128 凍てつく槍
凍結という現象は、科学でいえば水分子の振動が止まることを指す。だが、ここ異世界ではそれだけでは済まされない。ここでは、氷とはすなわち「拒絶」である。侵入を拒み、勢いを削ぎ、体温と意志を封じる物質。それが冷却鉱石と槍の融合によって、いま我々の最前線で突き出されている。
「……うおぉお! 凍った! あいつ氷漬けになった!」
兵士が歓喜の声をあげた。冷却鉱石を埋め込んだ槍が水面に突き刺さり、浅瀬を伝って氷が一気に広がる。その上に足を踏み出したバイキング兵の動きが、まるでギャグ漫画のごとくスローモーションになり、そして──ずしゃあ、と見事に転倒した。
「これは……いけるか……?」
楽観は禁物である。と、俺が思い直した瞬間だった。
「突撃――――ッ!」
川の向こう側で、ありえないサイズの斧を肩に乗せた男が吠えた。その一声に、氷結した浅瀬をもろともせず、バイキングたちが再び突入してくる。
「は、速ぇ……あいつら、氷の上を走ってやがる!」
いや、走ってなどいない。正確には“滑って”いた。氷上を片足で蹴り、船の櫂のようなものを手に推進力を得て、猛スピードで接近してくる。まるで訓練されたホッケーチーム。いや、ホッケーチームの方がまだ礼儀正しい。
「連中、氷上戦術を知ってるぞ!」
「こっちの技術を、逆に利用してきやがったな……!」
俺たちの槍は、止まった敵には強い。しかし、あれほど滑らかに、予測不能な動きで迫られては──間合いが潰される。
そして、その中心にいたのが、副将格の男だった。
「名乗るまでもないが……我は“コルネリウス”。この戦場を凍らせに来た者よ!」
「いや、凍らせたのこっちだし……!」
ツッコミの一つでも入れたくなるが、奴の動きは冗談ではなかった。巨大な斧を片手で軽々と振り回し、氷を砕き、槍を粉砕し、壁をも跳ね返す。
「うおっ、何だこの怪力ぅっ!」
ゴロウの組んだ氷杭柵が一撃で吹き飛ばされ、木片が氷の空に舞い上がる。俺は思わずしゃがみこみ、顔面を守った。ゴロウ本人はというと、鼻筋に氷の破片をかすめさせながらも、
「……ほう、構造理解して崩しよったか。やるな副将」
などと悠長に頷いていた。
「感心してる場合か!!」
「よし次行こう、案2! 料理人、頼む!」
「へい!」
どこから出したのか、彼は巨大な鉄鍋を抱えていた。中にはトロリと煮えたぎる魔素スープ、その香りは敵味方問わず一瞬立ち止まるほど芳醇である。料理人は叫んだ。
「魔素爆香!《フレイバーバーン》!」
蓋を開けた瞬間、濃縮された香り成分が空中に炸裂。スパイスの嵐、ハーブのつむじ風、そして干し肉由来の旨味エネルギーが炸裂し、周囲の兵士たちは目を潤ませながらも戦意を回復──しそうな雰囲気だったが、敵にも効いていた。
「ぐおおっ、腹が……! 空腹が極まって力が出ぬ……!」
「この香り……家を思い出す……」
そう、故郷の記憶を呼び覚ますほどの香り。殺傷力はないが情緒には刺さる。
「……それでどうやって勝つ気だった?」
「まあ、“気を削ぐ”という方向で……」
「次!」
俺は怒号を飛ばし、今度は医者を睨んだ。医者は満面の笑みで両手を広げた。
「お待たせ! 医学の力で戦場に平穏を!」
「できるわけねぇだろこの状況で!」
しかし、彼は真顔で首を振った。
「違うんだなぁ、我々医術士は力ではなく、知で勝つ。コルネリウスの筋肉、あれはおそらく“非対称肥大”。つまり、特定の方向にしか動きにくい!」
「へ、へえ……?」
「だから、この薬草汁を霧にして目に──」
コルネリウスが、こっちに突っ込んできた。
「喋ってる場合かあああああ!」
俺は叫び、医者は叫びながら霧を散布、その霧は無風の戦場をまっすぐ我々の方向へ──つまり我々自身の目を直撃した。
「ぐわっ! しみる! 何を混ぜたんだこれ!」
「イタドリとユズの絞り汁と……ちょっと塩分強めに……」
「料理かよ!!」
その隙に、ゴロウの二段杭柵は破壊され、料理人の鍋は副将に踏み潰され、俺たちは全員川辺に投げ出された。
「ククク……くだらぬ策を次々と……だが、面白い……!」
コルネリウスが笑った。楽しんでやがる。
踏みつけられた鍋から、まだ香りがふわりと立ち昇っていた。だがそれすら、今や滑稽に思える。副将コルネリウスは歩を止めず、俺たちを見下ろすようにして──
「勝てぬ戦など、なぜ始めた?」
などと哲学的なことを言い始めた。戦場で持論を語るな。
「……終わったかもな」
俺はつぶやいた。視界は霞み、仲間は全員倒れている。足元の氷が軋む音が、やけに耳に響く。だが、次の瞬間──空気が変わった。
ふわりと花びらのような風が吹いた。
同時に、水音がした。
氷の川面に、ふたつの影が降り立つ。
「遅れてごめんね、でも間に合ったよね?」
長い銀髪を靡かせ、エリスが微笑んでいた。彼女の周囲には目に見えぬ精霊たちが集い、囁き、空気が震える。
「まったく……あなたはすぐに無茶をされますね。」
レイヴィアが言った。水をまとい、気品と冷気を背負った姿は、もはや神話の一場面のようだ。
街における最強クラスの魔法使い。セリアを“暴走枠”とするならば、このふたりは“制御された終末兵器”である。
俺は、氷の上で崩れ落ちながら、かすかに笑った。
「……これで、まだやれる……」