105 継続する漂流者の流入
海というのは、人を飲み込み、人を育て、人を流す。あるいは、人を迷わせ、知らぬ間に別の場所へと運び出す。
そして最近、この街の海は、人を“ちょいちょい投げてくる”ようになった。
以前なら数か月に一度あるかないか、珍しい祭のような頻度でしか現れなかった漂流者が、週に一度、いや、下手をすれば数日おきにぽこんと海から現れるようになったのだ。まるでどこかの異世界転送装置が乱雑な設定のまま放置されているか、あるいは別世界の下水の出口がここになっているかのような勢いで。
最初の頃こそ、人々はそのたびに驚き、集まり、助け、喜び、そして珍しがった。が、慣れとは実に強い。三人目の時点で半分飽き、五人目には「またか」とため息をつき、七人目には「もうタオル用意しとこう」と予め用意を始める始末である。
街の海岸には“漂流者干し場”なるスペースが設けられ、毛布と温かいスープ、そして濡れたスーツを乾かすための紐が常備された。タオルが支給され、名前を書く欄すら用意されている。漂流者たちはこれを“転生キット”と呼んでいた。
カズマはと言えば、初期の漂流者として、なんとなく“案内役”的な立場になっていた。
「いや、俺もこの前まで会社員だっただけなんで……」と言いつつ、スーツを着たまま漂着してきた新参者を迎え、「わかります、俺もそうでした。駅のホームで、ね」と曖昧に励ます係になっていた。
別に望んでそうなったわけではない。彼はただ“最初に来た、わりと喋れる人間”というだけだったのだが、これが異世界では立派な立場になる。序列とは、常に最も意味のない基準で決まるものだ。
「……で、どんな感じなんですか、ここ」
新しい漂流者にそう聞かれるたび、カズマは少し黙ってから、こう答えるのが常だった。
「うーん、慣れれば、まあ……家賃はないですし……ご飯も、まあまあ……労働は、あります」
要するに、特別快適ではないが、特別絶望でもないということだ。
漂流者たちは、それぞれ奇妙な背景を持っていた。
手品師、元プロゲーマー、漫画編集者、薬剤師、スタントマン、フリーター、迷子、そして猫。なぜか一匹だけ猫が混じっていたのだが、街ではそれも自然に受け入れられていた。
「異世界ですからね、猫くらい喋ってもおかしくないです」
そう言ったのはレイヴィアである。
彼女は海辺の岩に腰をかけ、スカートを潮風になびかせながら、漂流者たちを見つめていた。まるで古い劇場の観客のように、静かで、遠くて、それでいて興味津々な目だった。
「この方々は、皆さま、どこか浮いておられます。物理的にも、精神的にも」
「そりゃあ……いきなり異世界ですしね」
「でも、不思議です。みなさま、案外、馴染んでゆかれる」
「日本が、そういう国なんですよ。変なことに、妙に強い」
「慣性の文化、というやつでしょうか」
「うまいこと言いますね」
カズマとレイヴィアのやり取りは、どこか緩やかで、異種間にしては妙に落ち着いていた。まるで深夜のラジオ番組のようだった。
街はというと、漂流者の受け入れ体制を次第に“制度化”し始めていた。
「漂流者初期対応係」「持ち物登録」「スキル確認」「異文化衝突カウンセリング」などの部署が仮設され、漂着したばかりの者たちは一通りこれらを受けるようになった。まるで市役所の仮窓口である。
「ここに名前を……いや、覚えてない場合は記号でもいいですよ。“うどん”とかでも」
カズマは、新入りにそう優しく言っていた。
かつて、自分がそう言われて救われたから。
その姿を見ながら、俺は思った。
漂流者が増えている。これは偶然か、運命か、それとももっと別の“構造”によるものか。誰かが仕組んだ“流入”なのか、それとも、この世界が何かを必要として“吸い寄せている”のか。
いずれにせよ、この街には、また新しい顔が増えた。そしてまた、何かが少しだけ変わっていくのかもしれない。
変化というのは、いつだって静かに、雑に、そして気づかないうちに始まっている。