122 共に生きる小さき者
街に“かわいい”があふれるようになるとは、思ってもみなかった。
この場所が、空を飛び、地を走り、法と制度と経済を身につけ、ようやく文明の形を帯びたその次に、来るのが“もふもふ”だったとは。
最初に見たのは、ぽよぽよ浮かぶ白い球体だった。
それは“ふぁぼぅ”と鳴いた。
意図はわからないが、語感だけで無害と判定される類の音だ。
意思もなければ武装もない。ただふわふわして、じっとこちらを見て、近寄ると勝手に膝に乗る。
俺はその瞬間、負けを悟った。
こいつらは強い。戦わずして勝つ系の生き物だ。
ふぁぼぅを拾ったのは、他ならぬルナだった。
「この子、ふぁぼぅって鳴くから“ふぁぼぅ”。名前って大事だよね!」
彼女は得意げに言ったが、それは名前というより実況ではないか。
その腕に乗ったふぁぼぅは、ちょうどスープの湯気くらいの暖かさを放っていた。触れると手が溶けそうになるような柔らかさで、何も喋らないくせに人の目をまっすぐに見てくる。
「鳴かない日もあるよ。でも、それがまた……いいのよ」
ルナは耳を揺らして笑った。
彼女はこの街に“ちいさきものとの暮らし”を広めた張本人である。
自らも小柄で獣の耳を持つ彼女は、誰よりも動物と通じ合う才能を持っていた。
彼女の家には、ふぁぼぅだけでなく、“こるる”という背中に小さな草花を生やす動物、“とことこり”という小型の四つ脚、“しろもん”という、もう何なのかもわからない毛玉が出入りしていた。
「朝起きたら、みんなが寝てた場所に布団を足すのよ。足りなかったら、順番に起きるの」
「お前は下宿屋か」
「違うよー、共に暮らすって、そういうことじゃない?」
ルナの無邪気なその言葉が、街を変えたのかもしれない。
使い魔や小型魔獣を“飼う”から“暮らす”へ。
その概念が街に浸透し始めた頃、教育者が動いた。
「このままではいかん。情に流されるだけでは、人はただ“世話を焼く存在”になってしまう」
教育者は、本来“教える人”ではあるが、この街では“止める人”でもある。
誰かが盛り上がりすぎた時、その高ぶりに釘を刺すのが彼の役割だ。
広場の片隅に、簡素な教室ができた。
看板には「共生指導会」「使い魔と心を通わせるために」など、硬派な文字が並んでいる。
だが、講座に集まった“生徒”たちはというと、しろもんの群れに囲まれてふやふやしており、ふぁぼぅは空中で円を描きながら舞い、とことこりは教室の隅をぐるぐる回っていた。
「まず、呼びかけは一貫性を持って」
「次に、共通動作を決めましょう。“おすわり”に近いものなど」
「それから、“鳴き声の意味”は個体差があるため、飼い主ごとに辞書を作ってください」
教育者の語り口は常に真剣だった。
だが、授業中にふぁぼぅが「ふぁぼぅぅぅ……」と絶妙なタイミングで鳴いたとき、彼の口元がかすかに緩んだのを俺は見逃さなかった。
俺は、あのとき思った。
この街は今、文化としての“優しさ”を手に入れようとしているのかもしれない、と。
強くなることも、賢くなることも大事だが──
それでも、ただ“隣にいてくれるだけの存在”と暮らすには、思いがけない知恵と忍耐と、なにより“気持ちのゆるみ”が要る。
夜、俺はふぁぼぅを抱えたルナが、寝ぼけまなこで「ふぁぼぅどこ……」と探しているのを見た。
「枕の下にいたよ」と教えると、彼女は安心してまた眠った。
小さな命の寝息が、街のどこかでひとつ、またひとつと増えていく。
──これも、文明なのかもしれない。