119 正義のはじまり
裁判──その言葉が街に響いたとき、まず思い浮かべたのは「罪人の断末魔」でも「法衣を纏った賢者」でもなかった。
椅子である。
長時間の議論に耐えられる、沈み込みすぎず、硬すぎず、背筋を支えつつも人を見下ろせる、あの奇妙な椅子──「裁きの座」とかいう仰々しい名がついた椅子が、脳裏に浮かんだのだ。
……いや、俺は別に椅子フェチではない。
ただ、街に「制度」が生まれる瞬間というのは、えてして“家具の存在感”によって測られるものであり、それは俺の長年の偏見と独自調査によって実証済みである。
さて、話を戻そう。
我が街に“裁判”という概念が導入されることになった。
発端は、いささか牧歌的な問題だった。
「隣の畑のかぼちゃを、勝手に“こっちが先に育てた”と言って持ち去った」
──という、世界でもっとも平和な泥棒紛いの事件である。
だが、それに対して「なんとかならんのか」という声が市井に沸き上がり、「いや、なんとかする方法がないんだよ」と俺が正直に答えたことで、「じゃあ制度を作れ」となった。ものすごく民主的かつ衝動的な流れだった。
その知らせを聞きつけて、彼女がやってきた。
裁定者である。
以前からこの街に顔を見せていた彼女は、風のように現れては、何かを整えて去っていくという“謎の公共精神”を備えた人物だったが、今回ばかりは違った。何か決定的な使命感をまとって、まるで神殿の石碑のような顔で俺の前に現れたのだ。
「……とうとう、裁判の時が来ましたね」
第一声からこれである。
「なんでちょっと嬉しそうなんだ」
「制度は、整うと気持ちいいんです」
何かの趣味かもしれない。少なくとも俺には、彼女が“罰”を与えたいというより、“構造”を作りたい欲に突き動かされているように見えた。
「どんな制度にしたい?」
俺が恐る恐る聞くと、彼女はすぐに答えた。
「必要なのは、三つの席、ひとつの記録、ふたつの耳。あとは“静かにする心”」
何を言っているのか分からなかったが、なぜか分かるような気がした。
そして数日後、広場の端に、簡素な屋根付きの“裁きの場”が立った。
三つの椅子、中央が裁定者。左右に記録者と識者。配置は完璧に均衡を保ち、座面の硬さは「慎重な判断に適する硬さ」とされていた。俺の腰には合わなかった。
第一回の公開裁判は、かぼちゃだった。
また、かぼちゃである。
「うちのかぼちゃだ!」
「いや、それはうちの畑で育った!」
「いやいや、種は私の!」
この不毛な言い合いに、裁定者はため息一つつかず耳を傾け、記録を取り、証拠品としてかぼちゃを解剖し、土のpHを計測し、過去の収穫記録から「かぼちゃの成長傾向」を分析した。
──執念である。
最終的な裁定は、こうだった。
「当該かぼちゃは、両者の耕作域にまたがって育成されたと判断。よって“共育作物”として記録し、今後の畑の区画に関する協定を提示する。かぼちゃは切断して分配するが、切断の角度は裁定者が決定する」
……この街に、ついに“公式なかぼちゃの切り方”が誕生した。
正義が訪れたというより、「ルールという細密画」が舞い降りた瞬間だった。
驚いたのはその後だった。
誰も文句を言わなかったのだ。
むしろ当事者は、「あれ? これでいいのか」と思っているような、奇妙な納得の表情を浮かべていた。そして広場にいた誰もが、その空気に飲まれるように、「裁判とはこういうものか」と信じてしまった。
それはまるで、街に一つ“新しい重力”が生まれたかのようだった。
裁定者は裁きの椅子から降り、俺の横に立ち、ぽつりと言った。
「線を引くというのは、時に静かな祈りです。これで混乱が減るといいですね」
俺は曖昧に笑ってみせた。
街には今、初めて“確かさ”が芽吹いている気がした。
人が多くなり、物が増え、言葉が交差し、勝手に揺れていく中で、たったひとつ、誰かが「ここだ」と言ってくれる場所がある──それだけで、人は少し安心する。
そして今日もまた、かぼちゃは黙って実をつける。
俺たちの正義は、案外そんなところから始まるのかもしれない。