7話
――はじめて見るかおだね。お前はだれ。
アルト、変わった名前だね。
どうして髪も目も黒いの。
どうして耳も尻尾も無いの。
じゅうろうはいないの。
じゅうろうはたましいのかけら。
大人がそう言ってたよ。
ふうん、にんげんって不思議だね。
お前のことをお前なんて呼び方しちゃいけないって怒られちゃった。じゃあお互いに名前で呼ぼう。
私はレノウ。この子はね、シノ。
どうしてにんげんなのにこの国に来たの。
お母さまがここに行けって言ったの。
嫌いかなんて知らないよ。私は嫌いじゃないよ。
一緒にお外で遊ぼうよ。だめなの。そう。
そうなんだ。なあ、帰るのか。
手紙、書くよ。私たちの鷹は利口だから、どんなに遠くても届く。
大丈夫。またいつか会える。
――アルト。大変な状況にあるなら言ってくれよ。この鷹は大丈夫だ。誰にも見つかりやしないよ。どうか、生きていてくれ。
アルト。シルヴァにも数年遅れで事の次第が伝わってきた。エストリンの王妃が東の島出身と聞いてはいたが、まさか狼人であることを隠していたとは。才能のある方だったんだな。エストリンの内政には私たちシルヴァも干渉できないんだ。もどかしく思う。同胞の血を引く者が迫害されている状況を放置するつもりはない。アルトも、必ずいつかは。絶対に、生きていろよ。
アルト。もうあれから四年か。成人おめでとう。生まれるところを選べないのは、皆同じだ。新しい妃は気狂いだな。弟の心石を狙っているらしい。私は弟のふりをして立ち向かうことにした。アルトも、生きろ。私は、大公家の者として、民を守る。
私は燃え盛る炎の中にいた。遠くから、誰かが何度も私を呼んでいる。その声は次第に大きくなって、遂には肩を揺らされる。
「レノウ」
暑くもないのに、嫌な汗をかいていた。目の前は何も無い壁で、炎の面影も無い。緩く身を起こせば、彼が寝台に片膝をついて、私を見下ろしていた。今までの悪夢と毛色の違う悪夢だった。
私たちの間にやわらかなものがあった頃はとうに過ぎたのに、今更夢になんて、未練がましい。そんなことを希う資格は無いのに。
朝の陽で陰をつくる彼の顔をまっすぐ捉える余裕が無かった。
「どこか悪いのか」
声に色濃く乗せられた気遣いが、私の動きのすべてを緩慢にさせる。彼に、私と同じような悪辣さは無いのだと、見て見ぬふりをしていたはずの事実が突きつけられる。結局、私は、彼の従者への感情を利用しているに過ぎない。
いずれは、彼を解放してやらなくてはいけない。どうか、彼の重荷にならぬかたちで。
「すこし、夢見がわるいだけだ」
誤魔化しは掠れて低く落ちて、酷く惨めに思える。わざとらしく溜息を零して、乱雑に彼を押し退けた。
昨晩の荒れが嘘のように雲が晴れ、風は幾らか穏やかになっていた。宿を後にし、戦前の活気を取り戻した市場でいくらかの品を見繕っていれば、あちこちから私の名が呼ばれる。
誰も彼も、好意的で、私はもう美談の主人公になってしまったのだと痛感した。多くのものを失い、傷ついた後で、支えになるのは、強い恨みの感情か架空の英雄か。きっと、私が理想の偶像になるのが正しいのだろう。わかっていた。
それでも、先の生きるべき時間を失くして会えなくなってしまった者たちと、私によって奪われた者たちを思うとだめだった。私の言いつけを守って物を言わないアルトを連れて、南の城門に辿り着いたころにはもう、早く出てしまいたいとさえ思った。
境壁の向こうへアルトを促すために振り返った時、昨夜の青年が見えたが、そのまま踵を返した。私は、称えられるようなことなど何ひとつ成し得ていない。
力を持つ者の責務を満足に果たせなかっただけの、殺戮者だ。