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3-2 神託

「聖女が神降ろしに成功しました! 神託がくだりますぞ!」


 王都神殿の神官長から報せが届いた。

 宮廷はざわついた。

 エリーの元にも、女官センナがこの報せを届けた。


「王妃さま、神々の決断が下されました。明日、ジャコウの刻までに禊ぎをすませて神殿に来られたしとのことです」

「もちろん行くわ。もちろん!」


 エリーの身を重く苦しめていた月の障りもようやく終わった。

 まるでそれを待っていたかのような神殿からの報せだ。エリーは何度も小さく頷く。


「……大丈夫。きっと古代の神々は正義を示してくださるに違いない」





 国王ダランの失踪はまだ民草に報されていない。

 だが、アルディン近衛隊長が血迷って城内で兵を挙げたといわれている騒動も、謎の灰装束集団が摘発されその首領リラが王妃誘拐を企んだ叛逆のかどで刑死したことも、民草の好奇心を刺激して余りある。そのどちらもリトワース公爵の策略によるものだなんて彼らはゆめにも思わない。

 遠征中に国王の身に何かがあったのではないか?

 城奥で暮らす王妃の身に何かがあったのではないか?

 彼らのなかには甘くとろけるような疑問が生まれたことだろう。いつの世も王国民は尊き者にまつわる薄暗い不幸と噂話が大好きだ。

 この混乱を重く見た神殿長が、聖女による神々降ろしで神託を請うてはどうかと提案した。リトワース公爵は難色を示したが決断は王妃に委ねられ、そしてエリーはもちろん快諾した。

 神殿の聖女は、神の声を聞く耳を持ち、神の声を代理する特別な口を持って生まれる。

 だが彼女がその能力を発揮するのは生涯に一度きり、つまり一度の神託でその命を使い切る。文字通りに聖女の神託とは命と引き換えの神事だ。

 だからこそ、神の言葉は神聖にして絶対なのだ。

 神々はきっと聖女の体を通じて国王の災難を告げ、リトワースの悪事を暴くだろう。エリーはそう信じていた。彼がどれほど理路整然とした口調と魅力で王位簒奪を訴えようが、神々がそれを許すはずがないのだ。





「閣下。神殿聖女が古代の神々を降ろしました」


 同じ報せはリトワースのもとにも届いた。

 学士ディーデンが唇に意地の悪い微笑を浮かべて年下の主人を仰ぐ。


「神殿長からの報告では、憑依は無事に成功、明日ジャコウの刻に神託を告げるそうです。神殿はすべての民草に門をひらき、そこで神憑きの聖女がお言葉を述べるとのこと」

「そして聖女は生涯一度きりのお役目を全うして死ぬというわけか」


 リトワースは鼻で嗤い、「急ぎ禊ぎの準備をせよ」と側に控えている幼い従者に告げた。従者が一礼して退出する。

 ディーデンもリトワースの嘲笑に同調した。


「神託と申しましてもただのまやかしです。神官どもに弄ばれた使い捨ての娼婦に強いゴンドーラ覚醒薬を飲ませ、錯乱させた彼女のたわごとを神の言葉と有り難がる。そして聖女様とやらは急性の覚醒薬中毒で息絶える。残酷な蛮習ですよ、はるか西の中原諸国ではとっくに廃止されているというのに」


 ディーデンは白髪頭を揺らし、「信用に値しません」と勢いよく繰り返した。


「おまえは怯えると口数が増えるね、学士先生。誰よりも神託を怖がっているのがおまえではないのか? 聖女の口からリトワース公爵家の悪事が知られてしまうのではないのかと」

「悪事ではありません。閣下が為しているのは、長らく王家に虐げられてきたリトワース公爵家が正当な再評価を受けるための正しき行いです」

「私もそう思っているよ。だからおまえのように恐れてはいない」


 そしてふと、幼い声で可愛らしく尋ねた。


「漆黒の魔術遣いに力を授かった私も王都神殿に入れるだろうか? 古代の神々に身を焼かれてしまうかな」

「古代八十柱には闇と邪と冥を司るヴィーラ三女神がおります。邪悪なる者にも邪悪なる途を照らす守護神はいるのです」

「なるほど。我らの世におわす神々は多様にして寛大だな」


 そう呟くと、リトワースは窓から王都を眺めた。


「……たしかに八十柱のすべてが王家の味方というわけではないだろうな。神々は下界の人間どもよりも仲が悪く、諍いが多いと聞く」

「さようでございます。そういえば少年時代の閣下は神々の物語を作り話だと嫌い、神話集を遠ざけておられましたね。今こそ学び直しの良い機会かもしれません、私でよければまた講義をしてさしあげましょう」

「ああ、頼むよ」


 さっき退いた従者が、真新しい薄衣を手にして戻ってきた。


「閣下、お召し替えを。本日は体内を浄化するイナサ果汁のみを口にしていただき、今宵サーテの刻から断食の禊ぎとなります」

「了解した。ところでわが国で聖女の神降ろしが行われるのはいつぶりだ?」

「三十五年ぶりと聞いております、閣下。そのときに偉大なるライスデン老王が東方制圧の神託を受けました。それ以来、東方遠征は神の意を遂げるための王国悲願です」

「おまえは私よりも神事に詳しいね」


 リトワースは幼い従者の頭を乱暴に撫で、指先で退出を促した。


「三十五年ぶりか。ちょうど私が生まれた頃だ」

「さよう。そして、ライスデン老王の落とし子が追放され野に放たれた年でもあります」


 そうだねえとリトワースはディーデンの相づちに頷き、のんびりと背伸びをした。

 だがその目線はいつものように鋭く虚空を睨んでいる。





 リマーディル王国は大陸古来の多神教を信仰している。

 神々は地底に大国を築いており、人の子たちは死んだら彼らの懐に潜って祖先の列に加わるという。

 翌日ジャコウの刻、春の東風がぴたりとやんだ。

 半日の禊ぎで身辺を清めた王妃と貴族たち、そして神殿が振る舞った果実液を飲み干した王都の民が神殿前の広場に集っている。

 王国神殿の広場はすり鉢状で、中心部分に向かって傾斜がつけられている。その中心部分は深く掘られた穴だった。

 集った民は、その巨大な穴を囲むように作られた階段式の観覧席に座っていた。三十五年ぶりの聖女神託とあって王都民が詰めかけており、すでに満席だ。

 エリーは王族のために用意された貴賓席に座った。

 広いバルコニーに花が飾られている。豪華絢爛な観覧席に着いているのは彼女ひとりきりだ。その二段下にリトワース公爵、さらにその下段に貴族達が並んでいる。

 彼らは眼下の穴を見つめていた。


「神々の穴」


 エリーはそっと呟いた。

 足下に控えている女官センナが「なんだかわくわくしますわね!」と小声で言う。気持ちはわかるがこの場では不謹慎だ。エリーは彼女をそっと睨んだ。

 穴のほとりに櫓が建っている。

 そこに神々に仕える正装姿の神殿長が立っている。

 隣には、装飾品をつけた全裸の女がいた。


「あれが神殿の聖女?」


 リマーディル国には珍しい黒髪の女だった。

 乳房は大きく膨らんでいるが年増には見えない。エリーよりも濃い色の肌に、彼女がたったひとつ身にまとった飛翠の首飾りがよく似合う。だが大きく豪奢すぎて、まるで家畜の首輪のようにも見える。エリーは違和感を覚えて不愉快だ。

 神殿長が両腕を掲げた。


「リマーディルの土、リマーディルの水、リマーディルの風の子らよ。聞け、すべての胎にして墓である地底の神々と祖先が聖女の肉体に憑依した。これより神々の言葉がくだされる」


 聖女が咆哮した。


 ゆらゆらと頭を動かす。その動きが徐々に激しくなり、黒髪を振り回す。再びの咆哮。神殿仕えの神官たちが彼女の動きに合わせて太鼓を鳴らした。太鼓が響き、さらに笛の高い音が響く。その不協和音は女の悲鳴に似ていた。

 おお、おお、と呻く声がやがて言葉に繋がっていく。


『きけ、子らよ

 東の地にて国王は失踪した』


 オォォォォォォーーー!!

 王都の民が絶叫した。

 エリーは膝の上で量の拳を握りしめる。

 民草の混乱を鎮めるほどの大声で聖女は続けた。


『老親神の名において命じる、

 これより玉座は王妃エリディアが護るべし。

 国王ダラン四世が本日より五年のあいだに帰還することなければ、

 王妃エリディアが王位を継承する。

 なんぴとたりとも玉座を奪うこと能わぬ。』


 再びの大歓声だ。

 さらに神の命令は続いた。

 

『それまで王妃エリディアは慈母神の庇護にある。

 国王の帰還、または自身の王位継承の日まで

 エリディアは性交を許されず、再婚を許されず、出産を許されない。

 成人男子は王妃エリディアに触れてはならない。

 王妃エリディアもまた成人男子に触れてはならない。

 これを破れば国はたちまち滅ぶ。

 王妃エリディアの貞操を守護すべき者を付けよ。』

 

 ひぇぇ、とエリーの側で女官センナが素っ頓狂な声をあげる。エリーは彼女の豊満な尻を蹴飛ばしたくなったが冷静に堪えた。

 咆哮混じりで聞き取りづらかった聖女の言葉を心で反芻する。

 国王は東の地で失踪したこと。

 神々は、国王不在の代理をエリーに任せたこと。

 ただしその期間は五年。


『以上である!』


 聖女はそう叫ぶと、全裸の身を翻して高い櫓から「神々の穴」に身を投げた。

 群衆は静まりかえる。

 一呼吸の後、ぐしゃりと何かが潰れる音が響いた。聖女の肉体が神々の地下国に召された音だ。

 誰かが手を叩いた。

 それはすぐに王都じゅうに響き渡る万雷の拍手となった。


「王妃にして国王代行! 玉座の守護者エリディアさま!」

「王妃!」

「国王代行!」

「どうか国王陛下のご帰還までこの国をお守りください!」

「永遠のリマーディルを!」

「われらの処女王妃!」


 声に後押しされてエリーは立ち上がる。

 そして王都の民に向けて胸に手を当てみせると、膝を折って一礼した。

 拍手と声援がさらに大きくなる。

 貴族たちが王妃の姿を振り仰いだ。ただひとりリトワース公爵だけは王妃を見ずにただまっすぐ神の穴を見つめていた。


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