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3-1 ジェイルとディーデン

 わが血族は、祖先の遺産を食い潰している蛆虫なのだ。

 だからこんなふうに髪は灰色。

 だからこんなふうに目は琥珀色。





 リトワース公爵家の血に王族のそれが一滴も入っていないと知ったとき、幼いジェイルはその真実を受け入れることができなかった。

 彼に家系図を見せたのは有能な家庭教師だった。遠い国に留学して哲学と科学と政治学を学んだという若き学者は、学士として城仕えを志望していた。

 だがリマーディル国の宮廷に彼の場所はなかった。

 青年は幼い頃に患った病の後遺症で右半身が不随であったのだ。体の半分が死んでいる男を城に招くわけにはいかないと拒絶されて途方に暮れていた彼を、ジェイルの父親が拾って息子の家庭教師とした。


「やはりリトワース公爵は他の貴族がたとは違う、すばらしい方です」


 それが家庭教師の口癖だった。


「リトワース公爵家こそが玉座の闇に飲まれぬ潔白なお家柄」


 そしてあなたはリトワース公爵の嫡男として高貴であれと彼は言うのだ。その言葉に、ふと、幼きジェイルは疑問を感じた。

 王室とリトワース公爵家は違う。

 たしかに、国王も妃もその子らも銀髪に緑の眸だ。他の貴族達もほとんどが銀髪をなびかせている。リトワース公爵家の者だけが輝きのない灰色の髪、そして森で人を喰う野獣のような琥珀色の眸。

 家庭教師の言うとおり、まるで違う。


「なぜ、われらリトワースの者は外見も何もかも王室の方々とは異なっているのか。他の貴族と異なっているのか。先祖代々われらは王室の剣、王室の盾と呼ばれているのに」


 ジェイルは声を尖らせて家庭教師に尋ねた。

 家庭教師ははっと息を飲み、言葉を探しながら視線を泳がせた。


「申し訳ありません。若様はすでに閣下から聞いているとばかり……」

「どういうことだ」

「リトワース公爵家が王室の側にありながら王室と異なっているのは、そのお血筋が異なっているからでございます。リトワース公爵家は他家のように王室と縁を結んだことがなく、そしてこの先もふたつの血が交わることはございますまい」

「なぜだ」

「それは、――若様。あなたはとても賢い御子だ。ですから隠さず申し上げましょう」


 家庭教師は躊躇いを捨て、リトワース家の家系図を広げて見せた。


「あなたの祖先は、〝流浪者〟と呼ばれる身分卑しき下層民でした。そこから剣で成り上がり、やがて王室の剣として未来永劫忠実に仕えるように命じられ名を与えられたのです。ですが王室が〝流浪者〟と血の縁を結ぶことはありえません。王室にとってリトワースの血は獣と同じだからです。大いなる名誉と使命の名のもとに王室に繋がれ使役する永遠の奴隷、それが〝流浪者〟の血筋に生まれたあなた。これがリトワース公爵家の宿命なのです」


 宿命とは、抗うことを諦めた負け犬が悲しく唱える気休めの呪文だ。





 遠い日の夢を見ていた。

 ジェイルはふと目を醒ました。

 と、妙に首が痛い。執務室の椅子に座ったままの体勢で、腕を組んでうたた寝をしていた。

 執務の合間にほんの少しだけ目を閉じたつもりだったが、そのまま熟睡してしまったらしい。


「ああ、」


 彼は小さく呟き、唇を緩ませた。

 南西の大樹木で誂えた一枚板の豪奢な机には書類と文献が散らばっている。使いかけで乾燥してしまったペンがころりと転がって床に落ちた。

 椅子から立ち上がって固く凝った腰を叩き、そのついでに前屈してペンを拾う。埃がついてしまった羽根を吹く。つまらぬ時間を過ごしてしまった。

 もしかすると大事な執務をいくつかすっぽかしてしまったかもしれぬなとひとり苦笑していると、扉がごんごんごんと重く鳴り響いた。


「閣下、失礼いたします」


 固い声で閣下と呼ばれた瞬間に、幼いジェイルはリトワース公爵の姿を取り戻す。

 吐息のような一言で入室を許すと、長いローブを引きずった白髪頭の初老男が執務室に入ってきた。

 両足の歩みは乳児のように頼りない。

 杖を使ってみてはどうかと度々勧められているが、この男は頑なに自身の足で拙く歩くのだった。リトワースはそんな彼の意地と根性が好きだ。

 自分に似ている、と思う。


「お休みのところ申し訳ありません」

「いや、実はたったいま長めの休憩を終えたところだ。どうやら椅子に座ったまま半日ほど気絶していたらしいよ」

「まったく。……そういうところは幼い頃から何も変わりませんね、小さなジェイル坊ちゃま」

「そうだね。つまり熱心に教育してくれた家庭教師の薫陶が役に立たなかったということだな、学士ディーデンよ」


 悪戯っぽい軽口をたたき合って笑顔を交わす。

 ジェイル・ダーン・ディセル・リトワースは、自身のジェイルという名前を他人に呼ばせない。父を亡くして爵位を継いだ十年前、私はリトワース公爵なのだからあるがままにリトワースと呼べばよかろうと周囲に告げて困惑させた。

 風変わりで物好きで公爵らしくないお坊ちゃま、それが宮廷内での評判だった。

 父親を亡くし、正妻であった母親は夫を喪った妻の貞操を守って出家したのち夫の元に旅だった。父親は他に妻を持っておらず、嫡子ジェイルに異母の兄弟姉妹はいない。リトワース公爵家はもとより多産の家ではなかった。我々一族は多くの子を持ってはならないというのが父の言葉だった。

 その言葉が祝福であったのか呪いであったのか、ジェイル・リトワースも三十代の半ばを迎えてまだ正妻を持たない。

 彼は幼い日、家庭教師のディーデンにリトワース公爵家の血筋について話を聞いた瞬間から自分の未来を決めていた。


 私は玉座を手に入れるのだ、と。

 ……否、王家の血を手に入れるのだ。

 宿命とは、抗うことを諦めた負け犬が悲しく唱える気休めの呪文だ。


 先代のリトワース公爵が死んだその直後、半身不随の不能者と蔑まれていたディーデンは全身の自由を得て歩けるようになった。

 リトワースが王都地下の黒魔術遣いと契約して力を得たその証だ。

 黒の力を身に帯びたリトワースが為した最初の魔術こそが、ディーデンの半身の治癒だった。

 ディーデンにはわかっていた。

 ジェイル坊ちゃんは、大いなる野望を果たすために父親の命を邪神に捧げた。そして黒き魔術者どもから力を受けたのだ。

 ここから地獄の途が始まる。

 自らの足で立ち上がったディーデンは男泣きに泣いた。それをみたリトワースは満足げに笑い、彼をリトワース家筆頭の学士に任命したのだ。

 この瞬間、ディーデンにとってリトワースは最愛の主人であり、年の離れた親友であり、そして命を捧げる対象となった。

 ――我がジェイル様に玉座を与えるために。

 ただそれだけのためにディーデンは奔走した。黒魔術遣いたちの協力で、王室の血族者が次々と死んだ。そのたびにリトワースの闇の力は強まった。

 そしてついに、リトワースは朗報を手に入れた。

『先代の国王が落とし子を野に放った。その孫が国内の何処かにいる』

 その娘エリーを探し出すのに苦労をした。手に入れて美しく養育した。

 ようやくエリーが育った頃、国王が東方遠征を開始した。

 えり抜きの軍が付き従ったが、そこにリトワース公爵の姿はない。王の側近中の側近、王の剣であり王の盾であるべきリトワース公爵を国王は遠ざけ、ダラン王子を連れていくという。

 王がリトワースを連れていかない理由は明白だ。流浪の下層民に剣を持たせていると知られたら敵前で恥をかいてしまう、ただそれだけのくだらぬ理由。

 わかっているからリトワースはあっさりと受け入れ、国王と王子が不在の王都を護って見せますと健気に誓って彼らを送り出した。

 彼が先代国王の姿をみたのはそれが最期だ。

 そして、王子――父王を継ぎ旅の途中で即位したダラン王の姿をみたのも。リトワース公爵が覚えているダランは、銀色の短髪と緑の眸を輝かせる利発な少年だった。

 反吐が出る、と思った。


 灰色の髪を片手で撫でつけ、リトワースはぼんやりと天井を仰ぐ。


「閣下、如何なさいました。何かご心配でも?」


 すかさずディーデンが聞く。

 リトワースは目を細め、冷たい視線を向けた。


「逃亡したダランの行方はつかめたのか?」

「いいえ。残念ながらいまだ掴めません」

「漆黒の御遣いを多数飛ばしているはずだろう。なぜだ」

「東方部族のせいです。紺碧の魔術遣いたちが妨害しているのか、斥候からの定期報告も途絶えました」


 リトワースの表情が動いた。


「東方部族? まさか逃亡した国王は敵に匿われているということか?」

「ありえます。漆黒の魔術遣いと紺碧の魔術遣いははるか昔より対立しておりますからね、敵の敵は味方ということも」


 魔術は太古の神秘であり、しかも魔力の素質がある者しか習得できない。魔術を遣う者が古代のいくさと政に害を及ぼしたためリマーディル王国内では禁忌とされている。リマーディル王国の魔術遣いたちは王都地下に潜り漆黒の魔術遣いと呼ばれてきた。

 一方、王国が蛮族の地と呼んでいる東方では魔術が盛んだ。紺碧の魔術遣いと呼ばれる集団が部族を護っていた。

 漆黒と紺碧の魔術遣いたちは敵対している。


「くだらん」


 リトワースは吐き捨てた。


「どんな手段をとってもいい。何としてでもダランを捕らえろ」

「閣下のおおせのままに」


 ディーデンは深く一礼した。

 そして頭を上げ、そっと続ける。


「それから、王妃様のことですが」

「何だ」

「差し出がましいことを申し上げますが、あなたは彼女に憎まれています」


 神妙な面持ちで何を言い出すかと思えば、そんなことか。

 リトワースは思わず失笑した。


「だろうな。当然だろう、私は玉座を狙う大悪党だ。しかも娘と呼んで育て上げた王妃から夫を奪い、さらには私の子を産ませようと企んでいる。これほどの邪悪な男が他にいるのならお目にかかりたいね」

「……あなたはなぜ、そのような生き方を選んでしまったのでしょうね。姫君は誰よりもあなたを――そしてあなたも王妃のことを、」


 静かなディーデンの声だった。


「やめてくれ」


 リトワースはそっとうつむき、俺は父親を贄にして漆黒の魔術遣いに身を売った男だぞ、と呟いた。

 ディーデンは聞こえぬふりで肩をすくめた。


「灰装束たちにさらわれた王妃は自ら連中の手から逃げ戻ったと仰っておられるが、もしかするとわが王都に忍び込んだ紺碧の魔術遣いどもが手を貸したのかも知れません」

「すぐに調査を」

「手配いたします」


 視線を戻したディーデンの先には邪悪な表情のリトワース公爵がいた。懐かしい日の無邪気な少年はもういない。


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