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3-3 屈辱の玉座

 エリーを国王代理とする準備と手続きで宮廷は大騒ぎとなった。

 大学士以下の学者たちと宮廷で実務をこなす役人たちが不眠不休ですべての体裁を整えるのにひと月近くを要した。

 それでもエリーにとっては待ち長かった。


 この先、五年間。

 行方知れずのダラン国王がもし帰還しなければ、唯一の王位継承者としてエリーが国王となるのだ。

 緊張して口の中が乾く。

 エリーは息を整えた。舌を転がしてどうにか唾液をかき集め、喉を鳴らして飲み込み、小さく深呼吸する。

 そしてようやく、覚悟を決めて背筋を伸ばす。

 冷たい白亜の椅子に手を触れると、一礼し、そして座った。


(これが)

(玉座)


 正面を向くと、リトワース公爵以下見知った貴族達が最敬礼で顔を伏せていた。その背後には、まつりごとの実務を執る官僚たちも尊き国王代理と視線を合わせぬよう顔を伏せている。

 床を舐めるとはこういう光景をいうのかもしれないとエリーは思った。

 国王とは、国王以外の者に屈辱を与える存在なのだ。

 聖女に憑依した古代の神々は、王妃エリーに玉座を護るよう命じた。神託に従ってエリーは王妃の座から夫の玉座に移った。隣の椅子に移動しただけでまさかこれほど景色が違うとは思わなかった。

 あの神託を王都の民すべてが聞き、証人となった。

 それはエリーには喜ばしいことだった。処女王妃、国王代理の聖なる処女、と呼ばれるようになった。慈母神のいとし娘とされその庇護を受け、国王が帰還するまで、または期限の五年後までは一切の交渉を禁じられている。

 男はエリーに触れてはならない。

 そしてエリーもまた、男を求めてはいけない。

 だからエリーは育ての親である義父リトワース公爵の子を産むことはない。エリーはその神託を聞いて嬉しかった。溢れそうになる涙を堪えるだけで精一杯だった。

 玉座についたエリーが、とん、と玉座の縁を叩く。

 その微かな音で貴族たちは一斉に面を上げた。

 最前に位置していたリトワース公爵がすらりと動き、衣擦れの音ひとつたてず進み出た。

 まずは王妃エリディアを称える長々とした句を述べて挨拶した後で、エリーが想定していた通りの言葉を告げる。

 茶番のはじまりだ。


「我々はこれまでもそうであったように、これからも変わらず国王陛下不在の王国を護り続けます。国王代理として玉座を護る王妃に対しても国王と同じ忠誠を誓い、命を捧げる所存です」


 リトワースの言葉にエリーは頷く。

 そしてあらかじめ決められていた通りの台詞を棒読みで告げた。


「国王代理を輔弼する執政にリトワース公爵を任命する。ただしこれを一代限りとする」

「謹んで拝命いたします。この命に替えてでも、王都と王妃さまを御守りいたします」


 この短い茶番のために大広間に集められた貴族達が、一斉に拍手して〝執政〟リトワース公爵を称えた。

 執政が選定されたのだから国王代理はすでに用無しだ。

 引き続き宮廷大会議が開催されたが、エリーが発したのは開会宣言の一言だけだ。

 エリーの座る椅子がどれだけ変わろうとも、権力がリトワースの手にあるのは変わらない。国王不在のリマーディル王国はとうに彼のものだった。


 



「国王代理による貴族議会の開会宣言を行いましたから、明日より六年ぶりに通常の会議がはじまります。次にご参列いただくのは最終日になります。閉会宣言をいただかなければなりませんからね」


 広い国王執務室にエリーはいる。

 話しかけているのはリトワースだが、大の男が声を張らねばならぬほど距離は遠い。神託に従い男性はエリーに近寄ってはならないのだ。

 この距離がエリーにはありがたかった。

 しかも彼女の両脇には、神殿から派遣された屈強の尼僧戦士が長槍を構えている。彼女たちの勇ましい姿をみたリトワースは「これはこれは」と失笑していた。

 あの神託以来、リトワースがエリーに邪悪な表情を向けることはなくなった。少なくとも表向きは、国王に失踪されてしまった哀れな王妃と王都を支える義父の表情を保っている。


「まつりごとの議会には、大会議にも小評議会にもすべて毎日参加します。わたくしは国王代理なのですから」

「それは不要です。そのための私、執政がいるのですからね。まつりごとに関してはまったく心配ご無用」

「わたくしは国王代理です。王に接するように接していただかなければ神意に背くことになりましてよ」

「国王に対しても宮廷はそのように接しておりましたよ。代々、国王はまつりごとのすべてを我々宮廷に丸投げされておられた。代々の国王が自ら喜んで乗り出すのは狩りと宴会と戦争だけだ。国王遠征中だというのにこの国が西側諸国に攻め込まれることなく長年の平穏を保っている理由を考えてごらんなさい」

「……」

「答えは簡単。それはこの私、リトワース公爵がリマーディル国にいるからですよ。可愛いエリー」


 それは自信と誇りに満ちた美しい声だった。

 義父上の声が好きだ、とエリーは唐突に思った。思い出した。彼に拾われたばかりの頃、彼だけを拠り所にして日々を生きた。この声で褒められるのが好きだった。この声で「大丈夫だよ」と撫でさすられるのが好きだった。

 エリーは小さくかぶりを振った。


「それならば、なぜ、義父上は王位簒奪を企んでいたの? あなたはすでに国王陛下以上の権力を保っているのに、どうしてわたくしを奪って子を産ませようなどと。……すべてを持っているあなたならば、今さらわたくしに流れている王族の血なんて欲しくもないでしょう?」


 王族の血。

 その一言は、リトワースにとって禁句にも等しかった。

 彼の顔色が変わった、ような気がしてエリーは声を詰まらせる。

 だがそれは錯覚だっかもしれない。

 改めて彼の顔を見つめると、穏やかに視線を落としている。


「エリー、余計な心配をするのはおよし。そこにいる長槍を構えた貞操の守護者たちの手を煩わすこともない」


 その言葉を信用してはいけない。

 エリーは自分の胸に言い聞かせる。義父上は東方遠征中の軍に指図して国王陛下を襲った。それだけでなく城内で騒ぎを起こしてアルディン近衛隊長とリラに罪を負わせた。すべて彼が王位簒奪を企んだからだ。


「覚えてらして。国王陛下が帰還したらあなたを殺す」


 エリーは冷たい声で言った。


「殺す? エリー、おまえがこの私を?」


 リトワースは柔らかく笑った。


「エリー、エリー、可愛いエリー。私は知っているのだよ」

「何を」

「おまえは私を愛している。幼いおまえが国王陛下ではなく義父の私に恋い焦がれていたことを、私に初恋を捧げ、私に幼い純潔を奪われたいと願っていたことを私は知っているよ」


 エリーの頬が血色を失う。

 彼女は青白い肌を震わせた。


「やめて。わたくしは何も知らない幼い女児だった」

「あの夜のことを思い出させてあげようか。民草が称える処女王妃というのは大嘘だ、おまえは11歳の娘でありながら……」

「やめて、あれは違う! おまえたち、この男を串刺しにして!」


 エリーの命令で、尼僧兵ふたりが槍を向ける。

 本気の殺意だ。


「おお、怖い、怖い」


 リトワースはひょいと避けた。

 面白がってぴょんと弾み、そのままくるりと背を向ける。


「私はいつでも待っているのだよ、おまえが神託を反故にしてこの腕に飛び込んでくる日をね。それまでおまえは私の傀儡、玉座で遊ぶ可愛いお人形さんだ」


 せいぜい屈辱の玉座を楽しむがいいよと言い捨て、リトワースは片手を振ると国王代理の執務室を後にした。

 冷たい静寂に包まれる。

 ふたりの尼僧兵が殺意を解き、再び直立不動でエリーの側に控えた。エリーは彼女たちに声をかけようとしたが、何を言って良いのかわからず、曖昧に微笑みかけただけで視線を逸らした。


「王妃様ーっ、もう入ってよろしゅうございますかー?」


 この緊張をほどいて明るく照らす声が響いた。

 女官センナだ。


「公爵さまが退出なさったのが見えましたので、もうお声をかけて大丈夫かなーっと思いまして!」

「ええ、いいわ。入りなさい」


 エリーがそう応えると、肥満体を転がすようにセンナが駆け込んできた。声は暢気に聞こえたが実際はかなり緊迫しているらしい。


「どうしたのセンナ」

「さきほど、王妃様宛にと何者かがこれを」


 センナが差し出したのは、粗末な紙に安い蝋で封をした書簡だ。


「わたくしに? いったい誰? 何者かが、って誰なの」

「わかりません。私はこれを馬丁から受け取りました。馬丁は厨房の女から、厨房の女は実の妹から、厨房の女の妹はその夫から、その夫は道端の物乞いから、その物乞いは異国の旅装束の者から受け取ったといいます。必ず王妃に渡してくれと」

「よくここまで届いたわね」


 エリーはなかば感心しながら、注意深く手紙を受け取る。

 刃物が入っていないか、毒薬が仕込まれていないか、呪物の気配はないか。指先に注意を集中させて調べる。こんなしぐさは義父リトワースに躾けられたものだ。

 安全を確認して、ようやく、封を切った。

 そして、我が目を疑った。



---

『余が見捨てた妻へ』

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 そこにあるのは、彼女の夫の文字だった。

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