101 時間加速の境界
問題は、俺が「育ててみる?」と言ってしまったことにある。
軽率な一言が、時として文明を一歩進めるという事例は歴史において多々あるが、同時に“とりかえしのつかないなにか”を呼び起こす呪詛でもあるということを、人はたいてい、後になって知る。
その日は、いつものように森の前をふらふらと歩いていた。
そこには例の看板、「これより先、急成長します」。おまけに老けたウサギのイラスト。恐らくこの街で一番“効能”のある絵である。
時間が狂っている森の奥にうっかり足を踏み入れれば、十年分の人生をスキップして帰ってくるか、あるいは物理的に歯が抜けて戻る。それが街では常識になっていた。
だが、“境界ギリギリまでならいけるのでは?”というこの世で最も無根拠で希望的な観測が、よりにもよって俺の口から放たれてしまった。
「また始まった」とセリアはため息をつきながら、魔素測定器を取り出す。
あれは測定器というより、もはや趣味の範疇で集めた怪しい水晶の詰め合わせだが、彼女が構えると妙に本格的に見えるから不思議だ。
エリスはすでに風の流れを見始めていたし、リュナに至っては「育てるの? 育てよう!」と喜々として種袋をぶら下げてきた。
完全にやる気である。誰も俺の発言を否定しない。
というより、恐らく全員が「そろそろ言い出す頃だろう」と思っていた節がある。これは陰謀か? それとも習性か?
かくして“境界ギリギリ”の土地に、ささやかな畑が生まれた。
森の時間の歪みがわずかに漏れ出すこの場所では、豆は三日で収穫でき、大根は五日で食卓に並ぶ。効率が良すぎて怖い。
魔素の影響か、時間の流れか、それとも単に土地が肥えているのか、育ちすぎた野菜たちは“そのうち喋りだすのでは?”という不安を抱かせる。特にあのカボチャ、目が合った気がする。
とはいえ、成果は出た。
街では早くも「時短農業」などという言葉が飛び交い始め、誰かが「これは革命では?」と口にした途端、リュナが「じゃあヤギもいけるよね!」と、まるでおやつの続きを頼むようなテンションで提案してきた。
その日の夕方には、子ヤギが一頭、境界に投入されていた。
三日後、帰ってきたヤギは見た目こそ変わらなかったが、目に光が宿っていた。悟っていた。
搾乳量は二倍、足取りは妙に落ち着き、たぶん俺より社会性がある。
隣で草を食むその姿に、俺はなぜか劣等感を抱いた。
当然ながら、次の話題は「子育てへの応用」である。
これも誰が言い出したのか分からない。だが皆、その可能性を脳内でシュミレーション済みだった顔をしていた。
さすがに最初は「いや、それはさすがに……」という空気があったが、五秒後には「短期ならありかも」「保護者同伴で制限つければいける」「初期の夜泣きを回避できるのでは」などと、すでに実装フェーズに突入していた。
初めて試されたのは、とある若夫婦の赤ん坊だった。彼らは慎重に数日だけ境界内で過ごし、監視下のもとで実験を行った。
五日後、赤ん坊は「ぱぱ!」と叫んで帰ってきた。
俺はその瞬間、何か重大な一線を越えた音を聞いた気がした。喋った。あれは完全に喋っていた。滑舌が良すぎる。
以降、境界子育て施設は“短期限定育児支援区域”として整備され、一定の規則のもとで運営されることになる。三日まで。保護者同伴。監視ウサギと魔素警戒員の常駐。ルールは厳しく作られた。だが、希望者は後を絶たなかった。
子どもたちは、言葉を覚え、歩き、笑い、そして不思議なほど街に馴染んでいった。
誰も彼らを「突然現れた存在」とは思わなかった。むしろ、いつのまにかいたような錯覚すら抱く。距離感がうまいのだ。よく喋るし、よく気がつく。空気を読むことに関しては、もはや中間管理職の域に達していた。
ある日、一人の子どもが俺の隣に座った。五歳くらいの、耳の大きなウサギ族の少年。しばらく黙って空を見ていた彼が、ぽつりと呟いた。
「ねえ、このまちって、つぎがある気がするんだ」
俺はその言葉を反芻しながら、ふと気づく。
確かにこの街には、“続いていく感じ”がある。終わらない気配。未完成の気配。次を待っている空気。子どもはそれを敏感に感じ取り、言葉にしただけなのかもしれない。
街が生きている。
そしてその中心に、境界の森がある。
時間の歪みの縁で、未来が発芽している。
──まったく、ろくでもないことばかり思いつく癖に、俺たちはときどき、とんでもなく正しいことを始めてしまう。そういう意味では、世界とはつくづく不便で、面白くて、育ちやすい場所だと思う。