129 氷上に咲く魔
空気が砕けた。
氷の破片が乱舞し、空中で回転しながら光を反射した。その中心にいたのは、巨大な斧を構える副将コルネリウス。まるでその斧こそが自然現象であるかのごとく、力と慣性の塊だった。
「陣形“クルヴィング”!」
彼の号令とともに、バイキングたちが円を描くように動き始める。なんだその耳慣れない言葉は。と思ったのも束の間、彼らは氷上で各自の盾を重ね、まるで氷上戦車のような隊列を作り始めた。
「押し出せ! 槍で割れ!」
盾の間から突き出されるのは、斜めに削ったスレッジ槍。水面に向かって斜めに突き立てると、氷が砕けて、無理やり滑走路を生み出す。そしてそのまま、彼らは連なる氷の上を滑り出した。
「氷上突進戦術……また妙な文化を持ってるな……」
俺がぼやく間にも、バイキングどもはツルツルと美しく──しかし殺意に満ちた流線型の隊列で滑ってくる。盾と槍が交差し、氷を削り、まるで“戦争版カーリング”である。これが文化だというのなら、さぞや血の通った工芸品なのだろう。
だが、その氷の上に、ふたりの魔女が立っていた。
まず、銀髪の精霊使い──エリス。風の声を聞く異邦の賢者。目元に静かな光を宿し、指先にそっと魔素を絡めて、詠じるように囁いた。
「《シルフィード・アキュラート》──風よ、刺せ」
空気がひとつ呼吸をやめた。
次の瞬間、風が一本の槍になった。盾の隙間を縫い、氷の霧を裂き、狙い澄ました矢のごとく──盾の連結部を“選んで”断ち切った。
バイキングたちの「クルヴィング陣形」が一瞬で瓦解する。
「な……!? 何が……どこから!?」
「風だッ! 風にやられたァッ!」
混乱が走る。風の刃は音もなく、それでいて、あまりにも正確に、致命的に、陣形の急所だけを抉った。まさに「精霊による精密外科手術」である。エリスは黙ってそれを見ていた。まるで「何もしていませんよ」という顔で。
その横に、波のように静かに立つ人魚姫──レイヴィア。
彼女の青い髪が、風もないのに揺れた。指先から零れ落ちる魔素の雫。それが地に触れた瞬間、周囲の水分が呼応した。
「《メイルストローム・エストレア》──これは潮騒ではありません。選別です」
ゴウッ──という轟音が、川面の底から響いた。
氷が砕け、水が昇る。それはもはや「津波」などという可愛げのある言葉ではない。むしろこれは、“立ち上がる海”だった。レイヴィアの意志を宿した水が、まるで人格を持ったかのように、敵陣だけを選んで包み込んでいく。
「うおおおおお!? 何だこの水は!? 流れが、逆流してる!」
「た、助け──ぐぼっ」
滑る氷、砕ける盾、押し流される筋肉。
まさに“上陸者リセットボタン”である。
エリスとレイヴィアのコンビは、精度と圧力の対比が凄まじい。片や狙いすました一点突破、片や大規模な範囲制圧。このふたりが本気を出したら、そこはもう“風呂掃除”のごとき一掃作業である。
──が、それでも、バイキングたちは折れなかった。
「まだだ……! 陣形“フロス・ヴァルグ”へ移行!」
新たな指令と共に、盾と槍の残党が氷上を分裂しながら、螺旋状に突進を始めた。氷上を“跳ねる”ように動くその様子は、さながらフロスト・フリスビー。見た目は滑稽、でも破壊力は本物だ。
俺は一歩後ろに下がり、ぽつりと呟いた。
「……いや、これ、俺の出番じゃねぇな」
精霊は刺し、水は呑む。ふたりが並んでいる限り、あの“凶悪なソリ競技”にもまだ抗える。ならば俺の役目は──別にあるはずだ。
「任せたぞ、魔女たち。俺は俺の戦場へ行く」
背後でまた、水の奔流と風の矢が炸裂する音がした。空が鳴り、氷が悲鳴を上げ、俺の背中を押していた。
──どうせまた、次の戦場も面倒くさいに決まってる。
でもそれでも、今はただ、静かにこう思っていた。
「あのふたりがいるなら、大丈夫だ」