112 学び舎に灯る魔法
教育、それは誤解と混沌の種である。
なにしろこの街では、魔素という人を簡単に浮かせ、爆発させ、時に時空の隙間に吸い込むような代物が、わりとそこらへんにうろついている。そして子どもたちは、その魔素にまるで飴玉でも舐めるかのように無邪気に触れ、「なんか光った!」「爆ぜた!」「先生ー!ニンジンが喋ったー!」などと報告してくる。
あまつさえ、誰も“魔法”を正式に教えていないにもかかわらず、すでに街には“魔法らしき行動”をとる子供たちがうようよと現れていた。
「これはもう、“教育”しないとまずいわ」
セリアがそう言った時、俺は正直、少しだけ心配になった。なにせ彼女の言う“教育”というのは、たいてい「耐火性能のある実験着を着せ、浮遊床に乗せ、魔素風速の解析式を暗唱させながらレーザー回避訓練を行う」みたいな、軽く拷問じみた行為を指すからだ。
しかし、それに頷いたのがエリスである。
「子供たちの未来のために、正しく導く場が必要です」
こう言われては、断れない。エリスは常に理想を背負って歩く女であり、冷静沈着にして情熱家、無駄のない動きで真っ直ぐ進む存在である。あの目で見つめられると、否定するには魂の強度が必要だ。
こうして、魔法学校が始まることになった。
──だが、始まるという言葉には注意が必要だ。
教育施設というのは、思想で出来ているのではない。建材と設計と労働力で出来ているのだ。
設計は、例の建築士が担当した。
彼は漂流者特有の抜群の理屈っぽさと、やや斜に構えた視点を持ち、「この土地の地盤なら、塔型の教室が合理的です」と言ってのけた。なぜ学校が塔なのか。垂直性が学力を育てるとでも思っているのか。俺のような水平主義者には納得できなかったが、セリアは「魔力の流れがスパイラルに沿って安定する」とか言って満足そうだった。
施工はもちろん、ゴロウとその配下のゴーレムたち。
ゴロウは現場監督の権化のような男で、「魔素だの塔だの知ったことか! 水平が狂えば全部崩れるんだぞ!」と叫びながら、狂った設計を物理で是正していった。
ゴーレムたちは、無表情のまま石を運び、塔を組み上げ、黙々と働いた。彼らは決して文句を言わない。だが、たぶん心の中では「またこういうの作るの?」と愚痴っていると思う。
建築中、何度も事故が起きた。
一度など、設計士の書いた“階段が浮遊する”構造を実装しようとして、ゴーレムが浮いたまま2時間空中を回転していた。誰も降ろし方が分からなかった。
「学校が呪われてる……!」
子供たちがささやき始めたのも、この頃だった。
とはいえ、ついに完成した。
外観は、塔。内装は、魔素拡散防止のための螺旋通路。教室は、床がほんのり浮いている。
「こうすることで、座学と浮遊訓練が同時に行えるの」
セリアの満足げな顔に、エリスの無言の頷きが重なる。
こうして、魔法学校の初日がやってきた。
俺は、正直、行きたくなかった。だが統治者という立場上、開校式に顔を出さねばならない。
開会の鐘が鳴る。ゴーレム製の鐘である。やたら重厚な音が鳴る。
子供たちが列をなして集まる。その数、ざっと四十名。みな目を輝かせ、そわそわと魔素を滲ませていた。空気が微妙にピリついている。何かが爆発する前触れのような気配だ。
セリアは、開校の辞を述べた。理論と希望を並列に語る演説で、途中から明らかに誰もついてきていなかった。
エリスは短く、「誠実に学びましょう」とだけ言った。その方がよほど説得力があった。
そして、授業が始まった。
第一課「魔素感知と自己制御」──子供が浮いた。
第二課「簡易魔法の原理」──床が割れた。
第三課「応用と夢」──子供が「先生、時空が曲がった!」と叫んだ。
教室は騒然。ゴーレムは天井のひび割れを修理。ゴロウは「構造が甘いんだ!」と叫び、建築士は「想定の範囲内です」と答えた。
俺は、帰りたかった。
だが、帰れなかった。
なぜなら、どんなに混沌でも、子供たちは笑っていたからだ。
「楽しい!」「もう一回浮かせていい?」「魔素って、すげえ!」
その声が、たしかに響いていた。
夜、俺は塔の外に立ち、ぼんやりと見上げた。魔法学校──その名の通り、明かりが灯っていた。空に向かって、まっすぐに。
学びとは、つまりそういうものなのだろう。
転んで、爆発して、ちょっと焦げて、それでも前を向くための場所。
塔の明かりは、魔素の光だった。そして、未来の灯火でもあった。