111 港の誕生
何事も始まりは唐突である。
ある日、俺は会議室の片隅で魔素石を研磨していた。特に理由はない。やることがなかったからだ。いや、厳密にはやるべきことは山ほどあったのだが、やりたくなかったのだ。会議とはすなわち、集まった全員が各々の正義を武器に論破を狙う闘技場であり、俺のような一般人が無防備に踏み込むと脳の栄養が根こそぎ吸われてしまう。
そんな場で、セリアが唐突に言った。
「港を作りましょう」
おお、来たか。この女は唐突に何かを作りたがる。
「港って……どこに?」
「海に決まってるでしょ。あと、空にも」
「空にも?」
「空にも」
俺は絶句した。セリアは時折、自然法則の上を軽やかにスキップする。空に港とは、いったい何を言っているのか。だが彼女は真顔だった。冗談を言っているのではない。彼女の目には、確かに“港が見えている”のである。
それに輪をかけてレイヴィアが言った。
「私、海の民として、港は非常に重要だと思うのです。文化の交差点、交易の玄関、そして未来への架け橋……」
彼女は詩のように語ったが、俺の脳内では「使い道あるか?」の一点に収束した。今のところ、貿易相手などいない。船もない。飛行船も、たぶん気球すら足りてない。
だが、彼女たちは違うのだ。未来を先取りすることに情熱を燃やしている。
「今はまだ何もない。でも、だからこそ、“何か”が来たときのために、受け入れられる場所を作っておくべきよ」
セリアのこの台詞には、少しだけ胸を打たれた。未来はいつだって突然やって来る。そして、港とは“来るもの”を迎えるための構造物だ。
──そして作業が始まった。
海上港の建設は、当然レイヴィア主導である。彼女は海底王国の知識を引っ張り出して、人魚たちが用いてきた「浮貝構造」なるものを持ち込んだ。浮貝──つまり、浮く貝である。なぜ浮くのかはわからないが、浮くのだ。魔素を吸って膨張し、浮力を生む。
浮くならば、いい。俺はそれ以上追及しなかった。追及したら、たぶん貝と意思疎通が必要になる。
一方、空の港。これはセリアの独壇場だった。浮島で見つかった浮遊石を並べ、魔素風石で風路を制御し、浮遊するプラットフォームを構築していく。
「ただ浮かせるだけじゃ駄目。風の流れと共鳴して、安定した位置にとどめるのが肝要なのよ」
セリアはそう言って、風を睨みつけていた。風は応じない。風は気まぐれだ。彼女はそれでも風に語りかけ、手のひらで空気を撫で、魔素の流れを矯正していった。俺には魔法というより、気合いと根性にしか見えなかった。
最初の試作品は見事に流された。次は空中で回転し、乗ったススキ丸が酔って倒れた。三度目には、浮遊台が逆さまになり、セリアのスカートが危うく犠牲になりかけた。
「……私、あんたの前でスカートめくれる率、高すぎない?」
「お前が上に乗りたがるからだろ」
そんな不毛な言い争いを重ねつつ、我々は試行錯誤を続けた。
最終的には、浮遊石の下に魔素吸着貝(レイヴィアが持ち込んだ)を貼り付けて重心を制御し、風石は六方向に分散して回転制御を行うという、妙に“工学的”な構造に落ち着いた。魔法と科学の狭間で、妙な産物が誕生したのだ。
だが──完成してみると、これが案外、かっこいい。
海上港は、貝殻がきらきら光る浮き桟橋。空の港は、雲の中に溶け込むような浮遊デッキ。使い道は、正直まだない。が、見るだけで胸が高鳴る。
「未来が来る場所よ」
セリアが呟いた。
「いつかこの港に、他の浮島から商隊が来るかもしれない。海の底から、魔法貝を満載した帆船が来るかもしれない。その時、慌てないように。今から“迎える準備”をしておくのよ」
「……来るとは限らないだろ?」
「だからこそ、作るの。来ると信じられる人間だけが、最初の港を築くのよ」
その言葉には、抗えなかった。
港とは、まだ見ぬ誰かのために作られる場所だ。すぐに使われるとは限らない。けれど、そこに立つことで、「ここに来てもいいんだよ」と示すことができる。
俺は海を見渡し、空を仰いだ。