3話
――炎が激しくうねる。
怒号が響く。
そうだ。私を狙え。
打てるものならその矢を打ってみろ。
打てばいい。
私こそがお前らの王妃が求める公子。
熱風で火の粉が巻き起こる。
赤い。王妃。笑っている。笑えばいい。
王は動かない。ああ。もう死んでいるのか。
なぜ王子たちがこの場に。邪魔する気はないようだ。
そうだ。二人の仇でもあるだろう。
趣味の悪い絨毯。赤い。
私から奪うな。私の国を、民を、よくも。
私欲に塗れた狂信者。
自国のことすら駒としか思っていない。
傲慢な王妃ベラよ。残念。
お求めの公子は私ではない。私の心石は違う。
お前の望む大量殺戮の禁術の贄ではない。
殺させるものか、私の国の民を。
心石を飲み込んだところで何になる。
不死になどなるものか。
あの土地に降り注ぐ神の恩恵もでたらめだ。
笑え。己の愚かさを。
向こうでお前の信者とこの国の民に謝れ。
シルヴァの民には間違ってもその面を見せるなよ。
さあ、第一王子ソオラよ。今からお前が王だ。
禁術などなくとも私なら街ひとつ簡単だ。
狼人としてのよしみだ。
これでもお前のことは信じてきた。
目指すところは同じだよな。なあ。
ふらりと王妃の亡骸に近づく男。
私の魂のかけら、いとしい子、シノを殺した、あの男。
目の前が赤い。血が舞う。赤い。
どうして邪魔をする。アルト。
手袋越しなのに熱い。なぜ。
呼吸音が頭の中で響く。
何度も。
そこら一帯が、すべて、赤かった。
何か強い衝撃で意識が浮上する。心石が激しく拍動している。私が組み敷いているのはアルトだった。共に寝台から落ちたようだ。生きている。首を絞めた痕なんて無い。未だ荒い呼吸で謝罪をする。
「いや、俺が……すまない……魘されているようで、迂闊に様子を見に来たものだから……」
彼は背中と頭を打ったようだった。床に散らばった括られていない彼の黒髪が、ちかちかと夢の惨状を再生する。
悪夢を見る日々の中で初めての失態だ。膝が痛む。
朝日が差し込んでも底冷えするこの部屋は、あの熱に満ちた夜とは似ても似つかない。ここまで錯乱するようなら、意識のない間は拘束してもらえるかと聞けば、彼は口を噤んでしまった。
城門の前で、三人と一頭分の白い吐息が浮かんでは消える。空には雲のひとつもなく、出立にふさわしい好天だ。行く先はまっさらで、北へ向かう風が私たちの髪や服を攫おうとしている。
いつでも帰ってきてね、と言う弟の目は擦れて赤くなっている。帰らぬ旅の見送りであることを、きっとわかっている。抱きしめれば、確かな温度がある。この子の命を、暖かさを守れて、良かった。
視線を落としていたアルトに、弟が向き直る。
「アルト様……どうか、レノウのことを、よろしく頼みます」
下げられた頭を見つめたままの彼が、勿論、と短く応える。それは、漏れ出たような、ほとんど息のようなものだった。
最後に撫でたライルの従狼の鼻は、冷たく湿っていた。手袋をきつく嵌め直す。隣を歩くことのない彼の足音を確認しながら、進んでゆく。
いつまで経っても、風の向こうで弟が立ち去る足音は聞こえなかった。