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銀狼の祈り  作者: 秋瀬
8/13

8話

 南の森が、程近くなっていた。

 重ねていた外套は、今や荷物袋の中だ。

 頬を切るような雪風は和らぎ、静かに大地と木々を覆い続けている。薪に、炎を灯す。

 シルヴァの城を発った日の夜には満ちていた月が、再び満ちて私たちを見下ろしている。シィロの街を出てから、彼は何度も私と話し合いの場を持とうとした。私は、怖かった。

 彼と対峙するには、間違いを重ねすぎている。嘘を吐くよりも、真実を口にする方がずっと難しい。

 彼は、私が真面に答えないと気付くと、手を変えた。核心を突かない些細な疑問で沈黙を埋めるようになった。


「南の森に住む従狼の一族は、シルヴァの従狼と同じなのか。従狼はシルヴァの民のためだけに生まれると言ってなかったか、昔」


 魔力で灯した炎は、いきもののように蠢いて、影を伸び縮みさせている。

 南の深い森。この大地の地下に広がる魔脈の源だ。魔脈によって、特に公国の地は魔力で満ち、狼人の生き良い地になっている。狼人の中でも私たちシルヴァが不安定な心石を持つのは、従狼と分かたれて生まれてしまうから。

 従狼は、私たちの誕生と共に南の森で生まれ、地下の魔脈を辿って主の元へやってくる。従狼は、魔力で構成されたいきものだ。シルヴァの先祖は、大罪と正義を成したという。

 森で暮らす従狼というのは、私たちの従狼とはまた違う。森で暮らす彼らは、番人だ。シルヴァの大罪と正義を受け、従狼の誕生の番をする。

 この関係は曖昧で、明快でないからこそ、成り立っているものだった。風になり、火になり、水になる魔力も、正体はわからない。ただ、そういう存在だ。

 この世界の理として、在る。そして、狼はそれを扱える。人間は扱えない。それが理で、変わることはない。人間と私たちは違う。違ういきものだった。

 それなのに、獣を殺した時とは違う嫌な後味が長く続く。似た姿に生まれてしまったばかりに。わかりあうことなど出来ないのに、同じ言葉を使うばかりに。


「これも俺には知る権利が無いことなのか」


 無駄な回転を続けていた思考から、引き上げられる。明確な苛立ち。それはきっと、彼自身にも向いていた。


「どう説明しようか考えていただけだ。彼らは同じ従狼だが、違う存在とも言える」


 頭の中で辿っていたことを、幾らか噛み砕いて彼に説明する。口に出してみると、案外にそれは概念的で、彼の眉根は寄せられてしまった。何でも白黒付けたがる人間の中で暮らしていた彼は、人間寄りの思考なのかもしれない。


「つまり、番人である一族とシルヴァと共に生きる一族がいる、と」

「まあ人間的な解釈で言うのなら……もしかしてお前、狼の三氏族の興りを知らないのか」


 三氏族、と彼が繰り返す。


「かつて、この大地は神の怒りで穢れに満ち、すべてのいきものは地に潜って暮らしていた。三人の兄弟が立ち上がり、数々の試練を乗り越えて、神の赦しを乞い、この大地を浄化した。穢れは三人の血を以て未知の力に変わり、神はそれを魔力と呼び、子孫たちに与えることを約束した。神は、三兄弟の死を見届けるとこの世界を去られた……狼人なら誰でも諳んじることができるだろうな」


 寝物語の類だ。真偽はわからないし、明らかにする方法も無い。揺らぐ赤が、夜闇のなかの存在が私たちだけのような感覚を呼び起こす。


「人間共に雪深いこの地へ追いやられただけで、私たちは元々血が神に赦しを受けているだけだ。土地そのものに祝福など、馬鹿馬鹿しい……三兄弟の名前はそれぞれ、イェルヴァ、シルヴァ、コルヴァ。金、銀、黒の毛並みを持つ狼だった。国を興し、三氏族は手を取り合って暮らしていた」


 彼は黙って話を聞いている。


「長くは続かなかった。三氏族は神の赦しによって与えられた魔力を、互いを傷つけるために用いた。去られたはずの神はこれを憂い、遂に戦いを平定したシルヴァは心石を砕かれ、分かたれて生まれるようにされた。最も狡猾だったコルヴァは、耳と鼻を利かないようにされた。最も残虐だったイェルヴァは、滅ぼされた。そして、今度こそ永遠に神は去られた。これですべてだ。かつては、皆が私、もしくはそれ以上に魔力を扱えたんだろう」


 今では、魔力を戦いに使えるような者はシルヴァの民でも半分ほどだ。耳と鼻の利かないコルヴァは、僅かな魔力をうまく使うような機構を生み出し、シルヴァの庇護下に下った。


「その時砕かれたシルヴァの心石のかけらが、森の従狼ということか」

「彼らは、肉体を失ったイェルヴァの民だ。イェルヴァという名は廃されて、魔力で満ちた深い森でしか生きられなくなった。イェルヴァの遺志を継いで、シルヴァの従狼たちの番人をしている」


 アルトは、あからさまに理解ができないという顔をしている。この話は幼子の頃から繰り返し聞かされるものだが、所詮辻褄合わせの寝物語に過ぎない。


「わからなくてもいい。ただ、お前も半分はコルヴァなんだから覚えておくといい」


 彼の母はエストリンで生きるために、王国の少ない魔力で狼人の特徴のすべてを隠していたという。死の間際まで。療養を終えて彼が十の歳、迎えに来たエストリンの王妃は東の島出身の人間として振舞っていた。狼人としての教えを伝えていなくても不思議ではない。エストリンの人間として生きていけるようにしていたのだろう。ふと、彼がライルに言っていたことを思い出す。


「そういえば、お前エストリンに戻らないなら、どこへ行くつもりだったんだ。シルヴァともエストリンとも関係ない国か」


 合わせようとした目線が外されて、火に落ちる。


「きみを殺して、死ぬつもりだった」


 向こうではもう死んだことになってるはずだ、と続けられる。彼は、私と違う。心石が凍りついたようだった。もし、あの時無理に殺させていたら。

 彼が命ひとつ奪うことにどれだけの覚悟を持ってきたか、わかっていたつもりで、何もわかっていなかった。私の心はきっと、どこかが麻痺してしまっている。


「父の後妻に閉じ込められている間、ずっときみからの手紙が支えだった。兄さんに連れられて進軍を止める工作をしている間も、きみからの生きろという言葉を忘れたことはなかった。あの夜、全部嘘だったのかと思った。嘘じゃないなら、どうして、あんなことをしたのか、教えてほしい」


 苦しそうな声だった。喉が絞められたように、声が出ない。嘘じゃない。嘘じゃないから、こんなに。

 私は、彼に蟠りを抱えないで生きてほしいと思っていた。彼が私を殺したところで、それは果たされない。だめだ。シィロの夜にも突きつけられた事実を、まだどうしたらいいかわからない。

 彼といると、ゆっくりと覚悟が崩れて、足を着ける地盤さえ、ぐにゃりと歪んでいく。だめだった。


「嘘じゃない……私は、お前にどうしてほしいんだろうな」


 彼の疑念の答えを持っているのは、彼の兄と私くらいだろう。答え合わせをするには、まだ言葉が見つからない。どう伝えればいいのか、あまりにも難しい。 私ははじめから、難しいことを考えたくないだけだったのかもしれなかった。目を合わせないままに、長い沈黙が続いた。

 先に口を開いたのは彼だ。


「きみは、見境の無い殺人者なんかじゃない……ジンはシルヴァに何か、していたのか」


 確信を持った響きだった。月が、傾いていた。シノを喪ってから、音や匂いが曖昧になってきている。


「心の内がどうであれ、あの男がお前たちに尽くしていたのは、事実だ。もう死んだ者を悪く思うな。お前の目から見た姿を信じてやってくれ」


 彼は、炎を見つめていた。その夜は、空が明けるまで火を絶やすことはなかった。

 

 

 

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