118 集いの場、再び
広場というものは、街の「顔」である──などという主張を、本気で信じている人間がこの世にどれほど存在するかは定かではない。
少なくとも俺は、つい昨日まで信じていなかった。
なぜなら、広場というのは一般に、鳩の溜まり場であり、落とし物の吹きだまりであり、老人の暇つぶしのステージであり、もっと言えば、そこに何かを設置するたびに「じゃまだ」「滑る」「音がうるさい」と苦情が舞い込む、いわば街の“集団ストレス発生装置”だからである。
だが、そういう“厄介な装置”であるにも関わらず、人はなぜかそこに集まりたがる。
人は広場に惹かれる。理由は分からない。自分の姿が誰かに見られている気がして、妙に落ち着くのだ。そういった“目にさらされる快感”が人の中にはある。まあ、俺には理解しがたいが。
そんなわけで、俺は広場の整備を決めた。
あれは、都市の顔だ。
今までは“こけた顔”だったが、今度は“ちゃんとした顔”を作る。
ただ、顔といっても美形がいいという話ではない。むしろ多少いびつで、表情豊かで、皺があって、笑ったりしかめたりする、そんな“愛嬌のある顔”がほしい。
そのためには、職人たちの“くせ”が必要だった。
俺はまず、道職人を呼び寄せた。漂流者でありながら、なぜか「道を敷く」ことに情熱を燃やし続ける、あの不器用な男である。
「広場? やるなら、全部やり直しだな」
そう言って彼は即座にスコップを振り下ろした。
仕事が早いにもほどがある。俺は一言も「今すぐ」とは言っていない。
「地面が腐ってる。こういうのはね、下が全部、ねっとりしてんだよ」
どうやら地面に“性格”を見出しているらしい。
道職人は、まず地面を剥がした。腐葉土のような旧市街の表土を取り除き、砂利を敷き、重石を打ち込み、下地をならす。その姿はもはや僧侶の修行である。
「道ってのは、“人が歩いて初めて完成する”もんなんだよ」
たしかにそれっぽいことを言っているが、道なのに“完成しないと歩けない”矛盾を抱えたまま話が進んでいる。
次にやってきたのはゴロウだった。
彼は大工なのだが、どうにも石と話せるような節があり、「この石は頑固だ」「この石は素直だ」と、俺にはまるで区別のつかない石片に情を込めて接している。
「広場に使うなら、このあたりの石がいい。歩くと硬くて、座ると柔らかい」
「そんな都合のいい石があるか」
「ある」
言い切った。俺のツッコミを許さない力強さで。
そして、いつの間にか芸術家もいた。
「まあまあ、みなさま、石も大事ですが……色彩はもっと大事ですわ」
なぜか広場の中央にパレットと筆を持ち込んでいた。
「この空間の中心に、螺旋を描きたいの。回るような渦。人がその中心に自然と立ちたくなるような、そんな“心の渦”を」
「俺は直線派だ」と道職人が低く唸った。
「でも、心はまっすぐじゃないでしょ?」と芸術家。
「じゃあ、お前の心は回ってるのか?」とゴロウ。
「まるで洗濯機だわ」と芸術家。
こうして議論は平行線をたどり──最終的に、中央の床模様は「幾何螺旋直線式」と名付けられた、非常に目に優しくない幾何学構造に落ち着いた。見た者の視線が、無意識に中心へ吸い寄せられる。視線だけで酔う仕掛けだ。
だが、完成した広場は、美しかった。
石畳はしっかりと足を受け止め、微妙な傾斜が水の流れを制御し、魔素灯が夜を彩る。
試行錯誤の跡が、そのまま味になっていた。
屋台が自然に並び始め、人が集まり、誰が指示したわけでもないのに、誰かが歌い、誰かが踊る。芸術家が螺旋の中心でぐるぐる回り出すと、子どもが真似してまた回り、ゴロウが「酔うぞ」と文句を言う。
俺は、その全てを見ながら──
「広場って、こんなに……めんどくさいのに、こんなに……楽しいのか」
と、内心で敗北宣言をした。
都市の顔は、予想以上にうるさく、そして豊かだった。