126 仕掛けられた罠
空は焼け、地は揺れ、斧は唸る。バイキングたちは一度制圧に失敗したにもかかわらず、懲りもせず今度は裏通りや市場の裏手から夜襲を仕掛けてきた。いや、彼らなりの奇襲だったのだろう。だが、暗がりに紛れた筋肉と呼び声の大合唱は、あまりにも目立つ。彼らの夜襲は、例えるならば、蛍光ピンクの忍者が「今から隠れます!」と叫んでから茂みに飛び込むようなものだ。
俺は倉庫跡に身を隠しながら、火打ち石を打ち鳴らした。この無人島で、初めての夜をしのぐために使った道具。黒い蔓は燃えにくく、湿気にも強く、編めば紐になり、絞れば罠にもなる。こいつらは、俺の原点だ。異世界でもっとも頼りになったのは、高級な魔導書でも神から授かったスキルでもなく、石と蔓と、自力で絞り出した知恵だった。
「よし……仕掛け完了」
三つの街路の曲がり角に、即席の閃光罠を設置する。火打ち石で火花を飛ばすと、細工した乾燥苔に着火し、黒蔓の導火線を走り、一定時間後に閃光と轟音を撒き散らす代物だ。きわめてローテク。だが、こういう手作りの爆発物というのは、案外人間の根源的な恐怖を刺激する。
バイキングの一団が一斉に角を曲がった瞬間、それは発動した。閃光、熱風、煙、悲鳴──そして、混乱。
「うおっ!? な、なんだ今の!」
「目が! 見えねぇ!」
「貴様ら! 魔術か!? 黒い悪魔の仕業か!?」
そこに悪魔はいない。ただ、黒蔓と石と乾燥した草と、俺の苦労があるだけだ。
「……うわ、何あれ、目にしみるし耳キーンなる」
耳元で聞こえたのは、リュナの声だった。例によって腰が重いどころか、背負ってきたらしいふかふかの寝具にくるまったまま戦場に来ている。おそらくは「見てるだけですぅ」という態度だったのだろう。
「リュナ、お前それで戦うつもりかよ」
「うーん……今日寒いし……特に用もないし……どうせゴーレムとセリアでなんとかなるし……」
それが彼女の平常運転だ。だが、俺は知っている。彼女にはスイッチがある。とてもシンプルで、極めて即効性のあるスイッチ。
「……あ、干し肉ないじゃん」
リュナが寝具をはがし、立ち上がる。その目に、光が宿っていた。いや、正確に言えば「飢え」が宿っていた。
「私の非常食……誰か勝手に食べた……」
彼女の耳がピンと立ち、毛が逆立ち、手にした槍の穂先がぴたりと地面を刺す。
「殺すしかないわね」
その場にいた教育者──学者出身の、倫理観にうるさい偏屈な男が、思わず口を挟んだ。
「リュナさん、暴力は解決になりません」
「肉がなくなったんだよ」
「……なるほど、それは正当な動機だ。いけるだけいきましょう」
いつもだったら「知は力なり」などと宣う彼が、リュナの空腹という恐怖の前ではあっさり沈黙した。
リュナは地を蹴った。彼女の動きは普段のだるさからは想像できないほど鋭く、低く、そして速い。曲がり角から姿を現したバイキングのひとりを一閃で地面に叩き伏せ、回し蹴りで二人目を吹き飛ばす。
「リュナ! 食料庫は無事だったって!」
「でも許せないっ!」
食料に対する感情は理屈を超える。俺も昔、雨に濡れた干し肉を泣きながら齧ったことがあるから、分かる。
戦闘は次第に膠着し始めた。ここで必要なのは、持久力だった。俺はポケットから干し肉を取り出し、戦線に立つ仲間たちに配って回る。
「これ食え、保存料も防腐剤もないけど、魔素が通してある。スタミナ回復用だ」
「え、これって……昔のやつ?」
「そう。初期に作ったやつだ」
「うわあ……感慨深いっすね……味は?」
「ない。ひたすら噛むしかない。でも腹持ちはいい」
誰かが「これは味じゃない、歴史だ」とか言いながら噛み締めていた。
バイキングの夜襲は混乱し、罠と空腹と、情熱的な食への怒りに挟まれて後退を始める。俺は高台に登り、広場を見下ろした。
煙の向こう、街はまだ生きていた。魔法も罠も、干し肉さえも、人々の手で機能していた。
「さて、次はどこで、何を仕掛けてやろうか」
俺の足元で、もう一つの罠が静かに火花を上げていた。