107 暮らしの色
この街に、ちゃんとした門があるわけではない。にもかかわらず、気づけば“入ってきている”人々が後を絶たない。誰が開けたのか分からない扉を、皆そろって通ってくる。ときには裸足で、時には荷車ごと。
それが最近、目に見えて増えている。
あの頃──などという懐古を口にするには、まだ俺の髪も白くないし、杖もついていないが、とはいえ、最初の頃は本当に、もっと静かだった。人魚がひとり、獣人がひとり。ぽつ、ぽつ、と水たまりに落ちる雨粒のように、人が集まり始めていた。
その最初の粒が、レイヴィアであり、リュナだった。
レイヴィアは、言ってしまえば水場に棲んでいる。だがその物腰は水よりもよほど形があり、言葉よりもよほど濃度が高い。最初に会ったとき、彼女はしれっと俺の隣に座り、こう言った。
「魔素の流れが落ち着いてきましたね。このあたり、よく育ちます」
俺は、作物の話か、街の話か、あるいは自分たちの性格の話か判別できなかった。
だがたしかに、育ったのだ。街が。暮らしが。人が。
一方のリュナは、獣人らしく足取りが重く、言葉が軽い。
ある日、俺が橋の基礎を崩してしまい、川に落ちていたら、「あー、だからあそこは踏んじゃダメって言ったじゃん」と言いながらタオルを投げてきた。助けてはくれなかった。自力で這い上がってからようやく「……よく生きてたね」と褒めてくれた(のか?)。
そんな彼女は今、酒瓶片手に木の影で座っている。
「最近さ、目が合ったことない人、多くない?」
俺が問いかけると、彼女は肩をすくめて言う。
「まあ、うちも噂される立場になっちゃったからね」
“うち”とは、“この街”という意味らしい。
かつては、たまたま通りかかった誰かが、なんとなく腰を下ろしていた場所だった。そこに屋根がつき、壁が立ち、土が耕され、パンが焼かれた。最初に温泉が発見されたときなど、「これは文明の礎では?」と誰かが感動していた。
そして今、どこかから聞きつけてきた人魚や獣人の姿が、明らかに増えている。
以前は“なじみの顔”のなかに混じる“知らない誰か”だったのが、いまでは“知らない誰か”が基準になり、“なじみの顔”がレアキャラ化してきている。特にリュナなど、「いたよね?最初から?」と疑問形で語られるようになった。
「ちゃんといるよ」と彼女は言う。「地味なとこでね」
レイヴィアも静かに苦笑いする。
「私、最近では“先祖枠”として紹介されるんです」
ここは、はじまりの場所らしい。本人たちによると。
それでも、誰かが安心して座れる場所になったということは、きっと悪いことではない。
人魚族の少女が魔素脚を巧みに操り、獣人の子どもたちが泥だらけの手で壁を塗る。動機は不明だが、「誰かがやってたから」だという。文化とは、たいてい模倣から始まる。
ある日、広場の隅で、よちよち歩きの魔素足の子どもが、しっぽの長い少年にぶつかってこけた。その様子を、遠くから見ていたリュナがひとこと。
「ほら、喧嘩にならないの、えらいでしょ」
言われてみればそうだった。誰も怒らない。誰も咎めない。
あれこれ語らず、ただ一緒に暮らす。それだけのことが、こんなに難しくなくなったのは、いつからだったろう。
「この街、ちゃんと育ったんだね」と俺が言うと、
「まあ、学童期って感じ?」とリュナが言った。
「いずれ反抗期が来ますね」とレイヴィアが返した。
どちらもまったく喜んでいない口調だったが、その顔は、ほんの少し、誇らしげだった。