113 地を拓く
農業というものに対して、俺はどこか偏見を持っていた。
すなわち、それは「地味」で「重労働」で「泥まみれ」な行為であり、うっかり関わろうものなら全身が茶色く染まり、心までも耕されてしまうのではないかという恐れ。畑というのは、食料という名の文明の基盤を支えるくせに、なぜか尊敬される機会が少なく、朝早くて腰に悪いという三重苦を抱えた存在なのだ。
だが、その考えが甘かったと知ったのは、例によってセリアが爆弾発言を投げてきた日である。
「この街、もう限界よ。畑、足りなさすぎる」
セリアのこの発言には、さすがの俺も反論できなかった。なにせ街の人口は増えており、漂流者もぞろぞろと流れ着き、獣人も人魚もウサギも、皆一様にモリモリ食べる。しかも最近の子どもたちは魔素で腹が減るらしく、何もしていないのに三度の食事を欲しがる始末である。
「拡張しよう」
セリアの目が光った。あれは“拡張”という言葉を使っていい目ではなかった。あの目をした者はたいてい、地面を割り、風を呼び、山を崩す。
そして、エリスが静かに頷いた。
「街の外縁部に、農地を整備します。魔素灌漑と自律ゴーレムの導入で、作業効率は格段に向上します」
エリスの言葉は、常に理性的であり、明確であり、つまるところ逃げ道がない。
──そうして俺は、耕すことになった。いや、正確には、俺は耕さなかった。ゴーレムが耕したのだ。
街の外れ、かつては「ここから先は迷子になる」「光の届かない魔素林が広がっている」と恐れられていた場所に、今や重機顔負けのゴーレムたちが並び立ち、のしのしと土を掘り返し、整地していた。
「土がいいですね」
土に話しかけていたのは、セリアだった。彼女はスコップ片手に、まるで詩人のように土を称え、時折「もうちょいカルシウム足したいわね」と独り言を言う。化学者のそれである。
一方、エリスはゴーレムに淡々と指示を出し、「排水溝はここ、種まきはこの範囲」と、農業計画をまるで軍事演習のように進めていた。
ゴーレムたちは沈黙のまま、だが精密に動いた。彼らは農業モードに再編成されており、必要なときには地温を読み取り、石を選別し、時に種を優しく指でつまむ。あれでいて、意外と器用なのだ。
「ほら見て、播種精度92%よ」
セリアが喜んでいた。俺にはその数値がどれほどの奇跡なのか皆目見当がつかなかったが、横でエリスが珍しく「すごい」と小さく漏らしたので、たぶんすごかったのだろう。
それにしても、魔素灌漑というのは妙な技術である。
水に微量の魔素を溶かし、それを地中に流す。作物は魔素の力を吸い、成長を早め、時に「自己主張」する。
「ほら、あのニンジン、こっち見てるでしょ?」
「気のせいだ」
「いや、絶対に見てる。主根がそっち向いてる」
そういうことを言うから、子どもたちは「畑は喋る」と信じてしまうのだ。
だが実際、畑は“活きていた”。土の色が変わり、匂いが甘くなり、虫の羽音すらも心地よくなる。生命の場が、広がっていくのを感じた。
街の外縁部──かつてはただの境界線だったそこに、いまや規則正しく畝が並び、ゴーレムが種を撒き、セリアが肥料を振りまき、エリスが静かに見守っている。
そして、ぽつりと俺は呟いた。
「……田園都市ってやつか?」
誰も返事はしなかった。が、全員が少しだけ、同じ方角を見た気がする。畑のその先。広がる野。見えない未来。
“ここに何かができる”という予感。
それは、誰かの設計図でもなく、誰かの夢でもなく、耕された大地が勝手に放っていた、成長の匂いだった。