御守りとつきもの
「あんた、つかれてるで」
背後からの声に柚香が振り返ると、立っていたのは同い年くらいの少女だった。
柚香が関東から京都に引っ越してきて一年ほどが経つ。目の前の彼女が着ている制服が市内の名門女子校中等部のものであるということはすぐに分かった。垂れ目がちでゆったりとした顔立ちは、左頬の泣きぼくろも相まって小動物を連想させる可愛らしさだが、深い黒の瞳からは何を考えているか読み取ることができない。
「えっと……」
何と返していいものか、言葉に詰まる。
柚香は今日たまたま、学校の帰りに駅前まで買い物をしに来ただけだ。道端で知らない人に声を掛けられることすら珍しいのに、随分変わった声の掛けられ方を、それも同じ女子中学生からされてしまった。
柚香が返答に困っていると、少女が続けて口を開いた。
「自覚あらへん?」
「確かに、肩凝りとか怠さとかは……」
疲れてる、というワードからぱっと思い至った症状を口にすると、少女は手のひらを顔の前で振った。
「あー、その疲れとちゃう。まあ、悪いもんにつかれてたら体調も悪くなるんやけど」
「あの、さっきから何の話を――」
「つかれてる、いうのは、憑き物の話や。あんた、悪霊に憑かれてる」
急にオカルティックな話になって、柚香は身構える。
「その、そういう勧誘なら……」
「自分でも薄々気付いとるやろ、そんなに御守り持ち歩いとるんやし」
「えっ」
言われて、柚香は携えている鞄に思わず目をやった。
確かに彼女の言う通り、柚香は鞄の内ポケットに神社やらお寺で買った御守りを複数入れている。外からは見えるはずもないそれを、どうして目の前の少女は言い当てたのか。
「何で……」
「微弱でも、力の込められたもんの存在は分かるんよ」
くすくすと笑って、少女は柚香の目を見つめた。
「あんた、名前何ていうん?」
「あ、えっと、楡原柚香……」
思わず名前を口にしてしまい、柚香は若干後悔した。
少女は手を口元に当てて、妖しい笑みを浮かべる。
「柚香さん、あんたに憑いてる悪いもん、うちが祓ったるわ」
それが彼女、御神堂綾那との出会いだった。
結論から言うと、確かに柚香には悪いものが憑いていた。
もともと実感としてそういった理外のものによる悪影響を感じていたからこそ、御守りを買い集めていた。
綾那に祓ってもらった途端に身体の怠さがなくなったことも、彼女の主張を信じる一因になった。しかし、ただそれだけでは霊感商法の詐欺と何ら変わりない。
綾那を信じる決め手となったのは、彼女が柚香の目の前で異能を行使したからだ。
彼女はかの有名な安倍晴明の、つまるところ陰陽師の末裔だそうで――その肩書きも胡散臭くはあるのだが――式神を扱う様子を柚香に披露してくれた。それが決め手だった。
綾那によると、柚香はいわゆる霊媒体質というものらしい。憑かれやすくその影響を受けやすい、改善しようのない体質。霊感がある、というのとはまた違ったもののようだ。
言われてみれば柚香には幽霊は見えないし、その存在をはっきりと感じることができない。
霊感がないというのは悪いことではない。怪異に対して鈍感であるというのは、必要のない知覚を閉じているということ。普通に生きていくうえでは不要な能力なのだから、その方が生きやすいことは間違いない。
しかし、柚香のように霊に憑かれやすい体質であると話は変わってくる。その存在を感じ取れないのに一方的に悪影響を受けるというのは、良いことであるはずもない。
ただ、一度祓ったところで霊媒体質の柚香にはすぐに霊が憑く。
柚香は定期的に綾那に会い、憑いた悪霊を祓ってもらう。年齢が近かったことも手伝って、ふたりはそういう関係になった。
***
しばらくは月に一度程度、お祓いのときに柚香が綾那に呼び出されるかたちで会っていたが、一年もしないうちにそれ以外でも会うようになった。
とはいえ綾那の家は躾が厳しいようで、どこかに遊びに行くようなことは滅多にない。公園やカフェで、普段何をしているかとか学校であったことのような他愛のない話をする程度だ。
「御神堂さんは、どうしてわたしに良くしてくれるの?」
お祓いの後によく利用するカフェで、対面に座る綾那に柚香が尋ねた。
「何でやろなあ」
綾那は僅かに口角を上げて、はぐらかすように目線を窓の外に向けた。
「わたし、御神堂さんに何もしてあげられないのに」
綾那は陰陽術という能力の恩恵を一方的に享受しているのみで、何も持たない柚香の方から彼女に与えられることは何もない。
柚香の発言の後、ふたりの間に沈黙が流れた。他の客の話し声や食器が擦れる音の間に、お互いに何も言葉を挟まない。
やがて、痺れを切らしたかのように綾那が口を開いた。
「……うちの家の話は少ししたことあるやろ?」
「ええと、安倍晴明の子孫って」
「そや。晴明の直系の子孫が土御門家」
「あれ、でも御神堂さんは」
「そう、土御門やない。御神堂家は傍流なんよ」
「それでも、子孫は子孫じゃない」
言うと、綾那はやんわりと否定するように首を横に振った。
「うちみたいな古い名家っていうのは面倒なもんで、傍系の血筋は立場が低いんや。特に御神堂家はうちのひい婆様がちょっと不味いことして、本家から疎まれとるんよ」
「不味いこと?」
「それは内緒や」
追及しても教えてはくれないだろうと察して、柚香はふうんと相槌を打つだけにしておいた。
「でも、それがわたしと関係あるの?」
「聞いてたら分かるわ。うちは土御門家に預かられてる身なんよね。学校でも、少し事情がある名門の娘って扱いや」
俯き加減になって、綾那は言葉を続けた。
「だから、周りから距離を置かれてるんよ。周りに陰陽師や、とか霊が見える、とか言うわけにもいかんし。噂はされるけどな」
「それが話の切っ掛けになったりは」
「しいひん、むしろ距離を置かれるだけや」
「そっか……」
柚香は内心納得した。自分でも、周りにそういう人がいたとして積極的に関係を築こうとは思わないだろう。
「……そやから、友達が欲しかったんや」
ぼそり、と綾那が溢した。
「柚香さんを駅前で見掛けたんは、ほんまにたまたまなんよ。年が近そうな女の子で、霊に憑かれてて、うちが祓ってあげたら友達になれるんちゃうかと思った。憑かれてることを自覚してそうやったし」
御守りたくさん持ってたしな、と綾那は付け加えるように言う。笑いどころだったかもしれないが、柚香はとてもそんな気になれなかった。
自嘲するように綾那は笑った。
「うちは、狡いなあ。そんな思惑で柚香さんに近付いて」
「そんなことないよ」
咄嗟に口をついて出たのは、そんな言葉だった。
柚香は、大人びた少女だという印象を綾那に対して持っていた。初めて会ったときのこともあるけれど、名家の生まれで陰陽師という浮世離れした世界に生きている彼女は、同い年の自分よりも多くのことを知っていて、それが彼女の触れ難い雰囲気を形成しているものだとばかり思っていた。
でも、そうではなかった。
少しばかり柚香と違うことを知っているだけで、彼女は孤独を嫌うただの中学生の女の子に過ぎない。
関東から引っ越してきた柚香も同じだった。
転校した学校でそれなりの関係性の友人はできた。けれど言葉の違いのせいか、あるいは他の理由か、どこか周囲と壁を感じていた。人間は自分たちと違うものを集団から排斥する……それは未成熟な年齢であればより顕著だ。そうしまいとしていても無意識のうちに距離を置く。
「わたしは、どんな理由でも御神堂さんと友達になれて嬉しかったよ」
この言葉は繕ったものなどではなく、間違いなく柚香の本心だった。
「柚香さん……」
「だから、御神堂さん、これからもわたしと仲良くしてくれる?」
「もちろん、もちろんや」
顔を赤くして何度も頷く綾那。一年程の付き合いで、柚香が彼女のそんな姿を見るのは初めてだった。
お互いに孤独を感じていたからこそ、柚香と綾那は出会ったのかもしれない。
幽霊や陰陽師がこの世には存在しているのだ。そういう運命を信じたって良いじゃないかと、柚香は思った。
***
柚香が綾那と出会って、五年近くが経った。高校生活も終わりに近付き、春の訪れとともに大学進学に向けての準備を進める時期に差し掛かっている。京都の私立大学の合格発表がつい先日あり、無事合格していた柚香は入学手続きや進学後に必要なパソコンなどの物品を揃えるので忙しくしていた。
その合間、柚香はいつものカフェで綾那と会っていた。
「御神堂さんは内部進学だったよね」
紅茶を飲みながら、柚香は何気なく綾那に尋ねた。
他愛もない話題のつもりだった。
綾那の通う女子校は小等部から大学まで一貫で進学することができる。小学生のときからそこに通っている彼女は、春先くらいに進路の話をしたときにはそのレールに従って進学すると言っていた。
だから、進学したら何のサークルに入るのかとか、どういう内容を専攻したいかとか、そういう話をするつもりだった。
けれど、綾那から返ってきたのは意外な一言だった。
「いいや、うちは他の大学行くんよ」
それは、柚香にしてみれば寝耳に水な話だった。
「京都の大学だよね? 御神堂さん賢いし、京大とか」
「いや、地方の大学や」
そう言って綾那が挙げた都市と大学の名前は、柚香が耳にしたことのないものだった。
「何でそんなところ……」
彼女が進学する大学に対して、こういう言い方は良くないかもしれない。けれど、そこまで気を回せないくらい柚香は動揺していた。
綾那であれば、もっと良い進学先の選択肢があったはずだ。いや、そもそも綾那と離れ離れになるということを想像していなかった。
「安心してや、柚香さんのお祓いの件はうちの家の者に頼んであるし」
「そういう問題じゃなくて!」
声を荒げている自分にはっとして、柚香は目線を伏せた。
「……ごめん、大きい声出して」
「気にしてへんよ」
「何で言ってくれなかったの?」
「直前に決まって、言い出すタイミングがなかったんよ」
申し訳なさそうに綾那が言った。
「……どうしてその大学に進学しようと?」
「まあ、簡単に言うと本家の都合やな」
「土御門家の、ってこと?」
その問い掛けに、綾那は小さく頷いて肯定した。
彼女が本家である土御門家に逆らえない立場であるということは柚香も理解している。けれど、それを差し引いたとしても自分が知らなかったということがショックだった。
「もっと早く言って欲しかった。そしたら、もっとたくさん御神堂さんと会って色んなことできたのに」
「……さっきのは嘘や。ほんまは、言い出し辛かったんや。堪忍な」
「うん……」
綾那が伏目がちに言うものだから、柚香もそれ以上追及できなかった。
「ま、この世から消えるわけやあらへん、ただ下宿して大学に通うだけや。土御門の家から離れられる分、いままでより楽かもしれへん」
「それは、そうかもしれないけど……」
確かに、進学するだけなのだから長期休みにはそれなりの自由があるだろうし、柚香の方から綾那を訪ねることもできる。
だからといって、寂しいことに変わりはない。この五年間、学校も違うしずっと一緒にいたわけではないが、それでも柚香は多くの時間を彼女と過ごしてきたつもりだった。そんな存在が急にいなくなることを思うと、胸に穴が開いたような感覚に陥る。
「……そや、これ柚香さんに渡しとこうと思っててん」
思い出したように、綾那は懐から小さな袋のようなものを取り出した。
柚香が手を差し出すと、綾那は両手で包み込むようにしてその布袋を握り込ませた。細っこい彼女の指はひんやりと冷たかった。
「これは?」
「うち謹製の御守りや。柚香さん、御守り集めが趣味やったやろ」
「……まあ、趣味かも」
綾那にお祓いをしてもらうようになって以来、柚香には御守りの存在がそれほど必要でなくなった。そもそも効き目は薄かったのだが、いよいよ必要がなくなってからも機会があれば何となく買っていた。
「嬉しい、大事にする」
御守りを胸の前で握り締めた柚香を見て、綾那は口元を綻ばせた。
「その辺の神社で売ってるもんよりは効き目あるよ、保証する」
「そうじゃないと困る。わたし、御神堂さん以外の人に祓って欲しくないもん」
柚香の言葉に、綾那は気の抜けたような顔を見せた。
「うちも、柚香さんが他の人に祓われるのは嫌やわ」
お互いに同じことを考えていたのが何だか面白くて、柚香と綾那は顔を見合わせて笑った。
柚香は、数年前に考えたことを思い出した。
きっと運命は存在して、それによって導かれた綾那との関係が途切れることはこの先ないだろう。
そんな確信を、柚香は感じていた。
去年の文フリ京都で無料頒布した短編です。
時間や文量の制限があったので、わけわからん感じになってます。
御神堂綾那というキャラクターは、以前から構想している現代怪異ものに登場する予定の陰陽師の女の子です。
最近その作品を書き始めるべく動いているので投稿しました。