121 舞台に響く鼓動
街が文化に目覚めるとき、それはえてして非常に面倒くさい。
道ができ、火が通り、道具が整い、法が芽吹き、経済が巡り、そしてやっと「じゃあ次は芸術かな?」と誰かが言い出す頃には、たいてい誰かの心が疲弊している。
俺は今、まさにその疲弊を体感している最中である。
きっかけは、“演劇ごっこ”だった。いや、本人たちはごっこのつもりなどまったくなかったのだが、最初にそれを見たときの俺の感想はまさに「小芝居」であった。
広場の一角、荷台の上に即興で組まれた舞台。
そこに立つのは、少ししゃがれた声の中年男──元はどこかの劇団にいたらしい漂流者──と、やたらと身振りの大きな獣人の若者。演目は「悲恋と火事と麦の種」、要するに全部盛りである。
「だが! それでも私は、燃える倉庫にお前を迎えに来たのだ!!」
「無駄だ! 麦は蒔かれ、愛は燃え尽きた!」
客席──というか、地べたに座った見物人たちは、どよめくでもなく、わりと真顔でそれを見つめていた。
その、あまりに真剣な滑稽さに、俺はふと気づいてしまったのだ。
「あ、これ、もう“文化”ってやつなんだな」と。
最初は笑っていた人々が、やがて黙り込み、やがて引き込まれていく。
これはすでに“娯楽”の域を超えた。
そして翌週、「劇場を建てよう」と言い出す者が現れた。
この街のすごいところは、「それっぽいことを言えば、だいたい誰かが乗ってくる」ことである。
「劇場か……屋根は欲しいな」
「椅子は硬くしよう。寝る人が出るから」
「あと、幕が開いたり閉じたりするのがいい」
「光を操作したい」「音響が必要」「楽屋も用意を」
気がつけば、技術者、木工職人、魔素制御班、すべてが勝手に集まり始めていた。
最もテンションが高かったのは、例によって芸術家だった。
「舞台は、魂の皮膚です! 照明は血流、音響は脈拍、そして観客は、内臓!」
「内臓なの!?」
「そうよ! だって、作品の中で一番動いているもの!」
すごい理屈である。
こうして出来上がったのが、公営劇場──と呼ばれる、石と木と魔素の力を組み合わせた“鼓動する小屋”だった。
椅子は全部違う種類の木でできており、演者が立つたびに舞台床が微かに震える設計。魔素灯による色変化演出、音を反射する壁面設計、なぜか楽屋には“感情を和らげる石”が並んでいる。
もはや技術の実験場である。
だが、そこで上演された芝居は──驚くほど“ちゃんとして”いた。
異種族の演者が共に舞台に立ち、人魚の詩が響き、獣人の踊りが笑いを誘い、人間の滑稽な早口が拍手を起こす。意味がわからなくても、心が動く。
劇場とは、言葉の前に“音”が響く場所なのだ。
俺は、暗い客席の端で、ただ静かにそれを見つめていた。
街がまたひとつ、“知らない顔”を手に入れたような気がした。
技術や制度では作れない何かが、舞台の上で跳ね、転び、笑い、泣いていた。
観客の中に混ざって、レイヴィアも黙って座っていた。
彼女の目に、涙のようなものが滲んでいたのは気のせいかもしれないし、そうでないかもしれない。
終演後、静かな拍手が劇場を包んだ。
俺は、自分の手が勝手に動いていることに気づいて、ちょっとだけ照れた。
それでも、その夜は気持ちよく眠れた。少しだけ、心に風が通っていた。