちたら、俺が支える」
言いながら、自分でもそのセリフにぞわっとした。だが、フィオナは迷わなかった。剣を一度背に収めると、ひょいと乗った。土台がギシギシと悲鳴をあげる。俺も跳び乗る。
そして、ふたりして“ぎゅう”っと寄り添うはめになった。
「……狭い」
「我慢しろ」
「近い」
「命と距離はトレードオフだ」
「皮肉も寒い」
言い合いながら、土台はゆっくりと前に進み出す。左右に揺れながら、かすかに傾きながら、それでも前へ。
「どこへ行く?」
フィオナが聞いた。俺は答えようとして──止まった。知らない。方向なんて、決めてなかった。
そのとき、どこからともなく耳に届いた。
「キキーッ! 船長、広場! おっきい広場! 建物の上! 旗あるよ、でっかいの! ぜーんぶ敵のだよ!」
空耳ウサギ。今やこの街の偵察部隊となった空島型六本足ウサギが、まるでナビのように情報をくれた。
「広場か……」
フィオナが目を細める。
「たぶんそこが敵の中枢。じゃあ、決まりだな」
「行けるか?」
「行けるかどうかじゃない。行くんだよ」
風が吹いた。土と火薬の匂いを含んだ、戦場の風だった。
俺たちは、それに逆らって進み始めた。
揺れる浮遊台に、ふたりぎゅうぎゅうに乗りながら。