125 開戦、炎の矢
火矢が夜空に弧を描いた。いや、厳密に言えば、弧というより、秩序なき軌道だった。誰がどう見ても訓練された軍勢の放つ“戦端の火”ではなく、これはもう、「うおお! 火の付いた棒! 投げろー!」的な何かである。しかし問題は、結果的にそれが的確に我らが街の広場の屋根に命中し、火花と破片を散らしたという事実だった。
開戦である。
街の空気が一気に熱を帯びた。ゴーレム部隊は動き出し、魔素灯が警戒色に切り替わる。俺は半ば自動的に防衛区画の端を走っていた。どこもかしこも爆ぜる音と悲鳴が混ざり合い、まるで祭りの日の夜のようだと思ったが、どう考えても祭りの種類が間違っている。血と鉄と魔素の暴れん坊祭りである。
「そっち! 背後回られてる!」
誰かの叫びに、街路の裏道から飛び出したのは、例の高級ウサギ──コールだった。長い耳をピンと立て、ぴょんと跳ねながら、魔法で強化された棍棒を振り回している。ウサギなのに棍棒、という絵面の暴力性はすさまじい。
「ここは通さないよ。貴様らの略奪魂、アタシが叩き直してやる!」
彼女が吠えるたびに、バイキングたちは明らかに戸惑っていた。そりゃそうだ。見た目ふわふわ、でも動きは軍人、そして言葉遣いが喧嘩腰。誰でも「この生き物は何?」となる。
そしてその向こう、建物の上で両手を掲げていたのが、我らが魔素暴走系魔法使い、セリアである。
「この戦場に、美しき無秩序の花を──“シシュウ・マナ・ラメント”!」
空が鳴った。空気が巻いた。地上に敷かれた魔素の陣が発光し、蒼い花弁のような粒子が広場一面に舞い上がる。それは一見するととても儚く、詩的で、メルヘンチックですらある。しかし次の瞬間、それは炸裂した。
蒼い花弁が、衝撃波となって地面をえぐり、建物の壁を揺るがせ、広場の中心にいたバイキングたちを根こそぎ吹き飛ばす。まるで「花粉症」の症状を物理的に表現したかのような、凶悪な花の魔法である。
「おいセリア、また味方巻き込んでんぞ!」
「でもキレイだったでしょ?」
「戦場に芸術点いらん!」
それでも彼女は微笑み、次なる詠唱を始める。魔素が指先に集まり、空気がざわつき、俺は思わず遠巻きに見守った。今回はどんな災厄が来るのか、視聴者として楽しんでしまっている自分がいる。
「“ユリカゴ・マギアレイン”!」
空から降ってきたのは、細くしなやかな魔素の糸だった。それはバイキングの兵士たちの上にふわりと降り注ぎ、絡みつき、次の瞬間、強烈な痺れを発した。全身をつたって神経に作用する、麻痺系広域魔法。街の防衛において、敵を殺さずに止めることが最良と判断した結果らしい。
──でもそれをセリアがやると、どうしてこうも恐ろしいのか。
「これ、解除する方法あるのか?」
「あるわよ。深呼吸して、三回転して、“ごめんなさい”って言えばね」
「ふざけてんのか!?」
「ううん、わりと本気」
広場の半分を制圧した頃には、ゴーレム部隊とウサギ族が完全に戦線を押し返していた。バイキングは勇猛だが、技術と連携がまるでなってない。特にゴーレム相手に真正面から突っ込むあたり、戦術という概念が北風と共に去ってしまっているらしい。
それでも、数は多かった。街の複数箇所に分かれて戦闘が続いており、全体の流れはまだ読めない。
「こっちは制圧できそうだな……」
俺はそうつぶやいた。この場は鎮まり、あとは制圧作業に入るだけだ。兵士のひとりが、拘束用の光縄を手に歩き始めている。
俺はセリアに背を向け、そっとその場を離れる。別の戦場がある。次の場所へ向かわねばならない。
彼女の声が、遠く響いた。
「気をつけてねー! 次の戦場、たぶんもっと面白いよ!」
その言葉が、ただの無邪気なのか、予知なのか、それとも新手の呪いなのか──俺には、まだ判断がつかなかった。